痛み  (たりたくみさんの死) | なぜぼくらはおいていかれたの 

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地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

ある方のタイムラインのコメントに続けて私も自分なりに大切な思いを書いておきたいと書いている途中、継母に急な事態が起きたのでいったんPCを閉じ、今あらためて続きを書いて送信しなくてはと再びそのタイムラインに伺ったら、私がコメントを途中まで書いたはずの枠に、まったく覚えのないしかも書かれていたコメントの流れに不似合いな(不適切な)動画が入っていて困惑している。削除もできずわけもわからず、酷く落ち込んでいる。あれはいったい何だろう。暗い思いで今日の朝を迎えている。私のすることなすこと心にない妙な事態になることがある。いったいどうしたのだろう。

 

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↑の青色の文は、フェイスブックに今書いたものです。

読まれる方は何のことかわからないと思いますが、私は埼玉県の北本という市に住んでいた頃、あるなりゆきから家に猫や犬が次々捨てていかれるようになり、家も庭も猫だらけ犬だらけになり、筆舌に尽くせぬ苦しみにおちました。

この時期、私は彷徨うように市内のプロテスタントの教会の門を叩き通うようになりました。

若い牧師夫妻は誠実な善良な方々で、私を快く受け入れて下さり、まもなく私は洗礼を受けました。

この教会で、Hさんというご夫妻と知り合い、洗礼を受ける時、Hさんが付き添って下さいました。

本当に素晴らしい安らぎを得ました。

ところが、私の家に猫や犬を捨てていかれることは続き、勤め人だった夫のお給料は動物家族の食糧や医療費に消えていくばかりもあって、私は家族と近隣の方々への申し訳なさと将来への不安感で壊れかけていくばかりで、教会で得た安らぎは一瞬のものとなり、人々の善意も的を外れていると感じるこ都が多くなり、実際の無理解や摩擦もありましたから、どんどん孤独になっていくばかりでした。

 

H夫妻はそれでも私を気遣って下さっていたのですが、私の頑なになった心が全てを受け付けなくなり、やがて私自身が動物たちを連れてよそに行ったものですからお会いすることもなくなっていきました。

そうして何年か年を経て私が児童文学作家として活動をはじめ、その後に知り合った人たちのパワーや才能に支えられ、動物たちのことをテーマにしたミュージカルをさいたま芸術劇場で上演するまでに立ち直った時、Hさん(この頃Hさんはたりたくみという筆名で、詩やエッセイを書かれていました)、そのたりたくみさんと再会し、ミュージカルに参加していただきました。

たりたさんは、なお美しく若々しく、そして歌声の優しさは稽古中からメンバーの心に豊かな安らぎと勇気を与えて下さいました。

 

でもその後私の夫の病状が悪化し介護は重くなってきて、また相変わらず猫、犬は置いていかれて経済の破綻も深刻になるばかりでしたので、私の心労は一層私を苦しめ、たりたさんだけではなく多くの人と付き合いを避けていくようになりました。

 

このたび、そのたりたくみさんが病のために天に旅立たれたのです。

私は、いつか心を開いて、たりたさんに大切な何かを受け取っていただきたいとひそかにずうっと持ち続けていたものが、ずしんと重量を増して私の胸の底におちたのを、じいっとかみしめているばかりです。

そんな思いで、たりたさんのお友達がたりたさんの死をフェイスブックに告げておられるのを知り、私の洗礼父であったたりたさんのご主人が書かれていたメッセージとたりたさんのお友達の追悼のコメントに私の思いを一言にして書かせていただきたいと書いていたら前述のような仕儀になったのでした。

自分で本当に動画は入れてないし初めて見るもので、なんでこんなものが私の名前で入っているのか、とてもとても落ち込むのです。

 

たりたくみさんに世事めいた言葉かけはしない。

でもひとことだけつぶやきたい。

<たくりたくみさん、ありがとうございました>