ハイ。また、鬱闘病記の更新が空いてしまいました。

 

ずっと、NGT48特集やら、AKB48特集やらしてたので、

「もういっそ、48グループ専門のブログにしちゃえばw」なんて言われる始末😓

 

いやいや、、自分の鬱闘病体験談が誰かの役に立ってほしいと、

このブログを始めたので、頑張って続けますよ😊👍

 

 

 

前回の鬱闘病記は、こちらになります。↓

[医療コラム]鬱闘病記⑥ー父の愛に気付いた時、大粒の涙が。。

https://ameblo.jp/kazenogotoku777/entry-12461150625.html

 

何度も言いますけど、「現代の治療を受けないススメ」ではなく、

「鬱になる心のメカニズムを探究したかった」ので、

内服治療を頑固に受けずに、鬱々の波と格闘しながら、

ちゃんと仕事も休まずに、普通に日常生活を続けながら、

「自分探しの旅」を続けました。

 

 

今回の話は、スピリチュアルな内容になります。

「え?霊の話とか、あの世とか宗教とかキライ!」と言わずに、

「こんな変わった体験した人もいるのね〜」くらいに読んで頂ければ幸いです。

まぁ、信じられない人にとっては、理解できないのだから仕方ないですけどね。

 

 

 

もともと、私は、霊感が強いんですよ。

「友人や知人の通夜や葬儀の時に、亡くなったばかりの故人が目の前に現れて話す」

「金縛りに遭っている最中に、金縛りに遭わせている霊と話す(思いが通じる)」

「毎晩同じ人が夢枕に立つ、予知夢を見る」

「急変の現場で天使軍団と悪魔たちが患者さまを押し引きするのを垣間見る」

「亡くなられた患者さまが挨拶に来た後に昇天する」。

こんな、不思議な体験をたくさんしました。

いや、現在進行形ですね。

 

つい最近も、自死した友人が現れたので、少し話しました。

 

これ読んでる皆さん、信じられますか?

残念ながら、これが私の「視ている世界」です。

私が普通に話すことが、信じてもらえず、変人扱いされたりするので、

「理解されない方が楽」と思って、生きてきました。

 

教会の牧師さんに話すと、

「きっと、その体験を沢山の人に伝える仕事があるのでしょう」と言われ、

「あぁ〜なるほどね。。」と、妙に納得。

 

 

 

前置きが長くなりましたが、今回は、スピリチュアルレポートです。

 

 

 

父が突然現れたことにより、

事態が急な展開を見せ始めて、数ヶ月。

 

気付けば、新潟K病院に就職して、季節は2度目の冬になり、

鬱々の波とは日々格闘しながらも、

リハビリ科での仕事は順調にしていました。

 

父との葛藤は何となく乗り越えて、道がすごく開けたような気がしたんだけど、

いまひとつ、心がモヤモヤして、仕方ありませんでした。

 

いろんな人の勧めで、浜名湖畔にある研修施設で、

「イエスの霊訓・十ヶ条」というスピリチュアルな研修を、

一泊二日で受けました。

(牧師さんにも勧められたw)

 

研修といっても、やることは「心の探究」です。

10のテーマに沿って、「自分の心の中を見つめ続け、問題集と向き合う」んです。

なので、「心を静かに保ちながら、心の問題と向き合う」ので、

仏教でいう「反省行、精神統一、瞑想、祈り」がメインでした。

 

この時のテーマは、イエス・キリストの時代に思いを馳せることでした。

 

もともと、霊的で以前から日蓮宗で、仏教徒な我が家なので、

この手の話には抵抗もないし、研修もすんなり内容を理解することができました。

いわゆる、「前世療法」とは違いますけど、

イエス・キリストの時代に思いを馳せながら、

自分の心の闇と格闘した結果、、、

 

 

なんと。

トランス状態になった瞬間に、場面が切り替わり、

気付くと、私はイエス・キリストの時代へ飛んでいました。

 

もう一回言いますね。

「イエス・キリストの時代にまるごと移動しました」。

(うまく伝わりますかね?)

 

そこで見たものは、

なんと、イエス・キリスト時代の「私の姿」です。

つまり、世界史で言うと、2000年前、ですね。

 

え?( ゚д゚)

場所は、、ゴルゴダの丘?!

 

Σ(゚д゚lll)

((((;゚Д゚)))))))

 

あ、いや。違うらしい。。

 

イエス・キリストはいないし。。

でも、誰かが迫害されてるっぽいし、、

 

処刑台、、

役人と、大勢の外野がわらわらと、、民衆たち、、

あっちにもこっちにも、、

 

その前に、ボロボロの身なりをした格好の人が、

すんごい石を投げられながら、何か叫んでるし。

処刑台には誰もいないみたい。。

 

あ、そっか。処刑台の前で、何か叫んでるんだ。

って!なんか顔が私にそっくり!!

ってか、私?!Σ(゚д゚lll)

 

( ゚д゚)( ゚д゚)( ゚д゚)

もしかして、キリスト教の宣教師???

息絶え絶えに、叫びながら説法してるし!

あのまま死んじゃうのかなぁ。。

 

 

 

ふっと気付くと、また場面が切り替わり、

現代の私に戻っていました。

 

 

「そうか。イエス・キリストの時代の自分は、 バリバリの伝道師で、

迫害されて死んでいったんだわ。。なんつー激しい生き方。。」

 

この体験から感じたのは、

「強い被害者意識の根っこは、迫害死した過去世にあったのだ」ということ。

この体験を、研修講師に話すと、

「その強い強い被害者意識から、何としても脱出してください」と言ってくれました。

 

 

 

そもそも、鬱になった始まりは、

就職早々に、連日の看護師長からの罵詈雑言、罵声の数々だった。

それで病棟勤務が恐怖になったけど、いずれは乗り越えないと、

自分は普通の看護師に戻れない。

戻りたいと、決意しよう。

 

そして、

酷いいじめ体験のあった小・中学時代が、

強い被害者意識の元凶だったのではなくて、

本当はもっともっと、古い時代から私自身の魂に刻まれた心の闇だったのだ。

 

 

 

そんなことを、つらつらと、考えながら過ごしていると、

心の中に、グングンと、

響いてくる声があり。

 

「ありのままの自分を、愛し、許せー」

「ありのままの自分を、愛し、許せ!」

「ありのままの自分を、愛し、許せ!」

誰の声かは分からなかったけれど、

何度も何度も、心の中に誰かが訴えかけてくる声を感じていました。

 

でも、気付けば、これまで自分を責め続けてきた、

「偽物の自分」が、その声に、必死に抗おうとしていました。

 

「何かの罪の意識に縛られている自分」、

「正体の分からない劣等感に苛まれている自分」。

 

ずっと、両親が離婚した時も、いじめがピークに達して自死未遂した時も、

ずっと、ずっと、

「自分さえ犠牲になれば、誰かが不幸にならなくて済む」、

「自分がいるせいで周りが不幸になるんだ」、

「自分さえ、いなくなれば」、

そう思い続けてきたのに。

 

簡単に自分を許すことなんてできない。

 

でも。ずっと、そう思い続けることはできませんでした。

 

その声は、さらにこう続くのです。

「お前の敵を愛せ。お前を傷つけてきた人たちを許せ。

そして、ずっと自分を傷つけている、お前自身を許せ。」と。

 

その激しく、熱い問いかけに、涙がボロボロと止まりませんでした。。

私は、気付くと泣きじゃくっていました。

 

 

 

なんかよく分かんないけど、

こんな自分にも、信じて見守ってくれる存在がいるんだ。

そう思えてきて、心強くなりました。

 

 

「神様が『お前は一人で戦っているのではない。我も一緒に戦っている』と、

伝えにきたのだ」と、感じました。

 

 

 

鬱闘病記⑧に続く☆彡