祈ります | なぜぼくらはおいていかれたの 

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例の学園の問題で、首相夫人がメールに”祈ります”と書かれていることで物議を醸していたが、私も”祈ります”はよく使う。

友人や知人がある事態があったというメールなどを下さった時は必ず”祈ります”と記す。事態が改善し癒されますようにという気持ちと祈るしか自分には出来ないという思いからだ。動物たちの苦しみや社会に子供や若い人がむごい目にあった報道などをあった時なども、実際必死に祈る気持ちが起こる。


だからというわけではないが、首相夫人ももし今問題やこの人たちから離れたいという本音があったとしても、”祈ります”の言葉には真摯な辛さがあったのではないかと感じる。



ちょっと話を少しずらしますが、私は結構祈る。

どうすることもできない辛い現実、例えば息子たちのこと、動物たちのこと、継母の健康のことをしみじみとしみじみと祈る。


そしてちょっと何かあると癇癪を起したりイライラしたり面倒くさがったりする自分を、叱咤と後悔と自分への落胆と自己嫌悪をこめて必死やたらと祈る。「優しい心のひろい愛の在る自分になりたい」と。

そしてすぐ忘れ、傲慢と冷淡と自己中心のありのままの自分で生き、「もんくあっか?」と平然としてる。


やれやれです。トホホホです。