ここ1-2週間のあいだに、いろいろと世の中が動いていますね。

 

米トランプ政権でティラーソン国務長官が解任されました。なんとなくそんな予感がしていましたよ。ティラーソン氏は、どこかトランプ大統領のブレーキになっている印象の発言が目立ち、「ん?」と思うようなことが多かった。大統領が、良し悪しは別として、白黒はっきりつけスピード感のある姿勢を好むのに対して、ティラーソン氏は、玉虫色で先送り的な姿勢を好む印象がありました。

 

ティラーソン氏は、元エクソン・モービルCEO(バリバリのロックフェラー系ですね)、キッシンジャー・スクール、一時は親ロシア(共同油田プロジェクトでロシアから叙勲されている)・親中で、トランプ政権入りの前に変節を演じて見せたけれど、やはり化粧が剥がれ落ちて来たというところでしょうかね?過去の対露姿勢も嫌われる要因だったでしょう。何より、いちいち不要なプライドも滲んでいましたな(BBC)。早い時期に解任されたスティーブ・バノン氏はトランプ大政権擁立の立役者でしたが、彼もトランプ氏を上から見ていたフシがあって、2人ともレク(レクチャー…官僚や下級議員がリーダー政治家に入れ知恵するやつですな)で嫌われたかも。

 

Rex Wayne Tillerson

 

ところで、日本でも領土議連に左派(自民党左派も含めて)がいますけれど、対立軸が明確なエッジの問題には必ず反対勢力や融和派が忍び込む。そしてじわじわとその勢力のブレーキとなったり方向を変えたりする。”スリーパー・セル”っていうと語弊がありますが、ティラーソン氏もそうした存在に見えました。トランプ政権に入り、一定の勢力への利益誘導を担ったかもしれません。トランプ政権の尖んがった部分をなまくらにするような(好意的に言えば「ソフト路線」ですが)。リーダーは、反対勢力の内部侵食という敵をどのようにあしらうかが死命を決することがあります。

 

 

さて、文在寅韓国大統領はブルー・チームにとっては覚醒したスリーパー・セルみたいなもので、対北朝鮮強硬派の力を削ぐのに粉骨砕身してきました。ですが、「大量破壊兵器の存在」というデマでフセインを倒したアメリカです。BEP(Break Even Point=損益分岐点)を超えて自国利益になるとなれば、文在寅氏がいくらうろうろしていても、やるときはやるでしょう。これまでの努力は実るのかどうか、見ものです。

 

イラク戦争の時には石油とドルの信認がかかっていました。フセインはイラクの石油をユーロ他の通貨で決済できるようにすると画策していた。だからフランスやロシアがイラク戦争に反対しました(きっと石油利権交渉でいいところまで行っていたのでしょう)。近代以降の戦争は利権をめぐる謀殺の延長上にあるといえるでしょうね。

 

ですが、北朝鮮はあまり儲かりそうにない。覇権を拡大する中共を叩くための踏み台にしかならないようにも見えます。対北朝鮮の戦費は、案外、韓国に強く迫っていて(当然、日本にも)、あの国はどちらに転んでも経済破綻の崖っぷちにあるのかも知れません。韓国の財政については、どのスポンサーも、もうこりごりとソッポを向いている状態ですから。米国は、韓国が赤い旗色を鮮明にするのか、再びIMFに泣きつくのかを待っているかも知れません。

 

まあ、そんな中で、文在寅大統領(と金正恩委員長)が平昌五輪の政治利用をテコに仲人役となってアレンジされた米朝首脳会談のオファーで、トランプ大統領がポジティブな姿勢を見せました。トランプ大統領といえども、核放棄・和平へのオファーは蹴りにくい。偽装だとしても、世界のメディアが見守る中ではね。内心は、様子見、ないしは揺さぶりをかけるのに十分な時間がある、といったところでしょうかね?

 

いずれにしろ金正恩総書記の真意と、核廃絶の具体的な道筋が不透明ですし、文在寅氏の目指すのは、北とのゆるやかな連邦制だと云われたりしています。すると、やはり、”ユーラシア大陸”全体の”気圧”の変化を注視する必要がありそうです。習近平主席の任期撤廃決議は、どちらかといえば米国の反中陣営にとっては、adversaryな向かい風ですね。ですが、突如変節してシナが米国に恭順し、対北強硬派は世界で日本だけ、となるシナリオにも注意が必要ですね。ともあれ、少なくともイラクの時を例を引けば、米国も北朝鮮の核兵器に対する「無条件査察」を要求するくらいはやるでしょうから、その時の軋轢を考えればあまり心配しなくても良いのかも知れません。

 

さて、日本では森友学園の土地払い下げをめぐる財務省の「文書書き換え問題」で、混乱が起きています。改憲や北朝鮮・中国・韓国への強硬姿勢を嫌う人たちが騒いでいる。いつものことですが、敗戦後に巣食った日本国内の反日・日本弱体化を目論む勢力は、ある意味明確な工作員で、これは、さまざまな理由で掃除ができずにいます。李氏朝鮮と李承晩の後継者たち、…文在寅やあるいは、共産主義をルーツに持つ習近平、金正恩の一味です。そしてリベラリズムの皮をかぶった米国の親中左派も。こうした勢力の寄生を無理やり剥がすと、ホスト(宿主)の方もまた無傷では済まない程度に病んでいる人が、時代が進むにつれて増えているのかも知れません。それは日本の権力機構内部の人にも顕著に浸透していて、政治家はいうに及ばず、官界、法曹、財界、教育界、医療、言論・マスメディア、反社会勢力、…そしてLINEを使うすべての人々…。

 

 

産経新聞Webより

 

たとえばパクス・アメリカーナの緊張と弛緩の中で我慢しながら少しづつ”日本”を回復するのか、中共や朝鮮半島による日本の蚕食を許しながらアジアの敗戦国のままで居続けるのか?と二者択一的に考えた場合、前者の方がマシだし、可能性が高いと思うのですがね。

 

今回リブログさせていただいたフレシュールさんのブログで紹介されている日経ビジネスの記事は、日本の「新三要件」に基づくシビリアン・コントロールがいかに現実からかけ離れているかを示してくれます。また憲法9条2項の改正の必要性についても納得できるものです。しかし、元自衛隊幹部の話者は、日本の核武装も敵基地攻撃能力も否定します。その心底にあるのは、日経ビジネスという媒体や対外的な配慮もあるのでしょうが、戦後の平和主義の価値観で改憲をオブラートに包んだようにも見えます。国防を他国の侵略に対する抵抗の意思表示と考えるならば、最小限の装備で構わないかも知れません。ですがリアルに国土と国民を守る「抑止力」と考えるなら、自国の防衛力を限定的にするエクスキューズは、”本来”、余計なはずです。
 

 

さて、このオブラートに包まれた記事を読んで、ちょっぴりひねくれ者の”くま”は、ネットに落ちていた、山口敏夫氏(元自民党→新自由クラブ幹事長→1996年政界引退、詐欺・横領事件で服役後、現在は国民主権の会代表)の話を思い出しました。「政界の牛若丸」、「珍念」、「隙間政治家」と他称・自称して面白がられ、政治家としてもそれなりに露出の多い人でしたが、そのキャリアは汚職、虚偽証言、詐欺・横領などのオンパレードです。そんな人の言葉を引き合いに出すな、とお叱りを受けそうですが、下記に類する考え方は、政治家や官僚に近い筋や政商付近の人たちから何度か聞いたことがあるので、”くま”にとっては結構リアルなのです。

 

山口敏夫氏(1940-)

<前略>「あのね。憲法を変えるってのが自民党の党是だというのは、これは間違いない。間違いないんだけども、あれは憲法を変えると言い続けることが大事なの。その一方で、憲法9条は絶対に守るって姿勢は揺るがせにしちゃいかんのよ」 

と。その理由を尋ねると 

「武力を保持しない。自衛隊に関しては政府見解でギリギリ合憲にすると。しかし武力を保持しないという憲法は堅持すると。これはどういうことかというと、つまり平たくいえば、外征能力、敵地攻撃能力を持たないですよといってることなんだ。これが重要でね。じゃあ憲法改正しましょうと。改正して敵地攻撃能力持ちましょうとなったら、日米同盟が大前提としてある以上、それは単に『日本の兵隊さんがアメリカの世界戦略に従ってアメリカの指揮の元、死ぬ』ということなんですよ。そりゃね、第二第三の敗戦なわけ。それは絶対許しちゃいかんでしょ。だからね、昭和憲法が押し付け憲法だという人ほどこの点に慎重にならんといかんのよ。アメリカに押し付けられた憲法をアメリカが好むように放棄して、アメリカの世界戦略に組み込まれていくなんて、本末転倒でしょうが」 

 

いやぁね、しびれましたね。そうなんだよなぁこれが、昔の自民党のリアリズム。こういう人がいたからこそ、自由民主党は「ナショナルパーティー」たり得たわけです。 

この時、山口さんのとなりには、村上正邦さんがいました。 

村上さんといえば、生長の家出身の政治家、生長の家を基盤として政界での地歩を固め、自民党内極右勢力の首魁として長く君臨し続けた「参院のドン」です。彼こそが日本会議の生みの親とも言える。 

その村上さんが傍におられましたので、上記山口さんの見解を後刻(山口さんがおられたときは村上さん、もうお疲れだったので魔を開ける必要があったのです)、村上さんにぶつけてみました 

「あのね。これはあんまりいえんのだけど、そりゃ僕も、谷口雅春先生(註:「生長の家」の創始者)のご指導で政治家になった身として、憲法改正、自主憲法制定、なんだったら明治憲法復元とやってましたよ。今もそれは正しいとは思う。だがね、政治家やってると、人の命の話になるのよ、結局は。運動やってる時はいいよ。理念、理想、思想、それが何より大事。でもね政治家となって国家をあずかるとそればっかりではいかんのだ。結局のところ人が死ぬ。人に死ねと命ずるところがある。それをね実経験としてもってるとのもってないとでは違うんだ。だから僕は悩んだね。生長の家の人たちと運動するときと、自民党の政治として国家をあずかるときで、ふた通りつかいわけなきゃいけない。これが難しい。山口くんのは、政治家としての意見として、それは全くその通りだと思う」 

と。 

時間をおいて発生した、山口敏夫そして村上正邦との対話は、「なぜ、自由民主党は国民政党たりえるのか」を立証するに余りあるものでした。これが「リアリズム」ってもんでしょう。 

当然、山口さんも村上さんも、安倍政権が大嫌い。 

山口敏夫談「安倍さんのいうような、兵隊ごっこみたいな話では、とてもじゃないけど、現場がもたないんですよ」 
村上正邦談「僕らの悪いところ悪いところばかりを継承したようなもんで、安倍さんのは話しにならんのよ」

 

<後略>


mixiの記事<著者不詳>「自由民主党の強さ(菅野完リポートより)」の又引用です。

山口敏夫氏の発言

http://open.mixi.jp/user/37096804/diary/1963251304

※ リンクはすべて"くま"の仕業です

菅野完氏(「保守・右翼」を名乗る元レイシストしばき隊ですな)はこれが自民党の強さだと絶賛しているけれど、まったくそうは思えない----中指を突き立てたくなる---です。屁理屈にもならない。Exit(出口)はどこにあるのか?… あ、自民党の集票力の強さ、というのならなんとなくわかりますが…こうした考え方のDNAが与党の一部を支配しているとすると、厄介です。

 

山口氏の自民党の改憲へのスタンスは、戦後、ダレス国務長官による日本の憲法改正・再軍備への要求を退けたと言われる吉田茂首相が敷いた路線が捻れ切って、現在まで尾を引いているように見えます(吉田は実際は退けたのではなく、先送りしたとの説がある:出典)。一部には「アメリカ憎し」の気分もあっただろうと思います。けれど、朝鮮戦争とソヴィエト覇権が強まっている時代背景のなかで、取り敢えず「逃げを打つ」というジャッジは、アリだったかも知れません。しかし、そこを起点に完全に「敵」、あるいは「課題」を見誤ったように思うのですがどうでしょう。また、こうした考え方が、日本の病気を深刻なものにしていった。おそらく福田赳夫元首相の「人命は地球より重い」にも繋がっている。そんなバカな。

 

病気というのはつまり、日本に救う反日・日本蚕食勢力を病原とするものです。その勢力は日本の分断に成功しています。そして、その成功を助けた要因のひとつがこの山口氏の認識に見られる、出口のない欺瞞のオブラートにあるように思うのですがね。まだこの考え方に共感する長老の自民党への影響力が残っているとすると…

 

”くま”は、安倍政権が進める自衛隊を明確にする9条改憲はやっておいた方が良いと思う次第です。内容によりますがね。オブラートは避けた方がいい。しかし、同時に安倍政権が進めるグローバリズムと新自由主義的な市場原理主義はNGだと思います。それは行き過ぎれば、日本という国家を無国籍で無名の行政単位にしてしまいます。その中での改憲・軍拡で何を守ろうというのでしょうか?山口氏と同じ出口のなさを感じざるを得ません。…と同時に、日本の病気を放置するのは戦後レジームの脱却=日本の独立回復という点で、等価にNGだと考えているのですよ。

 

この気分のやり場は、こうした動きを知りつつ、昭和・平成の左右の政治の両方に批判的だった文筆家たちを仰ぐしかないのですがね。

 

 

 

 

 

 

 

Nolwenn Leroy & Andrea Corr, "Mná na h-Éireann(a.k.a Women of Ireland)"

 

なんだかアイルランド・フォークを聞いてみる。美しいメロディ。きっと気にいるよ。

 

 

Good Luckクローバー