修行者にとってカルマの浄化とはどんな意味があるか?
はい、修行者に「カルマの浄化」が起こる意味はですね。
カルマの浄化自体が目的ではありません。
多くの方は恐らく、趨吉避凶(福を呼び込み、凶事を避ける)。
幸福であり、不幸の少ない人生を恃んでそう願うのでしょう?
それが無常世界に対する羨望なのね。
しかし修行者にとって、そんな事どうでもいいんですよ。じゃ、そこに何が有るか?ねえ。
過去の悪業を肉体を放棄する前に整理しておきたいのね。
解脱しないでまだ輪廻する人の場合はほっておくと、三悪趣に行ってしまいます。
成就者の場合は、涅槃に入る際ランクが落ちる可能性があります。
- 中般涅槃を落として、少般涅槃とかね。
- 少般涅槃を落として、無行般涅槃とかね。
- 無行般涅槃を落として、有形般涅槃とかね。
- 有形般涅槃を落として、不還とかね。
悪業は、上にあがる際の障碍という訳です。
身軽になっておきたいわけ。
欲界に6つ、色界に18、無色界には4つの天界があります
当然、上に行くほど寿命、幸福度、知性も上。
涅槃しなくとも、色界以上に転生して欲界の六道輪廻を超越しますので、
定義上は解脱と言います。
しかしテーラワーダでは解脱とは見ないかも知れません。
「不還」の場合、欲界には戻らない。しかし、涅槃もしない。
その場合が色界や無色界への転生です。
図はここからお借りしました。
般若波羅蜜多女神とは?
さて、心経の続きね。
心経を多くの人が間違って理解する原因は、今から千年以上もの昔、唐で心経が流行した時にええ加減な人が(今もこんな人大勢いるけどさ・・・)
「大般若経600巻から一文字ずつ抜き出して、コンパクトに深淵な空の哲理を短く纏めたのだ」
とバカな事を言ったのがその真因です。
この弊害により、本来密教経典が持つ特有の「マントラの開示」が無視されてしまうようになりました。
そのうえあろうことか肝心の深般若波羅蜜多が、なんだか修行者を励ます呪文であると言う見方が当たり前になっています。
訳しちゃいけないのに、「行けよ行けよ、能く彼岸に行けよ、栄えあれ!」だって。
どうしようも無いね。
だから心経と言うのは、全く認識されていませんが、
- 大般若経のように顕教のお経とは根本的に違う。
- 女神信仰を主体とする密教経典である。
- 般若波羅蜜多は本来、女神の名前である。
あ、嗤ったな^^;
んでは証拠を出すぞえ。
今日はここまでね(^^)