核兵器を禁止すれば平和な世の中が訪れると考える人々は、「できない昔には戻れない」というリアリズムが無いのでしょうかね。

 

 

 

核兵器は、もはや出来てしまったもので、できない昔には戻せないのですよ。

 

禁止したところで、必ずその禁を破る者が現れる。

 

禁を破った者を、誰が、どのように核を取り上げ、どう処罰するのでしょうかね?

 

刑法上の殺人ならばその国の司法が裁けますが、核兵器はレベルが異なる。

 

人類は未来永劫、核の恐怖から逃れる手立てはありません。

 

核兵器の存在を認識しながら、その使用を食い止める不断の努力を続けることしか残されていません。

 

不断の努力には三つの方向があります。

 

ひとつはひたすら核を持つ者たちを刺激せず、ただひたすら恭順の意を示し、奴隷同然の扱いを受けてもなお生き残る途を求める。

 

もうひとつは、言論で抵抗する。核兵器禁止条約は、これですかね。条約を締結しない国には「約束違反」は存在しないわけで、同時に条約締結国には核保有国を力でねじ伏せる力はありません。言論だけです。

 

三つめは、実行力を伴って対立する。人の往来と経済を封鎖し、相手との関係を断つ。その力の根拠に、究極は相手を滅ぼすだけの核兵器を持つ。刺し違えに持ち込める成否はわかりませんが、その可能性は担保される。これが「抑止力」ですな。

 

一つめも二つめも、滅びの道です。これらを選ぶ人々は、つまりはハナから抵抗を諦めたことを見透かされ、実質的具体的な抵抗はないと見極められ、良いようにされる。ほとんど意味のない自己欺瞞で終わるでしょう。ある意味、核が落ちたのよりも始末が悪い。

 

三つめだけが相手に一矢報いる可能性がある。だから具体的な抑止力となる。

 

一矢報いるのは、怒りや正義の発露の結果ばかりではありません。

 

自ら核兵器を持てば、「核兵器を持つ」ということにまつわるさまざまな知見を得ることができます。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。核保有国と同じ目線に立つ。実は実効的な「核兵器問題」は、同じ目線に立たなければ見えてこないようにも思います。核物質や兵器の管理、運用の方法論とそのリスクや欠陥について、他国と自国の比較において識る。核兵器の取り扱いには膨大な規則、手順、そして規律が要求されるはずです。核戦争の前哨戦は冷戦以来続いていて、そこでの人知れず白熱した情報戦、知力戦が大規模な戦争を止まらせている面もあるのではないか、と見ています。

 

仕返しに相手に一発ブチ込めれば良い、という話だけでは全然ないはずです。

 

 

 

 

 

ついこのあいだ、中国では『六軍韜略』という「民間組織」の軍事チャンネル(全体主義共産主義国家において官と民とを分ける意味合いはあまりないと思いますが)が、日本が台湾に介入するならば対日全面戦争を起こし、核攻撃を開始、「日本が無条件降伏」するまで「核を落とし続ける」と言う提案映像を作成して、ちょっと騒ぎになりました。

 

野蛮で残忍で底意地の悪いことが得意なシナ人(むろんシナ人がみなそうではないにしろ)、現代史をみて公約を守ったことのないシナ共産党(「核先制不使用」の公約がある、らしい…)の考えそうなことで、そのあまりに低俗で愚劣な心根に蔑笑してしまいました。「無条件降伏」だなんて、誰が吹き込んだのだか(笑

 

しかし同時に、この『六軍韜略』のようなおバカな発想こそ、我が国が核武装すれば封じ込められるものであるということが私の中ではより明らかになりました。あ、ついでにNews Weekの記事では、中国湾岸で核戦争が起きれば自国への影響は免れないのに、そこは考えていないなどと書かれていましたが、シナ人を知りませんね。自国民に少々影響があっても埋めれば済むのですよw

 

 

米国は、件の動画の後、その動画のこととは言いませんが、ブリンケン国務長官が中共の「核戦力増強に深い懸念」を表明していました。米国は敏感になっているようにも見え、不穏さのムードが濃くなった印象もありますね。

 

言っておきますが、自然信仰と祖霊信仰の民が暮らす我が国には、核兵器のような大量殺戮兵器は自然と人を一網打尽に破壊することから、その心性においてまったく似合わない、忌避したい存在だと思っています。ただ、それだからこそ核兵器について徹底的に研究してほしい、という思いがあります。

 

反対に、自然信仰と祖霊信仰の国である我が国の人々が、おかしな念仏左翼と軌を一にして「原爆反対」と叫べば平和が保たれると言う思考停止を憂慮するものでもあります。

 

飛躍のように聞こえるかも知れませんが、「できない昔」に戻れない以上、核兵器に対して、近代市民革命以降の一神教悪魔的な思想的欠陥に覆われた世界に対して、中華思想と共産主義が結びついた危険な国、中国を生んだ現代文明の現実に対して、真に実効的な平和維持の手段を常に追求する責務が、原爆で、戦争で命を落とした人々に対してあるのではないかと思いますがね。

 

そして共産主義を含む西洋文明に対して、歴とした対立軸となる伝統文化・思想を持って冷静に対処できる力を持つのは、我が国を置いて他にないように見えますが。

 

逆に、似非西洋人に堕し、他国に怯懦を隠し揉み手で私利を追求し、あるいは片手落ちの言論でのみしか騒げない人ばかりになった今の不実は、いずれ歴史になじられることになるでしょう。

 

 

幸魂奇魂守給幸給クローバー