介護中のみなさまお疲れ様でございます♪

 

k@ヤッチロ、久しぶりの朝ファミレス(夕方まで母がショートだから)

 

叔母とのトラブル、ていうか

叔母のキレた留守電を朝晩聞いては

自分のなかでまだ消化できずにいるkです。

 

その理由は以下↓

 

 

 

 

私が叔母に逆らえない理由は

 

①「母が家を無償で借りているから。」

 

そして「②時々叔母にみてもらうから」・・

 

(これについては、過去2年半以上にかけて叔母の用事を引き受けてきた実績と

現在はそれはやめ(叔母の要望が果てしなすぎるので)

その都度、叔母の用事をそれ以上に叶えているので、相殺してるつもり)

 

と。

 

反論したり逆らうと「③めんどくさいから」

 

というのがあります。

 

 

ことごとく・・

叔母は「不満の多い人間」というか

「不満ばかりの人」で

「要望もきりがない人

なので

 

さんざん今まで、ただ働きをしたけれど

そのことについて感謝されることもなく

熊本まで二時間かけて朝5時や6時から眼科へ連れていっても

その手術で一週間近くの入院時には、

「猫の世話」のため叔母宅に泊まらせられても

その時期は夫の母の危篤時で私は本当は気が気でなかったし、帰りたかったし、

そのこともちゃんと伝えていても叔母を優先したのだけど、そんなことがあっても

 

「痛かった」

「手術なんかせんがよかった」

と二年たった今でも言われつづけ

他の人にまでいいふらされている。いまだに、である。

(熊本1,九州一と名高い評判の名医なのに)

(実際に視力があがったのに)

 

叔母の昨年の誕生日に数えで米寿なので叔母が行きたいといった

コロッケさんのディナーショーに、母とお金を出し合ってチケットを買ってプレゼントしても

 

「面白くなかった」

「ぜんぜんしょーもなかった」

 

とコロッケさんがテレビや話題に出たりするたびに、いまだに目の前でいわれる

 

先日、兄がきたときに腕を出して

「k、腕がかゆい」「なんか貼って」「なんか塗って」

 

というので薬をぬってばんそうこうを貼れば次の日に

「あんたが貼ったばんそうこうでかぶれた」

 

スマホが時々調子が悪くなっていとこ(叔母にとって義理息子)に要求し

いとこが八代に来た時に、ショップにいって

新しいスマホに交換したら

 

「こんなんば買ってやらすとばい

「こぎゃんとはすかん」

「全然わからん」

 

車(いまは免許返納済み)を

「ねえちゃんの最後のお願い(はぁと)」「車買って」

と前述のいとこ(甥であり義息子)におねだりし、安い中古を買ったら買ったで

(このときも私は、安物の軽を買うくらいなら今の軽を修理して車検通したほうがいいと何度も言ったのだが)

 

「こんなボロ車」

 

その車をろくに乗らずに

アクセルとブレーキ踏み間違いで大破したら

 

「えんせきがあれば、こんなことにはならなかった」

 

車に関しては本当にいつも毎度乗り換えても毎回毎回、自分の車を「ボロ車」といっていた。

こんな言い方してたらきっと車のほうに愛想つかされるはずと思っていたので

叔母が自損事故で買って半年もたたない車を大破して免許返納になっても

わたしは全然驚かなかった。

 

ほかにもエピソードは果てしないけれど

 

上記は「不満が多い」ですが

 

以下は今度は

「誰とも家族にならずに」

「一人暮らしを続けた人が」「90近くになった場合の弊害」

 

いまの若い人は、結婚願望が薄いらしい。

年取ったときが寂しいよということをきいても「死ぬときは一人なんだから」といって結婚しない

まぁ、アリだとは思う、思うが。

若いときはそれでいいが。

その人たちが結果、誰とも暮らさずに90近くまでなったときに起こることは

ただ「寂しい」だけじゃないことを考慮したほうがいい。

 

途中で連れ合いを亡くすことはよくあることだ。

離婚だって。もちろんある?

わたしもバツイチだ。


ただ、その人たちには

「夫や妻と暮らしていた」経験がある。

この、「誰かと暮らしてた」「誰かと家族をやっていた」という経験があるかないかは

大きく違う。

 

猫や犬とだけ暮らしてきた一人暮らしの人は

90近くにもなれば大抵

「猫や犬としか暮らせない」ばあさん

になるんだよ。

 

だから、結婚しないならば、

同棲くらいはしたほうがいい。

誰かと一緒に住み、誰かと同じ目標を持ったり、同じ時間を過ごしたり、一緒にお金の計画をたてたり。予定をあわせてどっかにいったり、喧嘩したり仲良くしたりの経験は

ひとつひとつはとるに足らないことでも

あとから大きな差が出来る。

 

家の中に、犬や猫しかいない人が年をとることがどういうことかといえば。

あくまでうちの叔母の場合であるが。

 

〇自分が起きたら、電話をかけたり、

自分の用事がすんだら電話をかける(夕飯時でも)

→家族がいたら「こんな時間は迷惑だからやめとき」と注意する

 

〇難聴になる確率高い(猫や犬をしかりつけるため)

→家族がいたら「外まで怒ってる声が聞こえるから恥ずかしいからやめて」

 

〇難聴になった結果、テレビの音がバカでかい

→家族がいたら「うるさいから小さくしろ」というクレームがくるから音を絞るか、イヤホンかになる

 

〇頼む人が身の回りに一人もいないため、身近な親戚や他人にお願いするようになる

→家族がいたらまず家族がするだろうし出来ない場合でも

「人さまには頼むな」「お店やさんに頼め」「タクシーを使って」と言われる

 

〇ケチになる(お金を使うことが嫌なので無料でしてくれる人を使う)

〇そのために溜まった小銭で人と遊びにいき、そのたびに自分がお金をだしたりする

→家族がいたら「わりかんにしろ」「借用書を書いてもらえ」「簡単にお金を貸すな」

(実際に、借金申し込まれることにぶつぶついうので、

私が借用書を作って叔母に渡したことがあるが、

貸す相手に「セコイ」と思われたくないのだろう、そういうものを一切使わない。私の努力は水の泡になる。なら、ぶつぶついってんじゃねえよ、って話)

 

〇タクシーは勿体ないといって歩く。(医者や見舞い時には「足がない」と騒ぎ、送迎を要求する。が、人との食事会、飲み会、遊びには自らタクシーでいこうと提案してまで行く。)

→家族がいたら、家族が送迎するか、そうでないときはタクシーで行けと言われるだろうことばかり

 

→歩いた結果、明らかに熱中症になってダウン。

しかし、熱中症ではないと怒るのでなんもいえんくなる。

 

〇買いだめをしない

→家族がいたら、せっかく出かけたなら、特売などであればトイレっとペーパやティッシュなど腐らぬ日用品は、余分に買うだろう。

 

〇Aさんと逢っていることをBさんに隠す

(要は、AグループBグループはたまたZまで、誘われれば誰にでもしっぽを振ってついていくため、自分と本当は仲良しAと、中悪いBとでも行くので嘘をつくことになる)

→家族がいたら、まずそんな遊びに行く暇などないし、節操のない付き合いには

きっと家族が注意すると思う。

 

〇姪といることを弟と義理妹には隠し、

弟夫婦といることを姪と妹には隠す

→家族がいたら、姪や弟夫婦と逢うこともそんな日常的にはないと思われる。

 

〇他人に「わたしたち兄弟は仲がいいといわれる」自慢

→家族がないために、自分の兄弟に依存しまくりなのでコンタクトをとりたがる、会いたがる。近くに住んでいる弟夫婦(私の叔父)を自慢すること多し。

→実際に用事は私のほうが叔父よりもたくさんこなしているのだが、叔母にとってかわいいのは実の弟である。

 

実際の弊害として弟の嫁である叔母2がいっていたことは、

 

子供が小さいころからこの叔母の「頼みごと」の電話に我慢を強いられてきている。

さぁごはんよと言って夕飯を食べようとすると、叔父に叔母から電話がはいり「いますぐきてくれ」と

子供たちは「おとうさん、また?」と不穏になる

こんなことが本当にしょちゅうだった、ずーーっとだった、という。

 

人にかけていい時間帯とか、

人に頼んでいい事柄とか、そういうものの区別がつかずに

 

まず、叔父や私にものを頼む

業者やプロには頼まずに、まずそうやってただで来てくれる人に来させる。

 

〇結果、叔父が、「僕に用事のあるときは、まず、妻にいってくれ」と言われる

そういって私にぼやくが

「叔父さんは、叔母さんの弟である前に、一家の大黒柱なんだよ」

といくらいってもわからない。

 

弟に頼んでなにがわるい、となる。

 

同じ理由で、私のいとこであるY君のことも

 

「彼女ができる前は夏になったらお肉とか送ってきてたのに、いまは全然送ってこんとばい」

 

 

といってぼやく。

買ってもらった車やスマホなんかはたなにあげ

文句しか言わない。

 

家族を持つということがどういうことかもわからない。

妻や子供にいかに気まずいこともこれまであったろうと思う。

 

が、叔父はそれなりに金銭的に叔母には援助されたりしているので

その分少しは報われてはいると思う。

それでも限度はあるだろうが。

 

ほんの少し抜粋しただけだが・・。

 

他の大きな頻繁にある弊害といえば

「お土産を要求する」

うちの兄(関西の土産)

H子さんの妹(神奈川の土産)

「今回はないの?楽しみにしてたのに」

H子さんもドン引きしてるし

(H子さんも妹には近所への土産は持ってこないでいいと言っている)

兄も困っている。

(兄に関しては私が持ってこないでといったと言ってくださいといってある)

 

親戚や近所の人の遠方の家族にまで

土産を要求するのは本当に非常識と思う。

家族が居たらこれも勿論、激怒しやめさせることと思う。

 

****

 

私はこないだの留守電により

気分を害しているけれど

おかまいなしに(忘れたんか、忘れたフリをしようとしているのか)

電話かけてくる叔母に対して

どういう対応をすべきか考えている。

 

昨日は夫に片付けにきてもらい、夫と玉名の温泉にいってきてゆっくりしたんだけど

そこでふとみたら

私が電話に出ないからか、母の携帯にも叔母から数回、電話がはいっていた。

 

自分が寂しいからだろうが。

 

そしてこうやって私が電話に出ない日が続くと

今度は人に

「kが電話に出ない」「だからもうかけんとたい」

と言いふらす

肝心の、自分がいやな留守電をしたからkに出てもらえないんだということは

一言もいわずに(もうなかったことになってるのか?)

 

私が出ないことだけを、人に言いふらすのが叔母だ。

 

眼科のことだて。

視力が0.03から0.8,へ、いずれは1・0以上になりますと言われたときまで診察には私は同席しているので知っている。

だが

人には

「0.03から0.8に上がったこと」はいわずに

「行かなければよかった」「痛かった」とばかり言いふらし結果私は

「ヤブ医者」に連れて行ったということになっている。

(そもそも叔母の白内障は、八代では手術できないと言われていて、それを嘆いていたからこそ

熊本の名医のところに行く母のついでに行きましょうかと聞いたのである)

(本当に余計なことをしてしまったと今はもう、後悔しかない)

 

家族がいないためにいう人がいないため

あちこちにいうのでうんざりするのだ。

 

ほとほと。

疲れるのだ。

 

ほとほと。

困るのだ。

 

ほんとは

関わりあいたくないのだ。

 

しかし母が家を借りているのだ(泣)。

 

本当は言いたい

「あんな電話よくできますね」

「H子さん、ドン引きしてましたよ」

と言ってやりたい

 

H子さんは叔母の近所なので

波風たてたくないだろうから、言えない。

 

椎間板ヘルニアは

ストレスも原因なのだそうだ。

 

叔母からの留守電をきいた二日後に起こった坐骨神経痛。

 

無関係ではないのかもしれない。

 

しかし。

叔母は、昔から自由な人でもあったけど

ここまでわがままで迷惑をかける人ではなかった。

 

年がいくと

こうなっていくのだ。

そして恐ろしいことに

本人は気づかない。気づいてない。

本人は普通に一人で暮らしていると思っている。

多少体が弱っても、一人で迷惑かけずに生きてると思ってる。

 

お金を払う判断の基準、も変わっていく。とか

人への配慮が出来ない。とか。

自分勝手な行動、言動。

我慢が出来ない。

 

それは少しずつ。

認知症のように前兆は思い返せばああ、あの頃に、という感じで

こちらも発症する。

「おかしくなったら施設へ」といっていた人が

一人暮らしを続けて90近くまでいれば

 

家族以外にそれを進める人がいない人は

包括や医師がすすめたって、「要介護認定」さえ、ものすごく難しいものなのだ。

 

なにか大きな事故や病気がない限りは

すすめられても聞く耳は持たないだろう。

「弟と姪がいます」といって、これからも私と叔父に頼るのだろう。

 

とんでもないのだ。

私にとって

 

母のことなら高熱でも出来ることがあっても

 

叔母のためになら、いまは電話すら出たくない。それが継続できる。

 

母と叔母では雲泥の差がある。

堪忍袋の緒は、

母にはなかなか切れなくも。

叔母には簡単に切れるのだ。

私は叔母に恩義を感じているからこそ、

何も言わずに我慢しているだけだ。

 

そんな困った一人暮らしの

まさしく

「老害」

にならないために

 

私は結婚や同棲、誰かと暮らすこと、

親元から遠くで暮らすことを勧めたいです。(せめて簡単に人には頼れない状況をつくることにより迷惑をかける人を減らす)

 

誰か好きな人ができて

一緒に時間や温度やテレビ番組や行動を共にすることは

多少ウザいところがあったとしても

それは

愛しいウザさなんだということを知ってほしいです。

 

 

 

 

ああーー

夫との温泉。

 

昨日のことなのに。

遠い遠い過去のような感じ・・

 

現実逃避したいっす(泣)

 

不満ばっかいうよりも

良かったことを何度も思い出すほうが

ずっといいっていうことに

どうして叔母は気づかないんだろう。

 

結婚して家族を持てば。

自分の家族は、いまの家族であり

兄弟は兄弟だが、「家族」とは違う親戚に近い存在になったりするし

その連れ合いなど更に親戚でしかない。

 

そしてなによりも。

 

誰かを「一番大切」に思い

誰かに「一番大切」と思われる生活。

 

それがなかった叔母は、

日常的ないろんなことを見て

いま。

「ああ、猫としか暮らせない人だな」って思えるのだ。

 

50年以上前から叔母はその生活をしている。

50年前には思わなかったことなのだ。

 

 

だからこそ。

ペット、ではない同居の人がいるかいないかは

その人の人生の形成に非常に色々と影響するものだと

いま、つくづく感じている。

 

彼女が30代のころは、それこそキャリアウーマンのようで

子供だった私からみても

それは恰好いい女性だったのだから。