連日のロシアによるウクライナ侵略ニュースに胸が痛みます。ウクライナから非難する多くの人々を受け入れている隣国ポーランド🇵🇱という国は世界でも稀有な歴史を有する国で有り、その体験からか自然に今回の様に戦火の他国避難民などにとても優しく寛容な国民性の印象を持つ。今、明治37年日露戦争が主題『坂の上の雲』を読み返してますがその頃から続くポーランドの日本への支援・好意とその背景に改めてポーランド🇵🇱の国、人々へ尊敬の念を覚えます!🙇‍♂️


↓コピペさせて頂いた↓クラブツーリズムサンのサイトで改めて

・120年、国が無くなっていた。

・第二次世界大戦でのアウシュビッツでの惨劇。

・日露戦争での日本への支援


等々ポーランドの深みを感じます。。。



※一部コピペ抜粋

ポーランドの歴史を振り返ってみましょう。
ポーランドが最も栄えていたのは14~15世紀頃と言われています。今も残る古城がその栄華を、現代にまで語り伝えています。
しかしながら、西のドイツ、東のロシア、南のオーストリアに挟まれ、幾度とない戦争の末、その領土は奪われていきます。18世紀には、周辺強国により国土を分割(ポーランド分割)され、120年もの間、ポーランドという国自体が地図上から消えてしまったのです。
第一次世界大戦では、列強に沿う形で復活したものの、第二次世界大戦では、あっけなくドイツに侵略され、ロシアからも攻め込まれ、美しい街並みは、見るも無残な姿と化してしまいました。
国内外に住んでいたユダヤ人達が、ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に収容され、虐殺が行われた悲惨な歴史についてはご存知の方も多いでしょう。


ポーランドは非常に親日的な国。ヨーロッパ屈指と言えると思います。
ピアノの詩人・ショパンや、キュリー夫人がポーランド出身であることを知っている方は多いかもしれません。

ポーランドが親日国となるきっかけとなったのは、日露戦争時。ポーランドはロシアの強大な支配に怯えている中、東アジアの小国である日本がロシアに挑み勝利したという事実は、ポーランド人にとって相当な驚きであったそうです。
その後、第二次世界大戦時にはシベリア孤児となったポーランド人を日本人が支援したり、ポーランドの隣国・リトアニアで日本領事館代理を務めていた杉原千畝が多くのユダヤ人を救ったことは、今もポーランド人の心に刻まれているそうです。
実際に1995年の阪神・淡路大震災の際には、20人あまりの震災孤児をポーランドに招待し、温かく迎えてくれたというエピソードもあります。とても義理人情に厚い国民性であることがわかりますね。