ネコはワガママに見える。
ネコは好奇心で動いてる。
そこが私と似てるところ。
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うちの入り口の山百合が咲きました。
おいでの方は花粉に注意してください。
花粉が付くと取れにくいのです。
朝はときのこやへ、
トマトを買いに行き、
建具会館へ周り、
釜北直売所でミョウガを買ってきました。
買ってきた野菜を始末して、
(即席柴漬けやらヒエシイタケの準備やら)
午後になって、
やっと時間が取れたので、
(途中夫が質問してきたり邪魔しましたが)
アーカイブで、
四則和算の振り返りをしました。
その時はしっかり聞いていたつもりでしたが、
改めて聞いてみたら、
眠気に負けていたようです。
そういうことだったのか!と思うことが多かった。
先日の茅の輪くぐりが、
極小から極大の行き来をしてるみたいと思ったことを
思い出したりもしました。
気づいたのは、
過去の演算は、
時間を微分した写真のような、
固定した世界のことをやっていたことでした。
ヒモトレや韓氏意拳などで体感している、
切れない世界では、
光吉マークの動きでしか表せないことです。
もやもやした雲のような状態も、
瞬間見える粒子の世界も、
同じ世界なのです。
見る私の視座が決めているのです。
何故、和算?
応挙の障壁画とルーブルの壁画を見て、
感じていたことを、
光吉先生が説明してくれた気がします。
言葉にすると固定化してしまうけれど、
感じていることはグラデーションです。
時間の問題もよく分かってない、
それがわかりました。
只、単に頭が悪いのか?
過去の刷り込みが強いのか?
他の方はちゃんと把握しておいででした。
そう思って、
現実を振り返ると、
やっぱり、腹を立てたり、
誰かを批判したりしてる部分があります。
今読んでいる、
「古事記」でも、
異心(ことごころ)が景色に現れるとあった。
確かに自分は未熟者と思う。
思うけど、
では、どうすれば良いのか?
自然は迷わず、
その場で必要な道を選んでいる。
そして、
自然に背かず枯れていく。
以前の思い込みは、
どれだけ捨てられるだろうか?