私宅監置跡 | 社会保障を考える

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「精神障がい者を自宅の一室や敷地内の小屋などに閉じ込める『私宅監置』」(沖縄タイムズ)

という。写真で見る限り、ハンセン病患者の沖縄での隔離状況と似ていると思った。ハンセン病の展示会で見た記憶なので断定はできませんが。

 

「今に残る 私宅監置跡と 沖縄の精神医療 山城紀子

「わが邦十何万人の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」。精神医療に関心を持つ人の間ではよく知られて いる呉秀三の言葉である。大正七(一九一八)年、国内の三 六Oカ所以上の私宅監置室の状況をまとめた「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」を刊行、私宅監置の悲惨さをはじめ患者や地域社会との関わりなど、近代日本の精神医療の多様な面を浮き彫りにしたことで知られている。(略)

沖縄でも昨年以来、精神医療に関心を持つ人の間で私宅 監置に大きな関心が集まっている。私宅監置跡が県内に二 カ所確認されていることを踏まえ、どうにかこの私宅監置跡を残せないだろうかと現地を訪ね、関係者との話し合い、また私宅監置に関わった人たちからの聞き取りなどが始まっている。なぜ、残すのか。それは私宅監置跡が沖縄戦、米軍統治下にあった沖縄の精神医療の歴史を示すものだと捉えられているからだ。 戦前、沖縄には精神医療専門医はおらず、医療施設も全くなかった。戦後も米軍統治下に置かれたことで精神医療 を必要とする人々が放置されたままの状況が長く続く。一 九五O年に精神衛生法で私宅監置を禁止にした「日本」の 中に沖縄は含まれず、沖縄では復帰(一九七二)の年まで私宅監置が容認されてしまったという歴史を持つ。そのため沖縄では私宅監置を記憶している人が少なくない。与那原町の住民、上原正己さん(六九)は小学校低学年の時、「牢屋、グヮー」と呼ばれていた建物に閉じ込められていた叔父(父の弟)のごとを記憶している。(略)

沖縄タイムス(一九七一年九月七日)は「動物以下の扱い」「十数年も監禁生活」の主見出しで調査の結果を伝えている。今に残る県内の私宅監置跡。こんな恥ずかしいものは壊した方がいいなど保存に否定的な見方やプライバシーの問題もある。残すことは容易ではないだろう。しかし、監置されていた一人ひとりに固有の人生があったことを考える時、沖縄戦や米軍統治の中で尊厳を奪われた精神障害者の人生や、障害者と戦争を改めて捉えなおす機会になることも確かだと思う。私宅監置の議論がここ沖縄で静かに始まっている。(やましろ・のりこフリーライター)

 

ここで知ったことは「精神衛生法」で禁止したがアメリカ占領下で沖縄は適用されなかったということです。アメリカは私宅監置というものがなかったのだろうか。