老いってどこから? | ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

昭和23年生まれ。
太極拳を稽古したり、韓氏意拳を学んだりしています。
ヒモトレを知り、マンサンダルまで来て、
面白いことを探す毎日の忘備録

ネコはワガママに見える。

ネコは好奇心で動いてる。

そこが私と似てるところ。

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昨日の夕方、暗くなってから、

夫が松を剪定(?)した時落ちた松葉を集めて洗いました。

ビンに水と入れて観察中です。

 

昨夜の傘をさしたお月様の光を浴びているから?

それとも洗ってしまったから?

松葉をお茶のように煮だしてみたら、

こんな色になりました。

飲んでみたら、

おいしいとは思えませんでした。

苦いということはなくて、松の香りがします。

まぁやってみたので、

気が済みました。

どうなんだろう?と思うと試したくなるのです。

 

小説家の曾野綾子のエッセイを読みました。

そうだなと思うこともあるし、

私は違うなぁと思うこともありました。

(当たり前です)

老いも一人ずつ違うということです。

 

深く同意した一章。

歩かずに知的生活を送ることはできない。

歩くと言う言葉は古代ギリシャ語では、

生活するという言葉と同じ単語だ。

人は歩かずに暮すことはできない。

だから病気になろうが、

足が痛かろうが、

人間でいるためには最後まで

歩くという機能をなくしてはいけないのである。

年齢にかかわらず、

歩かずに知的生活をおくることはできないようだ。

それなのに、

歩きをさぼった私は、

今日は生きてなかったのです。

(右膝の不調で様子をみようと、

3日ほど稽古も歩きも保留中)

寒いより、

暑い方が、

意気地なくなるのは老いのせいか?

何冊もの読みたい本が私を誘惑するのも問題です。

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ケハレの日の料理メモ