解脱に有効な宿命智って言うのはね、こんなです。
宿住随念智(宿命智と同じ)
沙門果経「宿住随念智」
心は寂静で純浄であり、煩悩はなく随煩悩を遠離して柔軟であり、同時に活発であり、しかも安住にして不動の状態にあるとき、真理の出家修行者は心を宿住随念智に傾け注ぐのであります。
そして彼は過去世における様々な生涯、例えば一生・二生・三生・四生・五生・十生・二十生・三十生・四十生・五十生・百生・千生・十万生・幾多の壊劫・幾多の成劫・幾多の成劫と壊劫とを思い起こし、
「あそこでは、私はこのような名を持ち、このような種族に生まれ、このような階級に属し、このような食事を取り、このような苦楽を享受し、このような寿命を有した。そして、私はそこで死去し、かしこに生まれ、そこではこのような名を持ち、このような族に生まれ、このような階級に属し、このような食事を取り、このような苦楽を享受しこのような寿命を有した。そして、わたしはそこで死去し、かしこに生まれ変わった」と、
その形相と場所とを伴った様々な過去世のとどまるところの記憶を生起するのです。
仏弟子の告白
四念処、七覚支、八正道を修養して、わたしは五百劫という途方もなく長大な過去世を一夜のうちに生起した。
ソービタ長老
「一劫」はこの宇宙の寿命ですよ(^^)
高々一個か二個の前世の記憶が蘇ったくらいでは変化をもたらさない
どうして一つ二つ思い出しても仕方がないのでしょう?
さっきこんなの見たんだけども・・・・
仏教の歴史から、お釈迦様の当時、※五百の悟った弟子がいて、
最低限でも自分の過去世を思い出している人がそう言われたが、
私はこれを仏の教えをねじ曲げたものだと解釈しています。
それは過去世を思い出していても、
同じ過ちを繰り返している人生の方々もおられると言う事実があるからです。
※「結集」に集まったのが五百羅漢だけど、阿羅漢の総数はその何十倍も存在しました。
或る瞬間に集合したのが五百羅漢なの。
一個か二個の前世を思い出すとそんなかも知れません(^^)
依存から抜けるには絶大なショックが必要
あのね、タバコやアルコール類に依存している男がここにいると。
或いは盗撮や、盗癖ね。或いはギャンブルなどね。
要するに病的な依存状態で、それが原因で彼の実生活に多大な影響を及ぼし、職業や家族を無くすというかね。
そして自分自身、依存や中毒の悪弊は十分理解しているけれど、それでも尚、辞めらんない。
これ。一度や二度の後悔ではとても治まりません。
輪廻の要因「渇愛」
ねえ、これが無常世界における囚われなのね。輪廻の原因(渇愛ね)です。
いいかな。
ところがこの悪弊を途方もない長期において、自分が同じ過ちを無数に繰り返し続けていたと知る。
これが解脱に有効な前世の知識なの。
ねえ、自分は五百劫以上もの長大なタイムスケールにおいて、性懲りも無く同じ過ちを繰り返し、後悔、悲しみ、別れ、絶望を繰り返し続けたんだ。と、これは相当なショックなんだよ。
お釈迦様は
「君たちが、無数の生涯で流した涙の総量は、この大海を何倍にしても、なお足りない」
と言います。あの目薬くらいの涙をさ、七つの海を合わせても足りないほど、わたしたちは苦悩の中にいると言うんです。
ここまで来てやっと、わたしたちは無常の意味を知る訳です。
一度や二度、刑務所に入っても軽犯罪の再犯率は高い
あなた、なのに、たかが一度や二度、万引きでスーパーの私服の万引きGメンに呼び止められ、バックヤードで自分の息子くらいの店長に叱られて警官が来る。
奥さんも来て
「あなた・・・なんて情けない。謝りましょう。わたしと一緒に謝りましょう」
穴が有ったら入りたい衝動に駆られるけど、ほとぼりが冷めるとまた盗撮や万引や、下着泥棒をやっちゃう。
人はストレスが、或る閾値に達すると、精神状態が平衡を取り戻そうとして、反道徳な事するのね。
無常のもう一つの顔
宿命智で理解することは、それだけじゃないけどね。
もう一つが
無数の生涯に亘り、それぞれの人生でわたしが愛した子や家族。それらは今、どこに有るんだ?
ここに至って誰でも、初めて無常の本当の意味を知ります。
要するに、どれほどその時に熱意を持って愛したり、真剣に取り組んだりしても、それさえ儚く消え去るのだと気がつくの。
するとよ。
こう考えざるを得ませんね
(だとするならば、今現在わたしが執着している対象も儚い一時の夢の様な存在に過ぎないんだ・・・・)
執着しても生別死別によって、そこで終わりなんだと。
ねえ、夢で恋愛したことあります?
目が覚めたらとても虚しく辛いでしょ?
そのとき初めて、夢とこの現実が「同じだった」と、皆さんは知ります。
口で「無常だ」と言っても実感してる人はほぼ皆無
だから理屈なんだよね、みなさんが「無常だ無常だ」と言ってもね。
宿命智で知る前世とは実感がまるで違います。
そこで初めて「無常なるが故に苦なり」と心底から思うの。
だから三つの明智を得ないと輪廻から解脱しないと言うのね。
悟るだけでは現世の苦悩が無くなるだけなの。
そして見渡す限り、四念処、七覚支、八正道その他の三十七道品を解説しているのはここのブログだけだと思うよ。
違ったら偉そうに言ってごめんなさい^^;
チャクラにまつわる仏教タントラの見解
でね、ついでに。
チャクラを願望成就の要件として説いている方が大勢いらっしゃいます。
いいですか?耳の穴、かっぽじって聞いて欲しいと思います。
スピ系の方は、ヨーガや仏教の解脱の体系の中から、チャクラやクンダリーニという神秘的な働きだけに注目して、解脱そっちのけでチャクラやクンダリーニを願望が叶うとか、超能力が目覚めると言って宣伝なさいます。
つまみ食いしていると言えます
それが良いはずが無いじゃありませんか。
長い目で見たら、悪い果報に導くに決まっています。
功徳の果報で慶事に結びつくの。
悪業の果報で、期待は裏切られ愁嘆・悲痛・苦悩・憂鬱が生起します。
だから功徳を積む、悪業に成ることは断じる。
そうやって幸福になって行くのが正しい因果関係なのね。と、いうか真理です。
だのに、悪業(穢れ)はそのままで、功徳の借金をするような行為がチャクラを利用した願望成就です。
その場合ちょうど、サラ金にお金を借り続け、欲しいもの購入するのと同じ構図でしょ?
どこかで必ず限界が来て、その時怖いお兄さんが取り立てに来るでしょう。
スピ系の人はそういう事を皆さんに薦めていると言えます。
あの、・・・これを無知の煩悩と呼びますよ。
ところが無明はそれとは違うので、注意してね。
願望成就や趨吉避凶が最終目的のスピやオカルトの信望者
それはとんでもない発想で、ベクトルが解脱とは逆のモーメントなのね。
どうしたら願望が叶うかを考えます、彼らはね。
神さえも自分の願望成就に利用しようとします。
わたしはそれをしたら、自分の死後が怖いです^^;
本当の安らぎ・幸福は渇愛を止めること
願望成就したら輪廻の原動力である渇愛は薄らぎますか?
「もう沢山!」と思いますか?
それとも
「もっと色んな願望を叶えよう」と指向しますか?
どうですか。
魔法のランプを手にした人間。
欲望は増大に向かうでしょうか、減少していくでしょうか?
手塚治虫の「千夜一夜物語」より
「俺はこの船(魔法の船)でバグダッドの王になってやる」
アラジン(声優は元東京都知事の青島幸男氏)
チャクラの活性化について
方法論として7つのチャクラと熱のクンダリーニに刺激を与え続け、それを覚醒させることは比較的容易です。
あのね、クンダリーニが覚醒後、中央管(スシュムナー気道)を通るので、アーサナなどで脊柱の歪みは正しておきましょう(^^)
- 身・・・チャクラ固有のムドラーやアーサナを実行する。
- 口・・・各チャクラのマントラを唱え続ける。
- 意・・・チャクラの部位に特有の思念の精神集中を行う。
- シュリヤントラ(ググってね)を見つめ瞑想する
- 各チャクラのマンダラを見つめる
- ブフー・・・・ムラダーラ
- ブハー・・・・スワジ
- スワハ・・・・マニプラ
- マハー・・・・アナハタ
- ジャナー・・・ビシュッダ
- タパー・・・・アジナ
- サティアン・・サハスラーラ
手印
ムドラーはカラダ全体を使うもの。手印だけのもの。二種類あります。
- 智拳印はアジナー・チャクラ
- 蓮華印はアナハタ
後は隠します^^;
「鋤のアーサナ」は喉のチャクラの開発に行う
喉のチャクラに集中し、マントラ「ジャナー」を唱え続ける
喉にチャクラの図をイメージを置く
youtubeでも探すと優れたチャクラ開発の方法論を説いています。
例えばこれなど
同時に必ず功徳を積む、持戒を護るなどすべきです。
チャクラの保全に必要な持戒に日々務める
- 第一チャクラ・・・嫌悪や冷淡を捨て、慈愛を実践
- 第二チャクラ・・・貪りを捨て、気前よく施す
- 第三・・・・・・・無知を捨て、綺語、ダジャレを言わない。娯楽番組を見ない
- 第四・・・・・・・情に偏った見方をしない。生まれた国や人種や性別で差別しない。
- 第五・・・・・・・自分が偉いとは思わない。アルコールを取らない。
- 第六・・・・・・・観念や習慣に囚われない。現状で満足しない、絶えず上を目指す。
これは、八正道だと気が付いたね(^^)
ターラー成就法
なお、チベット仏教ではこれらを有機的に組み立てた「成就法」というのが沢山存在します。
わたしが何故「ホワイト・ターラー」かと言うのは、ホワイト・ターラの成就法というのが存在するからなの。
一例です
なにせターラーは最終25人にも増加するんです。
わたしが修行したのはこれとは違います。
秘儀なので聞いても教えられません、ごめんなさい^^;
どうして解脱の教えが願望成就の法とされたか?
そのう、理趣経などでは男女のセックスも菩薩の境地などと言うんだけど、これをそのまま肯定したら地獄へ落ちますよ^^;
十七清浄句
とても危険な思想で、中世の日本では「真言立川流」が日本中を席巻し、貴族や高徳の墓荒らしが横行し、ついに幕府から弾圧を受けました。
当時、真言僧でなくても立川流に手を染めた僧侶が大勢出現します。
ただし。
ニセモノの立川流なのね。
喉から手が出るほど秘法を求めたので、「俺は立川を知っている」と言って、金銭狙いで適当にでっち上げた教えが横行したのね。
はい、ではどうして「スワジスターナを開くと理想の恋人に出会います」などと言い出したのでしょうか?
解脱を目指す場合は、チャクラから漏れるエネルギーを封印して頭頂に導くのね。
なんだかただサハスラーラが開くと解脱すると思ってる方も見えるようですが、それはチャクラや解脱を分かっていません。解脱した時には、サハスラーラ・チャクラは完全活性化しています。本末が分かっていないの。
でも、各チャクラからエネルギーが漏れると、その人にとって無常世界での願望は叶いますが、益々幻影に囚われが起き渇愛が生じるよね。
ねえ、その瞬間は恋人が願望通り出来て喜びが訪れますよ。
でも、それがその人の今後の幸福を保証する物ではないよね?
殆どの人は無常の世界のものは苦悩の因に変わるでしょ?
- 求不得苦
- 愛別離苦
- 怨憎会苦
ね。
カルマはスシュムナーやチャクラに詰まりとして存在している
だから、解脱者から見たらみなさんは過去世からの苦悩や煩悩は、生まれた瞬間にすでにスシュムナーやチャクラに詰まりとして存在しているの。
良いカルマはこの世の福をもたらすので善業と呼びます。貯金だと思ってください。
悪いカルマは苦悩をもたらすので悪業と表現します。これは借金。
「誰が善業とか悪業を決めたんだ!自分でそう思ってるだけや」と怒ってる方がいらっしゃいますが、誰が決めた訳ではありません。
結果論として、喜びをもたらすか、苦悩を呼ぶか?で名付けられています。
十善、十悪があります。または無財の七施など。
これって「信号の赤は停止って誰が決めたんや、自分じゃ無いのか?」というようなものですね。
渡るのは勝手だけど、轢かれる可能性というか危険を知らせているだけのことだよね、赤信号。
願望を成就すると貯金を使う訳です。
苦悩を経験したら、その時は悪業が一つ落ちます。
それを踏まえてね。
チャクラが穢れた(悪業が存在する)状態で、チャクラの活性化を図って、そのエネルギーで願望成就を行うと必ず下向します。来世、三悪趣が待っていると言うことね。
しかし、多くのチャクラ開発のメリットを宣伝する人は、願望が叶った時点しか見ていません。
これは丁度、第六天魔王が文化を人に与えて使わせるような構図と同じです。
文明の利器は便利でしょ?
スマホや旅客機や、電子機器などね。
しかし。それを使えば使うほど地球の自然の均衡はバランスを崩し、気候変動や酸性雨、新型コロナなどとのイタチごっこにハマると。破滅天という人は、そうする事が役目なのね。
タントラと言うのは、お釈迦様が言わなかったチャクラの利用方にスタンスというか、重心を置いたのね。勿論、八正道の方が正しいですよ。得る果報は間違いが無いです。
タントラは早く解脱するけど、気狂い僧みたいな人が多くいます。
調和の感覚に欠けているため、とても極端に走りやすいです。
おまけ
字義どおり実行したら地獄へ落ちますよ^^;
最澄が「理趣経かして」と空海にお願いしたら、空海が激怒してついに最澄と絶交した原因となった経典です。
理趣経の十七清浄句
- 妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
- 慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
- 觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
- 愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
- 一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
- 見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
- 適悦淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
- 愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
- 慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
- 莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
- 意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
- 光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
- 身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
- 色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
- 聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
- 香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
- 味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
中世の立川流は、ドクロ本尊を作って深夜の某所で男女が、魔術を行いながらセックスしたんですよ。さながらホラームービーです。
これもスピリチュアルやオカルト的な発想だと言えます。