アフガニスタンは支那と国境を接している。
しかもあの新疆ウイグル自治区を通じて。
アフガニスタンはレアアースを含む地下鉱物資源の豊富な土地で、アフガニスタンをめぐる米ソの対立は地政学上の問題だけじゃなく、資源利権の争いでもあった。
そのアフガニスタンで、訪中したタリバンがといううちに現政権を制圧し、実験を握ることになった。タリバンは、仁義を切って中共政府に支援を求めに行ったのだろう。つい二週間半前の七月末のことだった。
一昨日、八月十五日には、タリバンがアフガニスタンを制圧したという親米政権のガニ大統領の声明が世界を巡った。
電撃作戦である。
バイデン大統領が、アフガニスタンから米軍を撤退させる発表から、さほど時を経ていない。
アフガニスタンの南にあるNPT条約に加盟しない核保有国パキスタンはもとより親中で、中国からの厚い支援を受けている。ウサマ・ビン・ラディン率いるアル・かイーダの面倒をみたタリバンを育てたのもパキスタン。アフガニスタンの西イランは今や中国と足並みを揃える親中国、その先のイラクも関係を深めている。
今年の二月軍部クーデターにより民主政から軍政に移ったミャンマーも、軍部は親中・親ロシアと言われる。敗れたスーチー女史は欧米の利益を代表していた。
中共は、ペルシャ湾への陸路を勢力下に収め、親中ミャンマーからインドを挟み込み、事実上、その版図を大きく拡大したことになる。
ペルシャ湾を挟んでイラン、パキスタンと向き合うアラブ首長国連盟、パキスタン、そして中国本土と国境を接するインドの二カ国には、安全保障上の大きな圧がかかるだろう。ことにインド(およびネパール、ブータン、バングラディッシュなどのインドにとっての緩衝地帯も)は周辺国がすべて親中国になった。
この中共の勢力拡大は、インド、豪州、米国、日本で形成する「セキュリティダイヤモンド構想」への意趣返しにも見える。
支那に対する金融利権を有する米国民主党のスポンサーたちは、総力を挙げてトランプ大統領をホワイトハウスから追放し、バイデン政権を擁立した。バイデン大統領はもとよりアフガン撤退派だった。とはいえトランプ大統領もタリバンと和平を成立させ、経済的な理由からアフガンからの米軍撤退の方向には動いていた。
両者共に、アフガンに樹立した親米政権がそれなりに機能する前提で。
支那利権を巡り、また米国は割れるだろう。欧州も割れ、日本もさらに割れる。
支那共産党は資本家であり人民解放軍の主。内部抗争はあれど外観は一体化している。利権によって分断されている自由世界とは異なる。加えて自由世界のどの国も、「小さな政府」こそが理想と言わんばかりに国家の役割を縮小してきた。支那にとってこれは相対的な強みとなろう。
しかし中央アジアから中東にかけては、近代西洋国家的な国家は存在せず、族長が群雄割拠する土地柄だった。イスラム教徒の過激派が存在するあの地域では、タリバンの支配を快く思うものばかりではなく、対立組織も存在する。文化史に基づけば地盤はさほど強くはない。タリバンがある日中共を袖にすることもありうる。
そして支那は、無論、あの土地柄の「癖」というべき易姓革命を繰り返してきた人民の集まりである。共産党内部の利権争いで一枚岩ではないというのは盛んに噂されていることだが、案外内部破壊工作に弱いかもしれない。
そして、支那共産党の力を借りてタリバンの、イスラムの理想を実現できるのか、イスラム教徒としてそれで良いのかは、割と自前でやってきた我が国から見れば興味深いが、その前に、文化史的地盤の緩さが、次の騒乱の根を産みそうな気もする。
因果応報、諸行無常を目の当たりにしそうでもある。
古人は「春秋に義戦なし」と言ったが、先の大戦後、世界から「義」が失われて久しい。支那共産党にも米国にも義はないだろうし、支那の手を借りるタリバンにもなさそうだ。しかし、支那共産党はその世界に対する、知財を剽窃し途上国を債務の罠に陥れる経済のチート行為、そして今般のような安全保障の枠組みへのチート行為によって、比較論において野蛮だとは言える(かつて西洋諸国がしてきたことでもあるが、同じようにして再び世界を泥沼にしようとしているのが支那共産党ではないのか)。
文明論的な視点はさておいて、台湾にもタリバンが居よう、沖縄にも。中共は返す刀で極東アジアへの侵攻も強めることに備えなければならない。
しかし我が国も戦後、敗戦利得者と左翼の支配する世になって、「義」を再興できる可能性は乏しい。
唯一、陛下だけが我が国のまさに「統合の象徴」として、再び民と手を取って「君民共治」の再興を果たし、世界と距離を置くしか、我が国が我が国であることを保てなくなってきているような気が、強くしている。
だが、今はただ眺めるしかなさそうである。
幸魂奇魂守給幸給