ネコはワガママに見える。
ネコは好奇心で動いてる。
そこが私と似てるところ。
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素晴らしい1日でした。
お弁当を持って、
八高線に乗って、
又、ポールギャリコを読みながら前橋まで行きました。
ハリスおばさんはパリに向ってドキドキ、
私は新前橋に向ってドキドキでした。
前回の八高線から見た景色は、
麦畑だったところに水が入って田植が始まってました。
二毛作は今も行われているのですね。
高崎での乗り換え7分ですから、
急がず、丁度でした。
(前橋は何回も行ってますが)
新前橋駅に降りたのは初めてでした。
駅に降りてさてどの出口かな?と思いつつ、
階段を下りたところに小型バスが止まっていたので、
「公社総合ビルの方へ行きますか?」と聞いたら、
公社入り口というバス停から歩けるとのこと、
飛び乗りました。
帰りは歩こうと思って、
曲がるのを覚えていようと思ったのですが、
もう、全然分からなくなりました。
でも、なんとか会場に2分前に入ることができました。
この萬田さんの講演会に参加してきました。
現在の疫病のことで、
人が藁にもすがる思いで、
予防注射をしたり、
マ◯クをしないと責められたりとか、
人の関係が不安とか恐怖に包まれているような日々ですが、
それは煎じ詰めれば、
死にたくないというところから始まっているような気がしてます。
疫病についてさまざま言われているけれど、
それを演題にせず、
死とはどんなものか、
どんな風に迎えるのか?
そういう講演会でした。
今の私は死生観をしっかり持とうと、
お話を聞きに行きました。
まずは「介護亭楽珍」(介護って楽チンと読む)さんの落語があって、
いよいよ本番です。
動画やスライドでお話がありました。
萬田医師は緩和ケアをされています。
今の医療は病人にもっと頑張れと言い過ぎる、
もっと本人の希望、選択に沿うケアがある。
最後に煙草を吸いたい、
お酒を一口飲みたい、
家に帰りたい、
そういう選択があっても良いのではないか、
それを医師になったころから言い続けてこられました。
見ているのが辛いから病院に預ける。
医者に任せればもう少し生きられる。
それは病人に頑張らせることになるのです。
時間的に少しでも長く生かせておきたい家族や、
死なせることが敗北になる医者の想いがあるそうです。
その中で、家に連れ帰って、
訪問診療の形にして、
家族と良い別れ方をされた人々のストーリーが語られました。
話しを聞きながら、
私がパッチで若返ることに、
すんなり頷けなかったことが見えてきました。
老化していずれ死ぬその過程を、
形を変えたとしても、
(サプリや新技術で)
カーブの線の形が変わるだけだということ。
(新しい発見はとても素晴らしいと思ってますが)
いずれ死ぬことを覚悟できなければ、
大事な物を見失うということだと思いました。
そして、死ぬ人はみんな、
自分の死を受けとめて、
感謝して死を迎えることで、
怖くも痛くもなく終われるのだと思いました。
最後の望みはささやかですが、
かけがえの無い喜びということが伝わってきました。
講演会が終わって、
ハタ、私は駅までどうやって行けるか?
会場の方に駅までの道を尋ねました。
(2.5kmと書いてあったので、それなら歩けると思い)
そうしたら、
説明しにくい道のようで、
(確かに行きも曲がるのが多くて記憶できず)
困ったなと思っていたら、
スタッフの方がご主人に頼んでくださって、
新前橋駅まで車で送ってくださいました。
講演会のテーマでもあった、
周囲の方への感謝を地でいくことになりました。
バスの便が少なくて、
1時間半待つなら歩こうと思ったのですが、
送っていただいたので、
高崎駅に早く到着しました。
時間があったので、
駅ビルを歩いてみようと出てみました。
お土産コーナーの裏側に、
日本酒とビールを飲ませてくれるお店がありました。
コーヒーを飲むと眠れなくなるので、
小さい方の日本酒とナスの煮浸しを頂きました。
久しぶりに五人娘を見て、
おちょこに2杯分くらいかな?
講演会の最後の21歳で亡くなったユウスケ君のことが、
どうにも重くて、
(息子を思い浮かべてしまって)
緩めたかったのです。
ナスを頼んだら、
フキは食べますか?とサービスしてもらいました。
ここでも、本当にありがとうでした。
寄居を過ぎた頃に夕焼けが広がりました。
1日の最後を飾ってもらいました。
高麗川駅に着く前に読み終わりました。
ハリスおばさんが暮しを吝くしてまで、
パリに買いに行ったディオールのドレス、
どこで着るとか、
何の役に立つとか、
そんなことではなくて、
ハリスおばさんは衝撃的に欲しいと思ったのです。
萬田医師が人に見た希望や願いと同じものだと思いました。
ハリスおばさんはあの夢のドレスをやっと手に入れたのに、
最後に見るも無惨な形になってしまいました。
でもハリスおばさんは自分の冒険や経験を後悔してません。
無謀に見える冒険や経験の中で得た、
豊かな人との関係や思い出は、
萬田医師が緩和ケアで尊重した逝く人と周囲の人にも生まれてました。
何を大事に生きていくか、
どこまでできるか分からなくてもやってみたいことがある、
死なないように生きるのではなく、
行きてる間は自分に大事なことを見失わない。
そうやって生きて終わりたいと思いました。
駅に車で迎えにきてくれた夫にありがとうと真面目に言いました。
赤城山や妙技さんも見られたし、
本当にいい日でした。
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