2014年5月9日(金) 楢葉給餌 | なぜぼくらはおいていかれたの 

なぜぼくらはおいていかれたの 

地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

私はうちの近くの森でも猫たちのごはん配りをしています。
一度ごはんを置いたらずうっと続け、不妊手術をし、森で冬は越せないと思う猫は家に連れて来ます。元気で生き抜けそうな大きなオス猫くんは森に戻し、近隣の人に「手術していますので子猫は増えませんから、どうぞ見守ってやって下さい」と伝えお願いし、そうして何年かかってもごはんを運んでいます。

福島でも、自分が一度フードを置いたところは必ずそこを回る、を信条にしています。
これが私の給餌のやり方です。
私のようなこうした給餌人が100人いて、場所が重ならないようにそれぞれが50か所を受け持てば、相当広範囲にごはんが置ける、と思っているのです。
この管理の大本を自治体なり国がやってくれて、新しく参加希望のボランティア誰も行ってない場所を担当にするなどリスト作りをしてくれたら・・・とこうしたシンプルで素朴な組織作りを願っているのです。

でも残念ながらそうはなっていませんので、楢葉町のほンの一握りの地域を回るしかできません。たった45か所で実際に置くのは50地点。

ご支援の皆様にも「猫たちのために支援をして下さっているのに、私が出来るのはこれだけなんです。ごめんなさい!」といつも申し訳ない気持ちです。

たったこれしか出来ない。自分もぎりぎり疲れている。休みたい。私は72歳。明日死ぬかもしれない年齢、限られた時間をやり残したことに使いたい。・・・こんな思いがせめぎ合っています。・・・それでも行かねばならない。人の住まない町に取り残された猫たちのあまりにも悲しい様を知ってしまったのだから。


5月9日は行ってしばらくは晴れていたのですが、突然の雷雨に見舞われ、雨具を着る時間を惜しみ濡れてしまったのがダメージとなりました。
身体が冷えたせいか途中で腹痛に見舞われ、トホホな給餌状況となりました。

でも私が行くべき45か所、50地点は前回同あ。様こなしました。
これは無理をしたのではなく、全部こなしたからこそ自分を立たせていられたのでした。疲れた、雨だ、無理はできない、と言って途中で放棄してしまったら、それこぞが自分を追い詰めへこませることになるのです。

一人で給餌をする意味はここにあるのです。一人だからこそ、納得がいくまで動けます。
・・・というわけですので、心配して下さる方、どうぞ気にしないで下さいね♪

★スタート地点に到着。


★この日のフードは購入分が多いのですが、2.5キロに換算してほぼ80袋です。


★いつもは複数の猫の姿に会う製作所。上も下も空っぽでしたので、5袋分をあちこちに隠し置きました。以前、夏の炎天下、津波地区の何キロ分もある道をトボトボと歩き、やっとここに辿りついたと見える三毛猫(餌を探し歩く三毛猫を見て、なんとか捕まえて保護したいとしばらくつけたのですが、かえって三毛を苦しめると思い、別のポイントをいくつか回って再び津波地区に戻ったら、三毛ちゃんが製作所の私が置いたフードに辿りついたのを見たのです。)を二度見て、『ああ、あの子はここを居場所にしている、ここならいつもフードがある、よかったよかった』と涙したもおでしたが、今は空っぽであることが多く、そして三毛の姿は見えない。




★どちらも床下に入れた容器が取り出しやすいようにひもがついている。四角い箱のほうはだるたにあんさんがつけられた。ありがとうございます。



★フード依頼のあったS氏宅から道路にでるとこの海が広がっている。津波の前は家々が連なっていただろう。写真ではわからないが雨。反対の山側の空は雷光が何本も走っていた。


★最近依頼のあったOさん宅にフードを届け、車は家路に向かおうとしている。写真をあまり撮らないで回ったので、この時間に終了となった。よかった!
写真をスルーしたのは本格的な悪天候になる前に帰りたかった。我が家の犬のママシロがどれだけ雷に怯えているだろうと気が気ではなかった。(思った通り、ママシロはずぶ濡れ。どうもリーも怯えて暴れたらしく犬小屋が破壊!)

実際帰りの高速道路の広野からいわき中央までは風が横殴りで車がふっ飛ばされそうで怖かった。ひっしにハンドルにしがみついていたせいか、今も右腕がしびれている。


★給餌終了後の車の中。フードは4袋残った。これは次回の給餌に。