こんなにも心にしみる【おじさんと河原猫】 | なぜぼくらはおいていかれたの 

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こんなにも心にしみる【おじさんと河原猫】。

 

あれはいつだったろう。

うちにひっきりなしに猫が捨てていかれるようになった頃、あるホームレスの方が猫と暮らしておられることを非難する文章がネットにあらわれ、

そのホームレスをバッシングする声がひろがっていった。

 

私なども、猫がろくに食べものも与えられていない、虐待をされてるようだ、という文章にショックを受け、猫を救うべきではないか、という気持ちになった。また別の文章では、どこかの町の川原の土手に野菜を作っている人がいて、その人がそこに猫の小屋を作って餌をあたえているが、それはけしからんことだ、猫が可哀想だし、近隣にも迷惑だ声高な内容が言われた。

 

それらは何年も前のことであったが、私はよくそのことを思い出し今も胸が痛む。

自分が書かれた文章のままに猫が可哀想だ、そんな飼い方をする人はけしからん、という思いい寄っていたことに対して。

 

そのバッシングに対して、「なんで猫がかわいそうなのだ、猫は心ある人がせいいっぱいの方法で守ろうとしておられるのではないか」という女性の方から声が出て、私ははっとし、『そうだ、猫はその人から空腹を満たされ、寝る場所を作られ、その人が来ると喜び甘え心満たされるのではないか、それ以上を猫は求めず幸せなのだ、まわりの人は、猫たちとその人がそうやって生きることを普通のこととして受け入れればいいだけではないか』と、やっとそうわかったのだ。

 

そうなのだ、そのことが迷惑と思うなら、排他しようとするのではなく、よりいい方法をみんなで考えていけばいいではないか。猫はこう飼うべきだと決めて、それに沿った生き方を強要し、出来なければ処分するという考えこそ問題ではないか、と。

 

この本は、河原で生きる猫たちと心通わし、守り、そして台風の濁流に猫たちとともに消えたおじさんの命の謳歌だけがある。おじさんに守られて自然に生きた猫たちの生命への共感がある。

著者である写真家の太田さんの、全てを包み込んだ、だが黙々とした宇宙の慈悲がある。

私はそのことに泣く。