夕刊とってる?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
ずいぶん前にやめてしまいましたね。出張先や旅先で夕刊があるのをみると新鮮です。昔、朝刊の記事の最終締め切りは前日の深夜23:00頃、夕刊のそれは当日の正午頃と聞いたたことがありますが、調べるとこんなソースがありました。
 
 
これをみると朝刊の紙面作成は当日の01:30までやっていることがあるのですね。夕刊はだいたい聞いた通りでした。
 
朝刊も夕刊も、遅くてもその日の朝5時台には届きますから、最終紙面が上がってからのロジスティックスの速さはすごいですよね。今はネットで記事を送ってDTP(電子写植)に流し込み、またネットで紙面のカンプを印刷所に送ってフィルムに落として印刷、配送です。ですが、昔なら、記者の手書き原稿から写植組んでいたわけですからさらにすごい。
 
日本の新聞だけが毎日宅配され、しかも郵便受けに入れられる。夜遊びして早朝4時台に車で走っていたら、新聞社のロゴがボディに描かれたトラックが爆走していた。山手通りの大崎の直角コーナーで片輪浮かせて曲がって行きました。営業所への配送だったのでしょう。最近は見かけませんが、「PRESS」と書かれたバイクが、首都高の渋滞の合間を超絶技巧でくぐり抜けていく姿もよく見ました。
 
トミカは朝日ですか…
 
紙面制作から、家のポストに届けられるまでのロジスティックスの維持運用には相当の費用がかかっているとは思いますが、昨今の新聞の発行部数の縮小で、こうしたインフラは次第に失われてゆくのだろうと思います。
 
上のチャートで目を引くのは「記者の一日」です。寝る時間、ないじゃないですか(笑。おそらくスクープを追っている記者は、事態がアツくなると上のようになるのでしょう。若手は「サツ回り」と呼ばれる警察担当に回され、そこで鍛えられた後に政治部、社会部などのセクションに異動になると言われています。いつ、何が起きるかわからないので大変でしょうね。ベテランになると、要領の良い記者は、人間関係が広がり(情報源が広がり)、記者クラブに顔を出したり、各種政府機関や企業、団体のニュースリリースなどの発表をチェックしたりするのを起点に記事が書けるようになるそうですね。ここら辺の要領の良し悪しが、出世の格差になるようです。
 
最近話題の「裁量労働制」は、「みなし労働時間」を導入した1988年の労基法改正に端を発しますが、制度設計当時、新聞記者の労働事情も勘案されたと言います。新聞記者が裁量労働の功罪について、まだ語っているのを見ていませんが、誰かご存知でしょうか?
 
私はというと、仕事柄日本の中小企業の実態もたくさん見ましたが、そもそも「8時間労働」の制約は不自然なものだと思っています。働き手の練度や成果が一定でないのに、なぜ時間という指標が導入されたのかは、実は、いまだに謎です。なぜって、便宜上とはいえ、人間の労働を「単位時間あたり成果」という機械のパーツのようにみなす思想<唯物史観>が根底に感じられるからです。そして現代ではなく、「ああ野麦峠」の時代のひと時代前のリアリティで定められています。
 
そして働く側からの経済効率で言えば、給与が一定であれば、なるべく働かない方が得になります。だから人の「働く」ということについてのモラルが低下する(実際、そういう人は多い)からです。「8時間」にこだわればこだわるほど、奴隷的処遇に甘んじるのを耐える時間、という見方になってきます。反対に、仕事によっては24/365、必要に応じて稼動できなければならない仕事があります。農業など「自然」に向き合う仕事や、自衛隊、警察や消防、災害時の役場など「安全」に関わる仕事はなんでもそうですね。1日のうち労働に当てる時間が「8時間」というのは、適当であるとは思いますがね。
 
安部首相の「働き方改革」は、雇用主である企業の「労働の購入」のやり方に自由度を与える方向でしかない、という点で苦しいものだと思います。「高度プロフェッショナル人材」は、うまく行っているときは良いですが、うまく回らなければ企業内で請負型の成果責任を問われたり、委任型の善管注意義務を厳しく問われる可能性が高くなります。つまりラインの管理系ゴマスリ・ヒラメ社員は9to5で安く使い、ヒラメがどう頑張ってもかなわない(しかもちょっとうるさい)スキル系社員は裁量労働で生殺与奪を握る。同じ社員なのに業者さんと変わらなくなる。失敗をしたくなければ、ノルマや責任を果たすための過重労働の問題は残りますから。つまり責任を押し付けやすい立場を作る、ということになります。本当にセルフ・マネジメントができる人は、そこを見抜いて、大抵はリスクをとって仕事を減らします。お人好しはボロボロにされます。それに見合う報酬はどうなのでしょうね…。
 
そうそう、話を夕刊紙に戻しますが、夕刊が廃れてきて、社会面の論考のライターや文化面のライターが育たなくなったというのは弊害の一つでしょうね。
 
 

Peter Green, "Fool No More"

 

死ぬほど働いて家に帰ってきたら彼女は別の男といた、なんて痛い歌。ブルースの基本ですな。Peter GreenはFleetwood Macの結成メンバーでした。

 

 

 
Good Luckクローバー