綾井城(あやいじょう)NO.081 登城日(2010年8月4日)
所在地:高石市綾園2丁目 |
別 名: | ||||
史跡指定:なし |
分 類:平城 | ||||
遺 構:堀 |
碑:木碑 |
説明分: |
推薦度:☆☆ | ||
概要
応仁年間(1467-68)、沼間日向守入道任世が築いた城館で、現在の専称寺の境内が城址である。
(日本城郭全集第九巻 大阪・和歌山・奈良篇)
高石市の綾井城は鎌倉期の城で南北朝の頃は足利方に属し、戦国期の城主沼間日向守任世は信長のもとで活躍しました。天文十三年(一五四四)、その城跡に建立されたのが専稱寺です。元禄期に建立された本堂を中心に濠を配した寺域は、中世の武士の居館の姿を今に伝えています。天文年間、安芸厳島神社に「橋弁慶」の絵馬二面を奉納した綾井定友は綾井出身の堺商人だったと言われます。
(高石市説明石碑)より
綾井城は南北朝時代、北朝方、田代顕綱の居城。
田代顕綱(たしろあきつな)
田代基綱(もとつな)の子。暦応(りゃくおう)元=延元3年(1338)父とともに細川顕氏(あきうじ)にしたがい,和泉 (大阪府)石津で北畠顕家をやぶる。観応(かんのう)の擾乱 (じょうらん)では足利直義(ただよし)方に属し,和泉大鳥荘下条地頭職(しき)をあたえられる。のち足利尊氏に帰順し、先祖からの上条地頭職もみとめられた。
(kotobank デシタル版日本人名大辞典より)