日本の伝統的武道の異種格闘戦、「なぎなた vs 剣道」。

 

なんだか爽やかでいいんだな、このクリップ。

 

佐賀県は小城市で行われた市民体育大会のなかでのエギジビジョン・マッチ。

薙刀は高校生のみ。剣道は地元の道場で大人も含まれている。

 

なぎなたは武家の女性のたしなみだった。どちらが勝ったかは動画を見てのお楽しみ。

 

 

日本の武道の良いところは、

 

・礼に始まり礼に終わる

・互いの相手への敬意(相手がいて初めて切磋琢磨ができる。勝者は喜びを表に出さない。ガッツポーズなどもっての外)

・相手を知る(呼吸を見、身体の重心を見、相手の心を読む)

 

私学の中高一貫校では武道を必修にするところが多い。どの学校の先生たちも異口同音に上記の説明をし、”くま”も首肯するところだ。手合わせが終わった後礼をして背をむけることなく、自陣に戻る様子が微笑ましい。

 

勝者も敗者も、より精神の高みに導くための戒めが含まれているのが「道」たる所以なのだろうなと思う。「武道」を英語は、martial artsと翻訳したが、artは技術や人工物が語源で、転じて芸術になった。日本的価値観では、どちらかといえば「道」はethicを含むspiritsやtaoismに近くartとはまた違う。

 

ガッツ・ポーズで喜びを表現するのは否定はしないけれど、それをそうした戒めに従って、それをしない者の価値もまた理解するのが大事だなぁ、と思う。そして、それを意識して、あるいは無意識のうちに識る者が日本には多くいて、周辺の国々や他の国々の野蛮を感じるのだろう。

 

だが、ザンネンなことにこうしたことを教わりながら、即物的な欲望に流れてしまう人々もいる。水は「低きに流れ」、悪貨は「良貨を駆逐する」んだ。それに憧れたり羨ましがって、もて囃す風潮もある。さらに「礼」や長幼の序にマウンティングして憚らない人たちもいる。目先の欲望に対しては直行的で合理的なのである意味賢いのだろうが、そうしたことをして跳ね返ることと、「礼」を重んじる人々が増えることを願い、礼を実践して跳ね返ることの2つを同じ天秤に乗せられない人々でもある。

 

これを堕落というんだろうな。

 

でもビデオの子達は純粋に武道を楽しんでいるように見える。そうするなかで、しっかりと武道の心を染み込ませているのかな?と思い爽やかに思うわけだ。

 

 

BGM
 

作詞・作曲:山崎朋子

 

 

EXILEじゃなくてゴメンなさいw

ところで、「道」という字は「首」が始まり、「辶」が終わりを表すって、最近知りました。

 

 

Good Luck!クローバー