最近、仏壇に手を合わせた?

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戦後の住宅設計から仏間、仏壇の設置場所が失われたのは、公営住宅からだったと云われます。神棚も同じです。

 

戦後、「国家」「民族」「宗教」は、日本人の団結と自己犠牲の精神を恐れた者たちにすべて悪者にされましたから、その流れでしょうかね。公営住宅の設計も、政教分離だったのでしょうか?むしろ信教の自由は、間取りとしては保証されなかったようにも見えます。文化的な生活も(笑 落語では裏長屋にも仏壇が出てくるのに。

 

仏教国で各々の家に仏間を作ったり仏壇を置いたりして、位牌を置き、先祖を供養するのは日本だけだそうです。

 

日本人の先祖に対する感謝、尊重を以って「祖霊信仰」とまとめておきますが、その文化は、仏教と習合し、日本独特のお盆、お彼岸の行事が生まれたと云われます。

 

私は自然信仰、祖霊信仰の我が国における結晶としての神道(古神道に寄りますね)、次に中村元氏が明らかにした原始仏教が好きで、我が国の宗派仏教は、是々非々で観ております。上古から圧力団体、利権集団になった嫌いがありますからね。特に、「立正安国論」と「人間主義」の系統は避けさせてもらっていますが。

 

そんなわけで私自身は仏壇に執著することはなく、そもそもの仏教の教えにもないのですが(執著も仏壇も)、しかし、代々続く古い家にある立派な仏壇を見ると、素直に「ああ、良いものだな」と思います。

 

現世を生きる家人が家に置かれた仏壇の存在を意識するとき、拝するとき、ちらっとでもその家の祖霊、先祖を想うきっかけをつくる装置としての作用があります。そしてそれは仏前に集まる血族縁者の一体感を醸成したり(ときに憎しみも増幅することもありますが)、客人の敬意を受け取る場であったりと、家の中の祭壇としての仏壇は人と人をつなぐ装置であったようにも思います。

 

小さい頃は、仏壇はただただ怖かったですけれどね。いまでは心和む景色です。

 

仏壇をみて「非科学的信仰」とか、「過去の因習」と切り捨てる人々がいて、それはいかにも狭量な心持ちに見えます。そして、そうした人々に科学信仰、国や民族や宗教を悪者にした左翼や戦勝国のプロパガンダの影響を見るのです。

 

私には、彼らは過去や歴史、そして人々の自然な営みから目を背けているように見えるのですがね。物事の来歴や眼前の現象から目を背け、紋切り型のレッテルを貼って思考停止するのは、少なくとも「科学」的態度とは言い難いですが…。

 

ついでですが、彼らのうち現世の人さえ良ければ良い、今生きている人間だけが大事だ、という人々がいます。これは過去にも将来にも責任を負わないという宣言と見ていて、私は、これを軽蔑しています。

 

さて、仏壇のある家は、四割を切ったと言います(参考)。

 

和室は、約二割五分の家から姿を消したそうです

(和室はいま見直されているようですが)。

 

3LDKとかで表現される「家」は、どこか味気ないものです。

 

幸魂奇魂守給幸給クローバー