【キングダム】 史記 「李将軍列伝」 信とその子孫たち

 

 

 

 

 司馬遷の史記には、「李将軍列伝」 というのがあり、「キングダム」主人公の信の子孫たちが登場します。

 

 おもに、取り扱われているのは、前漢時代の 李広将軍と 李陵将軍です。

 

 そして その冒頭で 信も登場します。

 

 

 李広将軍の祖先は 李信という。

 李信は 秦の時代に将軍に任じられ、燕国の太子・丹を追撃して その首を得たものである。

 

 

 信は、李広将軍・李陵将軍の先祖の紹介としての登場ですが、秦の有名な武将であったのは確実です。

 

 

 

 

 そして、以下は、信の子孫である 李広将軍についての記載の要約です。

 

 

 李広の家は代々 射術を伝授していた。

 匈奴を撃退したほか、呉楚七国の乱では敵の軍旗を奪い 功名を天下に知れ渡らせた。

 その後も匈奴の抑えとして活躍した。

 

 あるとき、少数の騎兵で匈奴の大軍と出くわしたことがあった。

 部下たちは早く逃げようとしたが、李広は部下たちに下馬して鞍をはずすように命じた。

 匈奴の兵は 李広の小部隊を 囮だと思って攻撃しなかった。

 李広は「逃げていたら、匈奴の兵は追いかけてきて 我々は全滅していたであろう」と語った。

 さらに李広は、偵察に来た敵将を弓で射殺するなどした。

 

 李広は高潔で 恩賞を得ると部下に分け与え、飲食も部下と共にした。

 部下から慕われ、その兵士たちは いざとなれば彼のために死力を尽くした。

 匈奴も 彼の知略を恐れた。

 

 

 

 

 ただし李広は 爵位や領地を得るほどの大きな手柄は無く 不運を嘆いてもいた。

 

 そして李広にとって最後の匈奴との戦いでは、迂回路の進軍を命じられ、不運にして道に迷った。

 これまでの不遇と 60歳を超えて道に迷った罪を問われることを嫌悪した李広は 自ら首を刎ねて絶命した。

 李広の部隊の者もそうでない者も彼のために泣いた。

 

 

 

 

 (李広の孫の) 李陵将軍は 射術に長じ 部下の兵卒をかわいがった。

 彼もまた匈奴警戒の任に当たっていた。

 

 李陵は 命令により五千の兵を率いて匈奴攻撃の一部隊となった。

 それに対し 匈奴は八万人の大軍で包囲した。

 李陵の軍は 匈奴に二万人の死傷を与えるなど善戦したが、兵の大半は死んでしまい、武器も食糧も尽きてしまった。

 そして、引き上げる途中に 狭い谷間で匈奴の待ち伏せに会い 援軍もなく兵糧も乏しかったことから やむを得ず 李陵は匈奴に投降した。

 

 司馬遷は李広に賛辞を惜しまない。

 司馬遷は、匈奴に降り その罪で一族も殺された李陵将軍を弁護して武帝の怒りに触れ、宮刑という辱めを受ける。

 司馬遷の万感の思いが感じられる章である。

 

 

 

 信の子孫も 武術に優れ 部下からも慕われていました。

 

 そして 漢帝国最大の敵であった匈奴との戦いでも活躍しますが、悲運の武将だったようです。

 

 李陵は、中島敦の作品でも有名ですね。

 

 

 

〇今回参考にした 明治書院の「新書漢文大系「史記<列伝三>」です。

 

 

 

 

 

 

 

【BGMにどうぞ】

キングダム主題歌『TOMORROW』(BiSH)羌瘣で弾き語り by シンガーソングライター平野里沙さん

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https://www.youtube.com/watch?v=HgcKbalRgQw