社会保障を考える

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愛車との別れ 福住眞智子 165号 福岡詩人会議

 

軽自動車アルトとの別れの日が来た

70歳で出会ってから11年年間

いつも側に生きる楽しみを与えてくれた

一番に情の通った友達でもあるかもしれない

 

アルトと共に過ぎ去っていく

景色や人との交流が次々に過ぎ去っていく

友だちのご主人が認知症になられた時

二人の思い出の地へアルトで出かけた

その時のご夫婦の労り合う姿が

今でも忘れられない

 

(以下略)」

 

夫婦の姿がよく見えてきます。

今日の朝刊に「予期せぬ乳児遺棄 神奈川県 昨年 乳児 4人遺棄」とあります。

積極的な支援策必要ではないか。

 

 

養老孟司の人生論」を読み始めた。そこでふと気づいたこととして、いつも読むことは格闘みたいに感じられて、退屈の矢が私に投げられてくるのです。繰り返しますが、退屈の矢が襲ってきます。何か与えられた仕事を得られているわけではありません。「養老孟司の人生論」では、「いつのまにか」読むというより、子守歌みたいなものに聞こえてくるように思えてきているようです。格闘みたいなことを押し付けてこないのです。それとも差別する側に身を置いているからでしょうか。

 

「養老孟司」氏は先天異常があれば日本社会は世間の力で排除していくという。障害者だけでなく、サリドマイドなどを含めて「世間に入れない基準」があるとのことです。サリドマイジついて「養老孟司の人生論」でいう世間の壁を指摘しています。いや、私自身に向けられた世間とは何か。何か、差別の構造による正面攻撃は「世間」という壁に含まれているのでしょうか。世間の壁という名の差別意識の構造を「世間」で説明するのは無理があるのではないか。

 

 

 

ウクライナ侵攻という悪夢を観た。早1年も経ってしまいました。現実は何の情報発信もないままに、ウクライナ侵攻の傭兵の戦闘員の命の重みもまた社会のおぞましさであり、どんなことが平和につながるのでしょうか。こんなときに「漫画 君たちはどう生きるのか」を取り出してみます。吉野源三郎の原本は1937年発行です。私の生まれが1944年です。

この本では「人間としてあるべき姿を求め続ける」ことを訴えています。ウクライナ侵攻を認めるのか。傭兵の侵略に対して戦争に参加する意味はどういう意味があるのか。ウクライナ軍はどういう構成になっているのでしょうか。ウクライナ軍に傭兵はいないのか等々。

それがどういう意味をもつのでしょうか。

個人の品格では解決できないのでは・・・。

 

人の生き方に社会の規範はどうあるべきなのか。個人の哲学を獲得したとしても、解決にはつながらないのではないかと思うのです。老化し、次から次へと襲ってくる病。解決の糸口はあるのでしょうか。

 

 

 

ウクライナ侵攻という悪夢を観た。早1年も経ってしまいました。現実は何の情報発信もないままに、ウクライナ侵攻の傭兵の戦闘員の命の重みもまた社会のおぞましさであり、どんなことが平和につながるのでしょうか。こんなときに「漫画 君たちはどう生きるのか」を取り出してみます。吉野源三郎の原本は1937年発行です。私の生まれが1944年です。

この本では「人間としてあるべき姿を求め続ける」ことを訴えています。ウクライナ侵攻を認めるのか。傭兵の侵略に対して戦争に参加する意味はどういう意味があるのか。ウクライナ軍はどういう構成になっているのでしょうか。ウクライナ軍に傭兵はいないのか等々。

それがどういう意味をもつのでしょうか。

個人の品格では解決できないのでは・・・。

 

人の生き方に社会の規範はどうあるべきなのか。個人の哲学を獲得したとしても、解決にはつながらないのではないかと思うのです。老化し、次から次へと襲ってくる病。解決の糸口はあるのでしょうか。

 

 

 

卵は物価の優等生と称されています。コーヒーと卵は私にとっても必需品です。安いと呼ばれる方がありがたい。それは適当な価格なのか。今回も優等生として呼ばれているのを耳にしました。

 

「コラム 『優等生』と呼ばれても 2023/1/29 永田健の時代ななめ読み」では次のように述べています。

 

「そりゃあ消費者は安いに越したことはない。しかし生産者にとって安値は必ずしもうれしくないはずだ。「優等生」扱いされてきたことを、生産者はどう感じているのか」(前記「コラムから」)

 

安いだけが伝えられるのには生産者の意向が反映されていないという。そこのところを日本養鶏協会の阪本英樹事務局長に聞いたという。阪本さんはこう言う。

 「優等生とは本来、それを目指して努力した結果勝ち得る呼称のはず。しかし卵の値段が安いのは生産者が目指しているものではない」と言う。

 

今朝もまた卵を食べるルーティンしたと言い聞かせながら。生産者は殺処分などで失われていく姿を見送りに来て感慨にふける余裕もないのかもしれません。例えば、あんこ入りもちの、5個入りのパッケージを使用したまま4個入にして販売している。自己防衛と言えばそうなのですが、パッケージ分の損失分を補おうとしています。

 

 

卵は物価の優等生と称されています。コーヒーと卵は私にとっても必需品です。安いと呼ばれる方がありがたい。それは適当な価格なのか。今回も優等生として呼ばれているのを耳にしました。

 

「コラム 『優等生』と呼ばれても 2023/1/29 永田健の時代ななめ読み」で永田 健では次のように述べています。

 

「そりゃあ消費者は安いに越したことはない。しかし生産者にとって安値は必ずしもうれしくないはずだ。「優等生」扱いされてきたことを、生産者はどう感じているのか」(前記「コラムから」)

 

安いだけが伝えられるのには生産者の意向が反映されていないという。そこのところを日本養鶏協会の阪本英樹事務局長に聞いたという。阪本さんはこう言う。

 「優等生とは本来、それを目指して努力した結果勝ち得る呼称のはず。しかし卵の値段が安いのは生産者が目指しているものではない」と言う。

 

今朝もまた卵を食べるルーティンしたと言い聞かせながら。生産者は殺処分などで失われていく姿を見送りに来て感慨にあける余裕もないのかもしれません。

 

 

「デスク日記 『安い国』ニッポン2023/1/29  西日本新聞 本山 友彦 

 昨年末、福岡市内に家を買った。築35年の中古マンション。勤め人の身で潤沢な資金があるわけもなく通勤の便と周辺相場、家族4人が暮らす広さを考えると、古さには目をつぶらざるを得なかった。

 1990年代前半、東京で大学生となり、2人部屋・共同風呂の寮生活を送った。入学を機に親が購入したマンションに住む同級生の話をうらやましく聞いたものだ。高騰する福岡都市圏の不動産に接し、家賃も、古本も、バイト代も、何もかもが高かったバブル時代が思い出された。(以下略)」

 

 今年の春闘の動きが気になります。ユニクロなどの賃金の話題は出ましたが、上記のコラムみたいなことがあるのに、購買力の低下は無残なことです。G7の主催国としては資格を問われます。労使協調路線で賃上げを渋るところはまだまだ多数を占めているのではないかと思わざるを得ないことです。高齢化する街はどうなるのでしょうか。買い物に出かけるのにも車なしには大変です。免許を返納しようという人もいますが、若さがあったころの勢いを取り戻すことはできません。それと同じように低賃金で働くことに慣れてきたのでしょうか。

 

 

コロナの影響の大きさは世界中の物流に大きな影響をもたらしていることからも分かります。ウクライナの侵略でさらに穀物欠乏に加え、円安で「買い負け」という影響が広がっています。鈴木宣弘著『世界で最初に飢えるのは日本』で次のように述べています。

 

「2020年に発生した『コロナショック』は、世界中の物流に大きな影響を与えた。食糧も大きかったが、食糧に生産するための生産資材が日本に入って来なくなったことのほうが、より重要な問題である。

 生産資材というのは、農機具のむほか、人手や肥料、種、ヒナなど、農産物の生産要素全般のことだ。日本では野菜の種の9割を輸入に頼っている。」

 

毎日感染した人数はテレビで伝えられます。しかし、肝心の食糧の確保について見通しを伝えているのでしょうか。異常気象・原油高騰などは予測されたのではないでしょうか。食の安全保障と言われる分かりやすい指標を作っていけなくてはならないのではないか。

 

 

「メガネをかけている人が障害者だと思われていないのと同じように認知症もなるといいんだけどね」は若年性アルツハイマー型当事者であるという丹野智文氏が述べたものを武田砂鉄氏が「今日拾った言葉たち」という本で紹介しています。80歳近い友人が夫婦で面白会話が増えてきたと言います。しかし、なかなか普通の会話の中で認知症を語ることもまだまだフリーという状況ではない。団塊の世代と重なってどう変化していくのか。

 

 コロナの感染防止と重症化でマスクもなかなか顔からの情報は得にくくなりになりました。人のコミュニケーションの手段としての顔情報はこのまま続いたとしたらどうなるのでしょうか。街路などにビデオ装置が整備されて、防犯の上では投資の効果が得られているのでしょうか。メガネ、マスクとも防犯に役立っているのでしょうか。