1984年  阪急vs広島  日本シリーズ第3戦

 

 

 

 私の唯一の日本シリーズ観戦です。

 古いです (*^^*)

 1984年の 阪急ブレーブス 対 広島東洋カープの 第3戦。

 

 この年の阪急ブレーブスは、シーズン130試合制で 75勝45敗10分の貯金30とパリーグ他チームを圧倒して優勝します。

 とにかく三冠王ブーマーを中心に打ちまくったという印象があり、序盤2~3点リードされていても 猛打であっさりと逆転・・・・という試合も多かったです。

 投手陣も 今井雄太郎が21勝で最多勝と最優秀防御率、佐藤義則が奪三振王、山沖之彦が最優秀救援投手と、頑張りました。

 

 

 

 

 そしてセリーグ覇者の広島との日本シリーズですが。。。。

 圧倒的な力でリーグ優勝したチームが日本シリーズで レギュラー・シーズン通りの力を出せないことはよくありますが、まさに この年の阪急ブレーブスが その状態でした。。。。

 

 広島市民球場での1・2戦を1勝1敗のタイで 舞台を西宮球場に移した第3戦-

 この時代は 日本シリーズの最初の2戦は 相手の戦力を探るとともに、シリーズに通用する選手を見作ろうものと考え、1勝1敗の5分でよい・・・・といったスタンスが強かったように思います。

 それにしても、第1戦をエース山田で落とし、第2戦は9回表で2点差を逆転勝利と、阪急ブレーブスにとって内容的に厳しい試合が続きます。

 

 

 

 

 さて、この試合のチケットですが、今となっては経緯がわかりませんが、親がもらってきたものを私が見に行くことになったものです。

 券面には、(正規の)入場料3,500円とあります。

 この当時の学生アルバイトが一日働いて5,000円台でしたので、結構高価です。

 期待して球場に行きましたが、内野の一部が(西宮球場の2階席を支える)柱で遮られて見えないという 値段の割にイマイチの席でした。。。。

 

 

 

 

 試合も先発の佐藤義則投手が乱調、2回表に山本浩二にソロホームランを浴び、1安打2四球でランナーをためたあと長島清幸に風に乗せた満塁ホームランを浴びで3回までに5失点。

 3回裏に佐藤の2塁打、福本・弓岡の連打で2点を返し 2-5とするも、佐藤投手は立ち直れず4回表に救援の宮本投手が高橋慶彦選手に2ランを打たれて 早々と試合が決まってしましました。。。。(>_<)

 この日はレフト方向に強い風が吹いていて広島・長島選手のホームランはその風に乗せた一撃だったと思います。

 この日右打席の阪急・松永選手も左方向へのフライを意識していたはずですが、6回の反撃機にレフトへの大飛球に終わります。

 結局、大量点に守られた広島先発・川口投手に完投を許し、3-8で敗れます。

 

 

 

 

 このほかの試合は TVやラジオ観戦でしたが、

 第4戦 エース山田力投も及ばず2-3で阪急敗戦、1勝3敗で王手がかかる 

 第5戦 広島・北別府投手を打線が攻略。守りも今井・山沖のリレーで広島の反撃をかわし6-2で阪急勝利。西宮球場での広島の胴上げを阻止。

 第6戦 阪急・福原の満塁弾などで広島先発・川口を打ち砕き、8-3で阪急勝利。対戦成績を3勝3敗の5分にする。

 第7戦 第1戦・第4戦ともに1点差で完投負けの阪急・山田投手が試合終盤に広島打線につかまり、2-7で阪急敗退。

 

 

 

 

 阪急は、1・4・7戦先発のエース山田で3連敗。

 同パターンで先発の広島・山根を打線が打ちあぐねました。。。。。

 特にブーマーが 広島のインコース攻めにより 7戦通じて封じ込められたのが痛かったです。

 

 阪急ブレーブスとして最後の日本シリーズでしたが、私の唯一の日本シリーズ観戦は 苦い思い出となっています。

  

 

 

 

 

 おまけで、この時期の球界の動きですが、私が日本シリーズを観戦した1984年10月16日に、阪神の球団社長と球団代表が兵庫県宝塚市の西本幸雄さんの自宅を訪ね、監督就任を要請しています。

 また、翌10月17日に、阪神は稲葉光雄投手、太田幸司投手の現役引退を発表しています。