「何かに由来して老死、人の苦悩が有るのだろうか?」と、もしそのように問われたならばアーナンダよ、その場合君は

(由来するものが)ある」と答えるべきである。

 

「では、何を成立条件として、何に由来し、老死や苦悩が起こり得るのか?」と問われたなら

「出生を成立条件として老死や苦悩がある」と君は答えるべきである。

 

 

「では何か特定のものを成立条件とすることにより、出生が有るのか?」と、もしそう問われたならば、アーナンダよその場合、君は「(特定のものが)ある」と応えるべきである。

 

「では何を成立条件として、出生が有るのか?」と問われたならば、君は

「生存(有)を成立条件として、出生がある」と応えるべきである。

 

 

 

すみません端折ります^^;

 

 

 

「何を成立条件として名色(心の働きと形態の獲得・・・身体のこと)が有るのだろうか?」と、問われたならば、君は

「識別を成立条件として、名色がある」と応えるべきである。

 

「では何を成立条件として、識別が有るのだろうか?」もし、そう問われたならばアーナンダよ、

「名色を成立条件として、識別がある」と応えるべきである。

 

 

 

このようにアーナンダよ、

名色を成立条件として識別が。

識別を成立条件として名色が、

名色を成立条件として接触が、

接触を成立条件として感受が、

感受を成立条件として渇愛が、

渇愛を成立条件として取著が、

取著を成立条件として生存が

生存を成立条件として誕生が、

誕生を成立条件として老死、苦悩、憂鬱、悲嘆、不安が生じる。

このように苦悩の集積が生起するのである

 

 

 

 

 

 

 

 

  無明と行は?  心解脱

 

ここでは無明や行が説かれていません。

 

そして皆様に注目して頂きたいのは、このお経では名色と識別が相互依存関係になっていることなのね。

 

名色を成立条件として識別が。

識別を成立条件として名色が、

 

 

 

 

 

  浜田雅功さんと松本人志さん

 

これは喩えるなら、

松本人志(識別)さんが

「おう、浜田(名色)。ワイと漫才のコンビ組めへんけ?」と、浜田さんを誘い、ここにダウンタウンのコンビが誕生した。

 

とても仲がいいお二人(^^)

 

もしこの時、松本人志さんか、浜田雅功さんに何かの都合が生じて、TVに出れなくなると最早「ダウンタウン」とは出演者のテロップに載せれませんわね?

 

 

このように、

  • 識別が停止すると名色も停止します。
  • 逆に名色が停止すると、遡って影響が識別に及びます。

 

 

そしてこれが「悟り」です。

 

 

 

このように名色と識別は連動しています。

 

 

 

 

 

 

  無我に至るとすべての妄想(左脳の働き)が停止し、自分を縛る窮屈から解放される

 

認知作用が停止すると、無我を経験すると言うことね。

その逆もあると。

無我に至ると「莫妄想」に至る

 

 

 

日本の仏教家はこの辺が仏教のゴールだと誤解を持っています。

 

そんなだから、解脱理解出来なくて「あれは魔境」と言いますし、菩薩や大乗の理解は噴飯ものです。

 

 

 

そして識別の停止にはマインドフルネスの実践がとてもいい(^^)

お釈迦様は五蓋が停止すると言っています。

五蓋とは瞑想の障害となる様々な雑念ね。

 

 

 

禅の本を読んでも半分くらいしか共感が起こらないんだけど、まっすーさんやネドじゅん先生のご主張はとても共感があります。それをご自分の経験から立ち上げたというのは、どれほど凄いことかと。悟りをえるのに、わざわざインドやスリランカいく必要など無いと云うことに気づく訳。身近にわたしたちと同じ現代語で悟りを説ける人がいる幸運に浸るべきです。

 

とにかく読んで見て。

スジのいい人なら3日あれば悟る方法論が解説されています。

全く同感です。

 

で、実際、お釈迦様のお弟子さんもそんなです。

でないとさ、120歳で出家して解脱した老人仏弟子の告白に出て来ますが、禅宗のセオリーではそんなことあり得ません。だとしたら澤木興道さんが「最初10年、次に10年、そんでもう10年」坐っても悟らない教えはどうなの?と言う事なのね。結論を言うと、識別を動かしているので、悟りと逆の事をしています。

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるの。

 

 

ただし、本物の仏教を自分の内側で消化したいんだ。という人は、スリランカやタイやインドのダラムサラに行って学んだほうが良いかも知れません。ヒナヤーナ、タントラヤーナを吸収すると云うことね。

 

 

 

 

では、どうしてここで、「無明を成立条件として行が、行を成立条件として識別が」が説かれていないのでしょうか?無明と行に関わるのは慧解脱なのね。

 

 

このお経では慧解脱心解脱を分けて、具解脱(または具分解脱とも呼ぶ)の方法が説かれています。

 

慧解脱するには、その必須条件が

  1. 持戒
  2. 功徳
  3. 懺悔
  4. 四念処

が、欠かせません。

 

 

 

 

 

 

  悟りに信仰は不要 求められるのは集中力

 

ところが「悟り」に関しては、・・・解脱では無いよ。注意してね。

  • 信仰
  • 功徳
  • 持戒
  • 懺悔
  • 瞑想

は、あまり、やかましくありません。

普通に、一般的モラルを持するなら悟る上で障害は無いと言えますよ。

 

悟りは集中力だけが要求されます。

 

(集中が苦手)と、思う方も難しく考えることはしないでね。

 

 

集中と捉えるんじゃなくて、むしろ没頭ね。

 

 

ただもう緊張を避け、リラックスすることを第一に念頭においてくださいね(^^)

そしてリラックス状態で、アファメーション(肯定的な一つの命題の繰り返しやれば自然に没頭していきます。

 

 

それはね、例えば「捜し物」をしているその時って、誰でもものすごい集中の状態なんですよ。

本屋さんで、似たような多くの背表紙の中から自分の目的の一冊を探し出す。

或いは、カーペットに針を落としてしまい、自分か家族の誰かが針を踏んだら大事だ。と、探す。

 本本本本・・・

 針針針針・・・

 

迷子になった自分の子供を多くの群衆の中から見つけ出す。

 うちの子、うちの子、うちの子、うちの子・・・

 

トイレで便秘を気張る

・・・・・

 

 

 

そん時、雑念沸かないと思うんだよね。

 

何も「最高度の集中力よ、剛力招来!」って気張ん無くても、容易に集中発揮出来るでしょ?

 

 

敢えて(自分は集中出来ているのだろうか?)

と考えると緊張が生じ、それが雑念になります。

 

 

なのでまず、心配はしないでね。

誰でも元々、凄い集中力は持っています。

 

 

お釈迦様は「腕のいい王様お抱えの料理人が、自分が今作った最高のスープの味見をしたと考えよ」などと言います。

彼は自分の舌先で、スープの出来栄えを想像し(この酸味のスープがわたしの王様や、ご家族の味覚を堪能させる)彼はそう思いながら、自分の舌先に全神経を注ぐのだ。

 

 

手探り状態の時に、集中が自然に感覚に向きますよ。

 

 

 

 

例えばさ、今、近くにティッシュペーパーがあれば一枚、手にとって見てください。

そしてそれを手のひらに乗せて目をつぶりますよ。

したら、今、片手にティッシュペーパーが一枚、乗っていますわね?

その重さを感じ取ってください。

 

或いは今の季節、外でセミがミンミン鳴いていると思うんですけど、その声がどこから聞こえて来ますか?木がそのへんにありますか?

或いはコンクリートの壁?

 

その姿を想像してみてね。

 

 

どうですか?

とても集中したんじゃありませんか?

 

 

ネドじゅん先生発案エレベーターの呼吸するのも良いかもね(^^)

一概にプラーナヤーマは集中力を高めるし、ヨーガでは瞑想の前に置かれていますよ。

 

 

 

 

 

 

 

  「今、死んだら神に生まれ変わる」という要素を蓄積する

 

神々の世界を見るには、その神々の状態(功徳と心の清らかさ)を獲得していないと翔べないの。

解りますよね?(わたしなんかまだまだで、第二天界の忉利天までしか経験しておりません^^;)

 

男性が女性風呂に何食わぬ顔で入浴して平気か?というのと同じです。

引きずり出されますわね^^;

 

というかまあ、パスポートの所持というかね。

 

 

追々、出てきますが慧解脱というのは、無常世界の成立を知って、理解し、離れるということが要求されますので、欲界、色界、無色界をすべて経験する必要があります。

 

これを味著・過患・出離とか、証知・遮断・現証などとも言います。

 

 

修行者のカルマによって

  • 心解脱だけの人
  • ある程度心解脱があり慧解脱する人
  • ある程度慧解脱があり心解脱する人
  • 具分解脱する人
  • 信解脱する人

色々とあって、インドの要請は「六道からの出離」なので、その中のどれか一つを満たせば、必要最低要件は達成です。

 
 
しかし、仏教のグルはすべての経験が要求されます。
 
 
 
この先、とても難しくなりますよ^^;