ネコはワガママに見える。
ネコは好奇心で動いてる。
そこが私と似てるところ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
釜北直売所にイチゴを買いに行きました。
雨で山は見えません。
雨の底にいるみたいな感じです。
もや〜っとした中に自分が漂っているみたいで、
この景色良いなぁと思いました。
この雨が夏野菜を育てることでしょう。
1日中雨なので、いよいよ実行しました。
私用の箪笥が
この状態になってしまったので、
これを捨てようと思って、
中のものを全部出しました。
私は一つ箪笥を捨てて、
中身も思い切って捨てようと思ったのです。
相談すれば、(夫に)反対されるのは目に見えるので、
実力行使です。
二階に息子の殆ど使ってない箪笥があるので、
それを私が使おうという魂胆です。
まず、二階の箪笥の中身を出して、
下着と靴下、
TシャツとかYシャツの着そうなのだけ、
サッカー着、
と3つのコンテナに分けて入れました。
このコンテナは武蔵台のリサイクルショップで、
3個500円でした。
要らなくなったら、
縫い物の生地を入れようと思います。
片方だけの靴下やゴムの伸び切ったパンツなどを捨てたら、
箪笥一棹がこれだけになりました。
息子が来たら、
更に捨てるものがないか、
点検してもらいます。
今か明日くらいに必要なものがあれば人生は困らない。
自分の残り時間もあるから、
「いつか」はもう無いと思うようになりました。
その代わり、ゴミ袋2つ捨てます。
実は今日、図書館でこの本を借りたのですが、
私にはあまり響きませんでした。
言葉はよく理解できるのですが・・・
一番の違和感は、
雑巾やテーブル拭きはその後又洗いという一手間があるから、
紙で拭くというところです。
そうだなぁと思うのですが、
昔人間の私は、
雑巾を縫ったり、
晒で皿を拭いたりすることが、
(本当は大変と思いながらも)
暮しだなと思うからです。
紙で拭いて捨てたら、
時間も手間もかからないでしょうが、
目の前から汚れが消えれば良いという感じがしちゃうのです。
雨や泥が無ければ良いという感じがしちゃうのです。
そこも味わって、
できれば楽しんで暮そうと思います。
それより、
こっちの本の方が私は共感を覚えます。
立派な目的なんかじゃなくて、
毎日の暮らしのやり繰りの中で、
要る要らないが決まっていくのです。
一人になろうと、
一つずつ手放していったら
多くの人と繋がっていったという暮し、
捨てるというより、
手放すですね。
そこには邪魔者という判断ではなく、
これが無かったらどうなる?と試しているようです。
工夫とやり繰りの連続です。
結果的には暮し全部がスリムになったようです。
服も、
電化製品も、
会社まで辞めちゃって、
結果、幸せを感じているのです。
二人の暮しぶりは似てると言えば似てますが、
一歩踏み込めば、
全く違うような気がします。
私は?と言えば、
まだまだ手放せるものが多いです。
ヒモトレやマンサンダルに出合って、
着るもの履くものがすっかり変わってしまいました。
壊れたり、
破れたりしたら、
(チャンスだ〜)
これ幸いと手放そうと思います。
でも、下手な絵は必要では無いけど、
まだしばらくは見ていたい。
(断捨離では写真に撮って保存とあるけれど)
思い出は手放せない。
しかし、
ケチ王の夫は、
箪笥を捨てずに直すと言ってます。
これを説得するのは難しい。
人生の難関です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
料理についてのブログはこちらから。