最近思わずガッツポーズしたこと教えて!
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1974(昭和49)年のこの日、東京・日大講堂で行われた「ボクシングWBCライト級タイトルマッチ」で挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)にKO勝ちしました。
そのときコーナーポストによじ登ってとったポーズを、マスコミが「ガッツポーズ」と表現しました。
このポーズはそれ以前からありましたが、この時からガッツポーズと名付けられて日本中に広まりました。出典:366日への旅
ガッツポーズを禁じられている世界があります。剣道試合では明確に禁止されていて、一本取った後でもそうした態度を見せれば、その一本は無効となります。
全日本剣道連盟「剣道試合審判細則規則」第24条
規則第27条(有効打突の取り消し)不適切な行為とは、打突後、必要以上の余勢や有効を誇示した場合などとする。
剣道の場合には、「礼にはじまり礼に終わる」と言って、試合や稽古をしてくれた相手に感謝を示すと言われています。また、「敗者への配慮」という人もいますし、「謙虚」であるというかたちを見せるということをいう人もいます。
それに、そもそも実戦を想定した剣術の稽古です。実戦では、切られた方は、大怪我を負うか落命します。実戦では、喜びや達成感が心の隙を生み、次の敵を見失うことを戒める意味もあるでしょう。あるいは、敵といえども、倒した喜びよりも、弔うことを優先する精神につながります。
ラグビーでは、試合終了をかつては「ノーサイド(No side)」という言葉で示していました(いまは "Full time" だそうです)。試合が終われば敵味方なく、互いの健闘を称え合う。同じ仲間である。という意味合いです。ですので、自分の喜びを示すガッツ・ポーズは少々馴染まない。
トライしたらガッツポーズをする選手が多いことです。これは、ラグビーに馴染みません。トライしても、15分の1の責任をまっとうしたにすぎないから、パスを回してくれたほかの皆に感謝しなければならないのに、俺がやったとばかりにはしゃぎ回っています。
「ラグビーにガッツポーズはいらない」
日比野弘 日本ラグビーフットボール協会名誉会長に聞く
勝利した時、達成した時、自然とガッツ・ポーズが出てしまう。喜びを隠せない。それは否定しません。また、周囲と喜びを分かち合う作用もあります。見ていて微笑ましい。人がガッツポーズをしているのに共鳴して喜ぶ気持ちもわかります。
しかし「もっと喜びを表に出せよ」とか、「ガッツ・ポーズを」とか、他人に求めるのはどうかと思います。「放っておけ、おまえと同じレベルに引き摺りおろすな」と。仲間や周囲の貢献のこと、敗者のこと、それを観るもののことを気遣ってのことかもしれません。
剣道がオリンピックの競技種目になっていないことは、歓迎しています。形式上、「喜びを隠す」というのは文化で、そうでない文化に侵食されると壊れてしまう心配があります。このまま保存していた方がいい。
勝敗や達不達に喜怒哀楽を、”あえて”示さないのは、美学でもあります。日本人の無常観と倫理観に支えられた美学ですな。そして、勝者は敗者が存在してこそという、エコシステムを尊重する。敗者を見下す世の中には、おそらく幸福はないでしょう。
ガッツ・ポーズの文化と、ガッツ・ポーズを禁止する文化。その両方があり、使い分けられるのが、また文化でもあります。
松任谷由実、”ノーサイド”
Good Luck