個体に閉じ込めれたハン・ソロ

 

 

 

 

ご存知スター・ウォーズで冷凍にされ、壁に閉じ込めれたハン・ソロ

 

 

 

 

 

  涅槃を言っても伝わらない

 

一体、それが「何だ?」と言うに・・・(^^)

 

 

お釈迦様が涅槃の様相をあまり言わない理由が有るのですが、それは、分かりやすく言うと、誤ってみなさん、涅槃を上のハン・ソロみたいな印象で捉えるからなの^^;

 

 

 

 

ウダーナヴァルガ「涅槃」

虚空も無く(空間が無い)、太陽も存在せず、月も存在しない(太陽と月の出没で日にちの経過を知る。つまり時間が無い)ところのその境地を、わたくしはよく知っている。

水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところ――、そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。

そこでは月も照らさず、太陽も輝やかない。聖者はその境地についての自己の沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する。

 

 

 

高藤聡一郎先生「悠かなる虚空への道」

 

 

 

 

 

5,6年前にわたしが或る人に

「涅槃って言うのは、時間も空間も無いのよ」と言ったら

「それはある意味で地獄だね、出家や瞑想してまでそんなもんに憧れる気持ちが理解出来ない。

欲望や輪廻の方をわたしは選ぶわ

と言いました。

 

これじゃ法施になりませんよ^^;

 

 

お釈迦様やお弟子さまを物好きなバカだとでも言いたげでした^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

  想像を絶する涅槃

 

「時間も空間も無い」と言うのが彼女の想像の範囲を超えていたので、彼女は

  • 時間を静止状態。永遠に時間がストップした状態ね。
  • 閉ざされた空間、閉鎖された位相空間ね。

 

を想像したのですね。

いや、それは

  • 「永遠に静止した時間」と
  • 「閉鎖された空間」ですよ^^;
時間と空間を想像してるのよ。
本人は気がついて無いんだけどもね。
 
 
わたしたちは、この様に全てにおいて、自己と時間と空間を外して思考や想像することは不可能に近いんです。
今までの生き様によって、この様な観念が形成された訳ね。
この様な思考習慣をもつ人に正しく涅槃の状態を告げることはほぼ不可能です。
 
間違えないでね
  • 究竟涅槃に入り、自由を得、不死に至るのが「解脱」
  • 名色が停止し、欲望が尽き、苦悩から解放されたのが「悟り」
 
 
化石じゃないんだからさ、そんなもんに憧れて涅槃したくはありません。
この人は冒頭の「ハン・ソロ」みたいな状態が涅槃だと想像した訳です。
 

 

そうじゃなくて、制約が無いの。

だからそこには絶対的自由が有るわけね。

 

 

 

 

 

 

  四念処「肉体は不浄なり」

 

だから「真実は逆」とお考え下さい。

 

本来は身体さえもない不死で自由な状態なのに、歳を取れば衰え、内部にはリンパ液や血液、胃液、髄液、大便、小便が詰まった内臓や骨格や、筋肉や皮膚に覆われた肉体に現在わたしたちは閉じ込められています。

 

またそれに執着さえしているのだと。

 

セレブがよく美容整形して失敗するのは、自分の美に執着しているからだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

  否定話法によって言うしか無い

 

「否定話法」とは

熱くないけど冷たくもない。

遠くないけど近くもない。

小さくも無いけど、大きくもない。

美しくないけど、汚くもない。

柔くはないが、固くもない・・・・

 

 

それは相対の二項対立を超越した世界であり、「これ」と固定された概念の言葉で

表現が不可能なので、致し方がありません。

 

高藤聡一郎先生が

「有るのは絶対的な空間だけである(厳密に言うと空間もない)」

と言っているでしょう?

表現を変えると

「空間だけど、空間でもない」

と、言うのと同じですね。

 

 

 

あれれえ・・・これは般若心経のこれとそっくりだぞう(^^)

諸法の空性は

不生にして不滅

不垢にして不浄

不増にして不減なり

 

是の故に空に於いては色も無く、受想行識も無く、

眼耳鼻舌身意も無く

色、声、香、味、触、法も無く

眼界も無く、乃至、意識界も無し

無明もなく、亦(また)無明の尽くることもなし

乃至、老死も無く、亦、老死の尽くることもなし

集滅道も無く、智もなく、亦得も無し

 

 

「中論」にも八不中道と言って、同じことが書かれています。

不生・不滅、不常・不断、不一・不異、不来・不出の八つ

 

 

 

 

えーと、前に戻るけどね、

「心経は釈迦をも否定しさった」と言う人が、いかに正しくない仏教理解をしているか解るというものでしょ?

 

 

 

 

 

 

  バカな考え休むに似たり

 

この程度なのよ、「わたしは仏教のことを知らないが、悟りとはこういうものであろう」と言う人が時々、意見を言ってるけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  言えば言うほど本質から遠ざかる

 

これが有るからお釈迦様は最終の状態を却って言えなかったの。

だってわたしたちの経験の中に嘗て一度も存在しなかったんだもん。

 

 

フルーツを一切食べた事が無い人に、パイナップルのことを伝えようとするもんです。

 

 

正しいイメージを相手に与えられないよね?

 

「時間も空間も存在しない」と言ってるのに、それを受けてイメージしようと試みたら

動きの無い時間と、隙間の無い空間」を想像するのがやっとなんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

  AIに尋ねても判るわけはない

 

あのねAIに涅槃や仏教のことを問うてもそれがあります。

だれも真理のデータをAIに入力出来ないもん。

 

 

それは誤った情報しか入力されていないから、誤った出力しか出て来ないでしょうよ。

近頃、想像力の足らない人がAIに仏教についてあれやこれや質問して誇らしい気になっていらっしゃるのを見ました。

 

 

 

 

 


 

 

  不立文字、冷暖自知

 

禅では悟りの体験を

世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、敎外別傳あり

観念を利用しては伝えられない。と言っています。

 

 

 

悟りでさえこうなんだから、究竟涅槃をイメージさせるなんて、お釈迦様でさえ言いかけて辞めたんです。