こんにちは。

花のかぜまる漢方度です。

 

ちょっと遅くなりましたが、

「一人修学旅行」(東京編)。

 

5月23日(木)~5月26日(日)まで、東京へ

1人修学旅行に行ってきました。

 

本来は、12月に行う予定でしたが、山口の友人が娘さん夫婦に会いに上京するので、それに合わせて。

 

5月23日(木)

大分空港から、東京へ。

タッチパネル式のチケット発券が、一人でできるか少々不安。

発券の際、タッチパネルで、初めに確認番号を押さなければいけないのに、一生懸命「予約番号」を押していた。何度もエラーが出たので、(←当然ですが。)となりで購入していた、中年の女性に聞いて、まず「確認番号」を押すこと教えてもらった。

今回は、キャリーバッグを持たず、リュックスタイル。

1年前にも東京へ行ったが、その時はキャリーバッグスタイル。リュックの方が両手が使えて便利。

東京・羽田からは、モノレールで浜松町。

浜松町→渋谷→武蔵小杉のホテル。

ホテルも、駅近でわかりやすかった。

6時ごろまでホテルで休憩して、6時30分より、

都立大駅で、サハラに一緒に行ったM君と飲む。

僕ら2人は、1979年11月に一緒に東京を飛び立ち、フランス→アルジェリア→ニジェールのアガデスという所まで一緒に行き、そこで別れ、僕はラクダで横断。彼は、ヒッチハイクしながらサハラの各地を回っていた。

今回そのルートを詳しく聞いて、メモしておいた。

彼は、アガデスで別れた後、ニジェールの首都ニアメー→

オートボルタ(現・ブルキナファソ)の首都ワガドグ→列車」→コートジボワールのアビジャン→マリ共和国の首都バマコ→同国のモプティ→ピロッグ(?)から、エンジンボートで同国のグンガム→トンブクツー→船でニジェール川を下り、同国のガオ→トラックで北上し、国境を越え、アルジェリアの国境の町レガン(国境からだいぶ北上している町)→(レガンからヒッチハイク)→アルジェリアの首都・アルジェ→チュニジアのチュニス→リビアのベンガジ→Uターンして、チュニジア(チュニス)→アルジェリア(アルジェ)→モロッコのカサブランカとマラケシュ→スペインのマドリッド→同国・グラナダ→同国・バルセロナ→フランスのパリ→日本と回って来た猛者。結局1979年の11月から、翌年6月まで放浪していた。

 

僕は、サハラ出発日に彼の家に泊めてもらったのだが、出発前夜、僕の手持ち金があまりにも少ない(日本円で約70万円)ことに不安を感じた彼が、300ドル(当時1ドル240円なので、約72000円)貸してくれた。それを去年44年ぶりにふとしたことで思い出し、当時の日記帳などで確認し、今回彼に会う前に、当時の日記帳(300ドルを借りたことをしっかり書いている)のコピーと一緒に、彼に返した。

Mくん、ありがとう。あの時の300ドルが無かったら、

僕は日本に帰ってこれなかったよ。

それと、以下M君の思い出話。

酔っ払いながら聞いてそれをメモしていたので、不確かです。

最初M君とフランスで一緒だった時、泊まったホテルは「ポートロイヤル駅」の近く「ホテル・マルセルネイ」という所で、3人部屋で一泊一人15フラン(当時のレートで、約825円。)運よく、フランス放浪中の日本人と出会い、3人で泊った。一緒によく言っていたレストランは、「サン・ジョルジュ駅」近くの「カーサ・ミグエル」という所で

5フラン(約275円)とバカ安なのに、パンは食べ放題、果物とメインディッシュとアイスクリームかケーキがついていた。腰の曲がった女性が一人で切り盛りしていたが、常連の家族連れが多かったと記憶している。バカ安だったが、経営は成り立っていた・・・と思いたい。

今回は、M君のアフリカのルートを順を追って詳しく聞けたので良かったです。お互い、「運が良かったなあ!」との思いというか感想で一致。

 

夜9時30分頃、解散。

ホテルへ戻る。