そもそも、何故ブッダは弟子たちに

  1. 持戒を護らせるのでしょう?
  2. 功徳を積めと言うのでしょう?
  3. 懺悔しろと言うのでしょう?
  4. 清貧に暮らせと言うのでしょう?

これらは先にカルマの力学が存在するからに他なりません。

 

 

 

 

他方、ある若いお坊さんが

「これは社会を良くするための道徳である。釈迦は社会改革者であり、仏教とは社会改革集団だ。輪廻などと言うのは、それを保持させる方便に過ぎない」とオンライン常楽寺という動画サイトで言ってます。

輪廻説をブッダの嘘と見抜く事が彼の悟りなんですって。

 

 

また、各宗派ごとに異なる悟りが存在すると言います。

  • 禅はやテーラワーダは無我
  • 天台は本覚
  • 日蓮宗は山川草木悉皆成仏。
  • 真言は「即身成仏」

などなど・・・

 

 

例えば今小路さんよると浄土真宗の悟りは、自分の前に多数の祖先が存在すると。

(浄土真宗の公式定義では無いと思います。親鸞は言ってないと思います)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  思想や哲学に思い至る事が「悟り」ではない

 

単純に1世代遡る毎に祖先の数が2倍ずつ増えるとすると、10代遡れば210=1,024人、20代遡れば220=1,048,578人の先祖がいることになるそうです。

 

 

 

「その祖先の誰か一人でも欠けたら、今の自分はこの世に存在しない。それほど貴重なわたしである。だとするならば、祖先に感謝して、この貴重な人生を精一杯生きて、幸福になること。それが正しい人の生き方である」

これが悟りなんだそうですよ。

 

 

ん~、中々素敵な思想だと思います(^^)

しかし、わたしはこれは単に信条と言うか、イデオロギーというか思想というか哲学であり、悟りとは無関係だと考えます。

 

 

 

今小路さんはこうも言ってて

「古代人ならいざ知らず、知性の高い現代人に輪廻などと言って誰が信じようか?

もし、輪廻が有ると科学的に証拠を出せた人には、わたしが懸賞金を出そうと、凄い鼻息を感じます(^^)

 

 

 

 

この方はお釈迦様を思想家だと把握していらっしゃるようで、仏教もそういうものだとご理解なさっているのね。

そして現在存在する仏教を統合しようと壮大な野望を語っていらっしゃいました。これを次のシーン「仏教4.0」と言うんだそうです。凄いねえ。

※沢山、動画があるのでそのどれかは正確に指摘できません^^;

 

 

 

 

そこで先にブッダが言い出した「縁起」とはどのような意図、また、ブッダによって定義されているのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

  大乗の「縁起」は使えない、役にたたない。

 

あのね、大乗仏教でいう「縁起」はブッダが初めに説いた縁起とは全く別の概念を指して言ってます。

 

しかしみんな「縁起」と言うとこの大乗の縁起説を思い浮かべます。

  • 大乗・・・相互依存関係、「実態は無い」という思想。 カルマは語られていない。
  • 仏陀・・・十二縁起。意識の変転 カルマの作用を言ってる。

これくらい内容に差があります。

 

 

 

 

大乗の縁起説は「空だ空だ」とはしゃぐ人ばかりを沢山生んだしょう?

「俺は悟った」と。

つまり役に立っていない証拠ですね。

 

 

 

 

 

 

  相互依存関係

 

相互依存関係というのは、ここに何かの製品を持って来るとしますわね?

椅子でも自動車でもいいけど。

 

で、それはパーツの集合体であり、それをわたしたちの使用目的に適うように、有機的に人が組み合わせたものと定義出来ますわね?

 

 

 

航空機の部品の総数は約300万点のパーツで、自動車は約3万点の各パーツの組み合わせなんだって。

 

 

これを表わす概念が大乗の「縁起説」です。

カルマは関係ありません。

 

 

そこでこの様に言うのが大乗ね

「自動車や航空機などは人が便宜的に表現した意思疎通上の記号にすぎない。絶対的な意味において、自動車や航空機などは実在しない。人が絶滅したような世界に於いては自動車や航空機はただの鉄の塊である」

 

 

そんなこと、これこれポッチも言ってないんですよ、お釈迦様(^^)

 

 

 

 

 

 

 

  解脱に導く縁起説

 

あのねそうじゃなくて、渇愛を縁とし次の生の核となり、サンスカーラが発生するんだね。

そしてそれは無明である限り、絶えることなく継続するのだと。

これをお釈迦様は「縁起」と呼びましたよ。

 

 

 

だからわたしが初めに言った

  1. 持戒
  2. 功徳
  3. 清貧
  4. 懺悔

等は、転生の核となるサンスカーラを新たに生まないように釈尊がご指導されたものなんだね。

 

 

ねえ、例えば殺生ね。ゴキブリは気持ち悪い、潰してしまえ!

身口意の領域で殺生をなしたと。

これが蓄積したら地獄へ転生する要因ですよ。

 

ここの本質は「瞋りの修習」ね。更にそれは自と他の区別がベースに生じているの。

それが地獄という世界を生じさせる根本因です。

 

 

だから殺すなと。

この様にして持戒や懺悔は登場した訳ですね。

  1. 不殺生・・・地獄に行かない
  2. 不偸盗・・・餓鬼に行かない
  3. 不妄語・・・動物に行かない(嘘を言うのなら言葉は不要。ワンワンとかニャーで十分)
  4. 不邪淫・・・人間に行かない(動物は発情期だけ性欲が生じますが、人間は全部発情期)
  5. 不飲酒・・・阿修羅に行かない

もし、やってしまったら心から反省し「今後、やりません」とブッダに誓う。

これが懺悔ね。つまりなした悪業の帳消しね。

 

 

 

理解しました?(^^)

 

それでは正しい縁起の理解のためにブッダによってどのような定義がなされたのでしょうか?

今日はそれを押さえてくださいね。

 

 

 

 

 

 

  サンユッタ・ニカーヤ2 「分析」から

 

「今日は君たちに十二縁起の定義を語ろうと思う。よく聞いて熟考し、自分のものとしなさい」

 

「かしこまりました、世尊よ」

 

「では初めに縁起(機縁と生起)」とは何か?

それは

  1. 無明に依りて、行(サンスカーラ:衝動)がある。
  2. 行に依りて、識別がある。
  3. 識別に依りて、名色(心の働きとそれを運用する身体)が起こる。
  4. 名色に依りて、六処(6つの感覚領域:チャクラと理解ください)が起こる。
  5. 六処生じて、接触がある。
  6. 接触に依りて、感受作用が起こる。
  7. 感受に依りて、愛着がある。
  8. 愛着に依りて、囚われ(こだわり)が起こる。(渇愛のことね。死ぬとこれが次のサンスカーラ)
  9. 囚われに依りて、無常世界への生存が起こる。
  10. 無常世界への生存に依りて、誕生が起こる。
  11. 誕生に依りて、
  12. 老死に至る。また愁・悲・苦・憂・悩が存在する。

これが苦の集積の詳細である。

これを縁起と言うのである。

 

「依りて」というのは、ちょうど炎が薪に燃えているとしますわね?

縁りて起こるとも言うので、これを端折って「縁起」と呼びます。

 

 

するとこの炎は薪や酸素などに依っている。という意味です。

良いかな?判りますかね?

 

薪だけ有っても炎には即、ならないでしょ?

 

カビもそうよね?

媒体となるものを指して「依りて」と表現しているの。

「宿っている」とお考えください。

薪が尽きると、炎も消滅しますわね?

 

栄養も湿度も温度も、その条件が失せると、もはやカビも存続できませんね?

 

だから上の様に云うなら「サンスカーラの発生は無明を依処として成立する」と。

 

 

では次に修行者たちよ。

老死とは何か?

これは生きとし生けるものが、老い衰え、朽ち破れ、髪白く、皺生じて、齢い傾き、感覚の各部衰えたる。これを老いと云う。

 

また、生きとし生けるものが命終わり、息絶え、身体朽ち破れ、死して遺骸となり捨てられたる。

これを死というのである。

 

 

 

 

次へ続く・・・