2019年8月12日 「坂の上の雲」紀行 記念館「三笠」 (神奈川県横須賀市)

 

 日露戦争での連合艦隊旗艦であった「三笠」(神奈川県横須賀市)を見学しました。

 

 日露戦争については「坂の上の雲」で知り、その後関連書籍を読んで、以前から訪れたいと思っていたフネです。東京(周辺を含む)を旅行したこともありましたが、関西人には地理感が無い場所なので、行きそびれていました。

 

 マニアックなミュージアムと思っていましたが、夏休み中のお盆前の三連休中ということもあり、見学者は多かったです。

 

 

〇連合艦隊司令長官:東郷平八郎像と記念艦「三笠」

 

 東郷平八郎は、薩摩藩出身で、幕末は、薩英戦争で初陣を戦ったあと、一門の砲台長として「春日」艦(薩摩藩)に乗り組み、阿波沖海戦・宮古湾海戦・函館海戦と転戦します。

 県立鹿児島中央高校の化学室に、東郷平八郎生誕地のプレートがあるそうです。

 

 

〇京急本線

 

 お昼過ぎまで横浜にいて、その後京急本線で、横須賀中央駅に移動します。

 横須賀中央駅では、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」が接近音として採用されているそうですが、気が付きませんでした。

 

 

〇三笠公園手前の親水公園

 

 横須賀は、江戸時代から国防の拠点とされ、戦前は横須賀鎮守府(海軍軍艦の拠点港)とされました。

 現在も、アメリカ海軍第7艦隊の拠点であり、陸上自衛隊・海上自衛隊の駐屯地です。防衛大学校もあります。

 

 

〇東郷平八郎像

 

 「坂の上の雲」では、舞鶴鎮守府長官という予備役手前の閑職にあり世間に名も通っていない東郷平八郎を連合艦隊司令長官につけた・・・・・という書き方でした。

 ただし、他の書籍で、「舞鶴鎮守府長官職は、平時では海軍将官にとりきわめて高位の職である」や、「日清戦争時の連合艦隊司令長官であった伊東祐亨の前職は横須賀鎮守府長官である」、「(当時の海軍主流派であった)薩摩閥であり、海軍大学校時代の識見、対露意見具申からすると順当な人事であった」ともあります。

 常備艦隊司令長官:日高壮之丞も有力候補者であったのは事実ですし、山本権兵衛海軍大臣が闘将タイプよりもバランスの取れている東郷平八郎を選んだ経緯は「坂の上の雲」の通りと思います。ただし、まったく意外な人事・・・・というほどではないようです。

 

 

〇副砲

 

 日露戦争で、連合艦隊は佐世保(長崎県)に集結しました。

 大陸方面への出撃のため地理的に適した基地だったからです。

 また、港口が狭いにも拘らず、湾内が深く広く、周囲を山に囲まれており、旅順に似た海軍基地向けの地形でもあるそうです。

 

 

〇三六式無線電信機

 

 日本人技術者によって作られた当時もっとも世界で優れた船舶用無線機が、各艦艇に備えられました。

 

 日本海海戦当日早朝、「タタタ タタタタ」というタの連打(信濃丸が発信し中継された「敵艦隊見ゆ」の暗号電文)により、バルチック艦隊の到来が知らせれます。

 その後も、この無線機を活用して、バルチック艦隊の進路・艦数・陣形が連合艦隊に知らされ、戦勝に大きく貢献しました。

 

 

〇対馬海峡における索敵

 

 バルチック艦隊を」発見した信濃丸は、もともと日本郵船の貨客船でした。

 日本海海戦時は海軍に徴用され、小さな砲を乗せて哨戒活動に当たる仮装巡洋艦でした。

 日露戦争前年の1903年には、永井荷風が貨客船としての信濃丸で渡米しています。

 

 

〇15センチ副砲の操砲展示

 

 「三笠」などの主力艦には優秀な砲兵が集められ、猛訓練を受けました。

 日本海海戦での日本の勝因の一つは「砲術の優越」でした。

 乗組員は、夜は砲塔内で寝ていたそうです。

 

 

〇機械水雷

 

 戦艦というものは砲撃では簡単に沈まないものです。

 ただし、喫水線の下に打撃を与える機械水雷(機雷)や魚雷は一撃で主力艦を撃沈する威力があります。

 もともと、機雷は防衛兵器でしたが、日本海軍は攻撃的に使用し当時の海軍常識を変えたとされています。

 ロシア旅順艦隊司令長官マカロフ座乗の「ペトロパブロフスク」撃沈(世界初の機雷による戦艦撃沈)です。

 ただし、この後、日本海軍もロシアの敷設した機雷で、戦艦「八島」「初瀬」を喪失しています。

 なお、日露戦争の3年あとでも、周辺海域では民間船の触雷事故があったようです。

 

 

〇記念艦「みかさ」乗艦記念写真撮影スペース

 

 当時の海軍の帽子や上着(参謀の金モールつきもあり)を着用して記念写真を撮れます。

 子供用もあります。

 背景は有名な「三笠艦橋の図」です。

 海戦のイメージを印象づける最も有名な戦争画です。

 東郷長官の右後方で記録をつける秋山真之参謀(当時中佐)の袖章が大佐だったり、Z旗の一部の色や煙の方向が事実と違っていたりするようですが、写真ではないのでこの程度であれば話のタネということで・・・・・ (#^^#)