ストレス発生

 

わたしたちは何かのストレスに出会うと、反射的にその由来や原因を求めようとあれこれ思考が動きます。

 

 

 

  成熟した人と、未熟な人の違い

 

成熟した人格を有する場合、自己の可能な努力を精一杯して、後は野となれ山となれと心配を止めます。

 

他方、人格的に未熟な人の場合だと、自分に最終的な原因があると認めたくありません。

何かに現状の不都合の責任を取ってもらい納得を得たいと、必死になり、挙げ句いざこざに発展します。

 

隣国も「とにかく、日本が全て悪いのだから保証しろ」と。

 

 

何かに責任を転嫁しようとしたら、心はもだえ苦しみます。

 

 

端的にそれを悟った人、とそうでない人と理解すると解りやすいかも知れません。

喩えよ、飽くまでもね^^;

 

 

 

 

 

 

  何につけても意味を求める人間

 

でね、何につけても納得を得たいと言うのが人間のサガです。

あれやこれや疑問を自ら生じさせて、それにケリをつけて納得を得ないと人は落ち着かないの。

 

一例

トランプさんは陰の政府と戦っているんだ、と思うと、スッキリする。

 

安倍晋三さんや、自民党の一党独裁政治が、全ての社会的な不満の原因だ。と考えるとスッキリする。(わたしは餅は餅屋だという考えを持っていて。なので次は自民党から女性総理が出ないかなと期待したりして・・・)

 

人生は複雑で、納得出来ない事が多いが、そこには人生の真の意味が隠されているに違いない。と、思うとスッキリする。(これを悟りと誤解している人は多い)

 

必ず自分はどこかでアセンションがあるから、苦しくても今を生きる。

 

わたしの苦楽には意味があり、まだ見えないけど使命を持ってわたしは生まれて来たんだ。と思うとスッキリする。

 

全て妄想ですね(^^)

身も蓋も無いけども。

 

 

 

 

 

  枯れ葉よ~

 

秋風に煽られて枯れ葉が無数に、お店の玄関に溜まるの。

履いても履いても直ぐにたまります。

 

見栄えが悪くなるので、バイトの子に履いて貰うんだけど、何度もお願いしたら嫌がるんです。

「無意味だ」

 

でも「葉っぱ一枚につき10円出すよ」と言ったら目の色を変えて集めて数え出しましたね。

ねえ公子ちゃん。

 

 

 

行為自体は同じなのに、意味が与えられると人は意欲が湧くの。

 

 

 

 

 

 

 

  無常の世なんだから何が有っても当たり前 眼横鼻直

 

わたしたちは何においても納得するための原因や意味を求めます。

悟るとそれが「目は横に、鼻は盾に」「花は紅、柳は緑」何が有っても、有って当たり前という心境になります。慌てません。

 

 

 

 

 

  非業の死とは?

 

また「非業の死」というのがあるでしょ?

 

あれは遺族への慰めの言葉なのね。

例えば、子供さんが自殺したと。

それを「仕方ありません、その悲しみはご家族と彼の持って生まれた業(カルマ)なのです」

仏教はそう考える訳ですよ。

(お釈迦様がキサーゴータミーにそう諭した。人は死ぬのが当たり前)

 

 

しかし、それじゃああまりに気の毒だと。

そこで非業(カルマではありませんよ)なのね。

「たまたま運が悪かったのです。あなたや子供さんには何の罪もありませんよ」という意味なの。

 

 

 

 

 

 

  左脳の働き

 

これを五蘊の働きで

(見聞作用)、想(イメージ)、行(我慢できない衝動)、識(意味を求める論理性)と言います。

 

 

 

OK?

 

例えばね、何かの都合でね、あなたが見通しの悪い森を歩んでいると。

人生もそうだと思ってね。

その瞬間、太い蛇を踏んづけた!としましょう。

アクシデントが発生したのよ(^^)

 

 

 

 

 

 

  恐怖、暗闇で太い蛇を踏んづけた!

 

その恐怖と来たら、鋭い蛇の牙で噛まれたら、とても痛いでしょうし、猛毒が体内に入ったらとても苦しむでしょう。まして、直ぐに病院に運んで貰えないとここで死んでしまうかも知れない。

 

あなたの恐怖はマックスだ!

 

 

 

小林製薬のサプリメントで人的被害が広範囲に出て、大変な騒ぎです。

わたし、どうも事故の推移を見ていて、小林製薬は逆に被害者なのでは無いかと当初思った。

開発段階でクリアしているはずの問題が発生しているの。

 

これはひょっとしたらサプリの製造を外部に委託し、そのチェックが甘かったことが原因だと思ったの。案の定的中した。

 

 

まあ、森で毒蛇に噛まれたようなことですね。

信用と言うか社会的な小林製薬のダメージは相当なものですね。

是非また、信用を取り戻してくださるよう願います。

 

 

 

さあ、そこでね。

もしよ、もし・・・

良く見たら蛇とあなたが咄嗟に判断したのは、確認したのじゃなくて

(踏んだ感触が蛇っぽかった)だけで、後のは思い込みによる想像に過ぎず、恐怖は妄想が生み出していたのだと。

 

よく落ち着いてみたら、なんの事無い古びたロープだった。と

 

 

恐怖やストレスはそこで一挙雲散霧消して、安らぐよね?

そうじゃないかな?

 

 

 

だから、わたしたちはストレスを軽減するか、消滅させようとしてあれやこれや納得を得ようと受想行識を最大に働かせる習慣があるの。

 

 

それは自分にとって都合の良い言い訳と言うか、または不都合な現実を受け入れたくない理由ね。

エゴがそれを認めたくない妥当性です。

 

 

しかし、それがずっと継続したら、それこそがストレスの拠って立つ原因なのね。

左脳の引き起こす混乱ね。

 

 

 

OK?

仏教者はこれを受想行識の働きと言うんだけど、まっすーさんやネドじゅん先生はこの受想行識を「左脳の働き」と言っているのだとお考え下さい。そして、それを止めたと。

だからその具体的なハウツーを明かしましょうと。

 

 

 

 

 

 

 

するとよ、これが「悟りの具体的な中身」なんだけども、禅宗のお坊さんもそこに中々到達していない現状があります。

 

 

と、言うかそもそも悟りを目指して何十年と只管打坐しているのに、悟りを言えないお坊さんだらけなの。無我の意味も理解していませんね、どうかしたら。

 

 

 

 

 

 

解脱というのは、これとは全く違いますよ。注意してね。

とりあえず、まずは左脳の働きのメカニズムを知って、これを止めることがわたしたちの眼の前にある課題です。