ハイ。

更新が止まってた鬱闘病記を再開します。

 

なんかAKB48やNGT48の話題ばっかりになりつつある、このブログですが(^◇^;)

いやいや、

マラソンのこととか、新潟の町のこととか、

人生の苦難困難をどう乗り切って心の成長に繋げていったのか、

その智慧やエキスの部分を共有できればいいと思い、

新しくこのブログを書き始めたので、参考になるものがあれば幸いです。

 

鬱に関しては、内服治療は絶対に嫌でした。

自分の場合、絶対に薬に依存してしまって、

「それがないと生きていけない」と言う状態になると分かっていたので、

意地でも薬を飲みませんでした。

(あの〜、何度も言いますが、「内服をしないススメ」じゃないですからね。

人によりますからw)

 

看護師という職業柄、内服治療に依存すると、

依存から抜ける難しさも分かっていたので、

(もちろん、丸岡いずみさんのように「薬を素直に飲んだら楽になった」

という人もいますが)

内服治療は、あくまで対処療法でしかない、

それよりも、鬱になる「心の根本原因があるはず」と思っていたので、

自分自身の中にある、「鬱になるまでの心のメカニズムを解明してみたい」と、

思っていました。

 

まぁ、16年経った今となっては、「いや、あの時、内服治療も受けとけばよかったかな?」と思うこともありますがw  

でも、この時に心の中を徹底的に見つめたお陰で、次に鬱にまたなっても、

早く抜けたので、結果的に、自分の取り組みは間違いじゃなかったんだな、と、

思いました。

 

前置きが長くなりました。

今回は、「父の愛について」です。

 

16年も会ってなかった父に会いに行くのは、本当に勇気のいることだったんですよ。

でも、これが、自分探しの最初のきっかけになりました。

前回の記事(闘病記5)で、教会の牧師さんに言われた、

「本来の自分を思い出す旅」の一歩でした。

家族共々、仏教徒である私の家には、強い信仰心があり、

人の魂は転生輪廻し、

生まれてくるからには、必ず人生の目的と使命があると、ずっと信じてきました。

でなければ、人生、こんな濃密な修行の日々を、

単純に過ごして、「人生一度きりで終わり」なわけがない。

 

もちろん、今回の人生は一度しかない。でも、

こうやって人は生まれ変わりながら、連綿と人類の歴史は続いてきたのだ、

ある時代には、キリスト教徒として、

ある時代には、釈迦の弟子として、

ある時代には、芸術家や医者として、生きていた時代があったのかもしれないと、

うちの親子は信じてきました。

ある意味、これが看護師を志した理由でもあります。

ずっと、「人の役に立ちたい。音楽の才能が閉じてしまったなら、頭を使って。」と。

 

ならば、父が家を出て、私たちが捨てられた理由はなぜ?

 

母から、父のことをいろいろ話してもらううちに、

「不器用だった父の性格」について、

納得する部分や、自分と共通する部分を発見しました。

 

私が生まれた時、

「男の子が生まれる」と勝手に勘違いして、病院に付き添わずに、

一人で家で祝杯を勝手にあげていたこと、

 

洋裁や縫製加工の全国の指導者(ものすごい技術者でした)として、

単身赴任や長期出張が多く、家族と過ごす時間が少なかった分、

沢山のお土産や旅行に連れていってくれた記憶しかない。

 

そして、仕事が早く済んで、たまに早く帰ってくると、邪魔だと言われたり、、

(「お陰で出かけられなくなった」とか、「買い物に行けなくなった」とか、

母が文句を言ってたらしいw    かわいそうな父、、😓)

 

思い出すのは、寂しそうに一人で晩酌して、

野球ばっかり見ていた、父の背中。

 

そして、かなりのDVでもあった父。

父に新聞紙を丸めて叩かれて、泣きながら怯える母を庇う、兄弟の姿はしょっちゅう。

私たちに対しても、言うことを聞かないと、すぐ平手打ちしてくるなんて、

しょっちゅうでした。

 

父は、本当に不器用な性格で、人から理解されることが少なかったのだと思いました。

コミュニケーション能力が欠落していたのだと、私は理解しました。

今の私と大いに重なる部分だと思い、納得でした。

親子は似るものなんだな、と思いました。

 

 

 

母や兄弟から、父の話をいろいろ聞いて、

問題の全体が俯瞰して見えてきました。

 

 

 

 

少ない稼ぎを一生懸命、家に入れて、家族を養っていた立場の父を、

ぞんざいに扱っていたのは、実は私たちの方だった、

仕事柄、家族とのすれ違いが多くなり、

家族はいつしか、父に怯えるようになり、

本来、安らぐ場所であるべきだった家の中に、居場所がなくなってしまったのだ、

だから父は、疲れてしまったのだ、

一家の長としての孤独に耐えられなくなり、出ていってしまったのだ、

「理解されない方が楽だ」と思っていたに違いないんだ。

父は父なりに、一生懸命に、家族を愛してくれていたのだと。

 

本当は、沢山、父に愛されてきたのに。

「愛されないまま育ってきた」と、勘違いして恨んでいたのは、私のほうだった。

 

そう考えることができたら、

どこから出てきた!っていうくらい、ボロボロ泣けてきて。。

 

 

 

 

父を裁いて恨む気持ちは、どっかへ吹っ飛んでいってしまいました。

 

「あんたのせいで、学校でひどいいじめにあった、私の青春を返せ」という

恨み心も、ぶっ飛んでいってしまった。

(肝心の母は、恨んだままのようだったけどw)

 

鬱々の波との格闘は続いていたけれど、

この大粒の涙を流した日から、道が開けてきた気がしました。

 

 

(鬱闘病記⑦に続く☆彡)