(そんなんで、解脱とか悟りとか起こるの?)と、思ったらさに非ず。
正直なところ皆様、そうお感じなのではありませんか?
だからヨーガとか、曹洞禅の方が魅力感じますわね(^^)
実はわたしは何年もずーっとそう感じていました^^;
ところが三転十二行相が起きたら、大逆転!
八正道の意味が理解出来て、今こうして説き明かしています(^^)
にしてはその一方で
(あの、偉い釈迦牟尼が。2500年前に登場するや当時のインドを席巻し、偉大な思想家ナーガールジュナや唯識のアサンガがひれ伏す開祖。その後の南アジアや東アジアへと多くのセクトに分裂しながら現在もお坊さんがいる。
そんな偉大な釈迦が、あんな誰でも考えつくような単純な八正道を説いたのだろうか?)
道諦 苦の滅尽に至るハウツーへの精通
八正道
- 正見
- 正思惟
- 正語
- 正業
- 正精進
- 正念
- 正定
(道徳以上のものではない。良き人間に成るかも知れないが悟りまではいかんだろ)と思っているから、どこの仏教セクトも真っ先に取り組まず、自分のとこの宗祖が説く実践の方を最優先。
みんな同じ認知がおきる
えと、今からお話するのは、修行が間違っていなければ皆様にも必ず同じ認知が生じますよ(^^)
苦諦を理解せよ
まずね、先に理解しておか無きゃならないのは、苦諦の理解は必然です。
えー、ちょいと逸れますが、本来「四聖諦」というのは、たった一つの真理を4つの角度から表現しています。4つ有るんじゃ無いのね、4つは同じなの。後で説明するね。
如実知見の無常・苦・無我もそうですよ。3つ有るんじゃ無いの、3つは同じなの。
三面六臂の阿修羅
わたしは遥かずっと以前、阿修羅族でしたがこんな頭部ではありません^^;
阿修羅族って変な言い方で、ちょうど地球人を「人間族」というのと同じです。
でも、皆さんこの像のせいで、阿修羅ってたった一人だと思っていないですか?
「来たれ、修行者よ!」とブッダは言った
そしてもう一つ、お釈迦様はご自分の元に解脱を求めて集った人々を、「自分と同じ立場の修行者だ」とご覧になっています。
だから、「修行者諸君」と常に呼びかけます。
なので、不肖ですがわたしも「わたしの読者の皆様」と言ってますが、内心は「修行者たちよ」という気持ちです。
それはなるべく比喩を交えて分かりやすくお話するよう努力してはいますが、皆さんを、いつかは断定出来ないけども、「未来祭の何処かで解脱してください。ブッダになってください」という思いで難しいこと平気で書きます。
なのでどうか一生懸命、ついてきてね(^^)
苦悩の大海にいる自覚
さて、苦諦です。
ん~、ぶっちゃけ苦諦ってのは
家庭崩壊で家族が苦しんでいるのは自分のアルコール中毒とギャンブル依存、浮気グセが真の理由だったんだあ!ぁぁぁぁと言うようなのが、苦諦です。
それらが欲望の方が強くて今まで見えていなかったけれど、霧が晴れる亘るように今ハッキリ自覚したと。
苦における真理とは、「今当に自分は危機的状況である」という自覚の発生を言います。
- 今、溺れている。
- 今、燃え盛る家屋にいる。対応を誤れば、即、死だ!と
それを認知するのが、苦における精通ね。
でも、苦諦に至っていない人は、
- そんなことより鬼レンチャンはどこまで行ったかテレビが気になる。
- 今、話題のスーパーはどんな新しい生活提案があるのか気になる。
- 話題のグルメやAdoの新曲が気になる。
- 恋人が気になる。
- 仕事の方が大事である。
- ファッションが気になる。
- 新しいBMWの新車が気になる。
でしょ?
これを五妙欲に夢中と言いますよ。
五妙欲を貪る世界 愛欲界
- 眼における誘惑
- 耳における誘惑
- 香りにおける誘惑
- 耳における誘惑
- 触覚における誘惑
これが有るので、わたしたちの無常世界を「欲界(または愛欲界)」と呼びます。
無常という苦の海の中であっぷあっぷなのに、それに全く気が付かないのね。
もし、その自覚が起これば、死を避けるあらゆる努力が始まるでしょう?
- 苦) は!わたしは今、溺れているんだ!
- 集) それは、泳いでいて海流に流されていた事に気付かなかったせいだ。
- 滅) 泳いで陸に上がるか、助けを呼ぼうか?
- 道) 体力の消耗を避け、救助を待つんだ
これが涅槃から落下した、わたしたちの四聖諦です。
4つが分けられないというのは、今、溺れていると自覚が生じた時点で、他の3つも同時に発生しているからです。
理論は正しいのに、逆手に取ったお馬鹿さんたち
つまり前の記事でわたしが説明した、如来蔵とか本覚思想というのは「元々、涅槃にいたが今は、そこから落下してしまった」という意味において正しい訳ですね。
ただ、どこが間違いかと云うと、苦海なのに無理やりこれを涅槃だとしたの。
これは「生死即涅槃・煩悩即菩提」がその後押しをしました。
それを「大乗はこれで正しいのだ」と言った。バカの上塗りです。
四苦八苦
そんなだからお釈迦様はわたしたちにそれに気づかせようとして、全ての有情に共通する
- 出産
- 老い
- 病や怪我
- 死
- 愛別離苦
- 求不得苦
- 怨憎会苦
- 五蘊盛苦
を具体的に示して見せたの。
これはちょうど・・・
「な?息が苦しくて、息をしようとしたら鼻や口からとんでもなく塩辛い水が侵入してきて、息が詰まり呼吸出来ないと。呼吸が苦し過ぎて、自分はもうこのまま死ぬんじゃないか?という恐怖が起きるだらろ?」
と、言うのと同じなんだね。
なお、これらの最大公約数が「三苦」です。憶えておいてね。
- 苦苦・・・・ダイレクトな激しい痛み、痒み、窒息、死などの恐怖。
- 壊苦・・・・愛着の対象が消えゆく苦悩
- 行苦・・・・絶望。意思が断念されなければならない苦悩。
「この門をくぐる者、全ての希望を捨てよ」
ダンテの「神曲」の地獄の扉の刻印された警告
四念処
八正道の正念は「四念処」のことです。
そしてこれが理解できた時、八正道の必然性も同時に明らかになりますよ。
四念処
- 身体は不浄である
- 受は苦である
- 心は無常である
- 法(無常世界を成立させる様々な働き、力学は普遍性がない)は無我である
では、なんで四念処なのか?
ねえ、この4つの命題の瞑想が解脱に有効なのか?
わたしたち人間の場合、赤ちゃんは一日のうち平均8回ほどの授乳が必要です。
大体3時間毎に、お腹が空いたと泣きます。
猫もそんなかな。
ホッキョクグマもそんなでした(^^)
それがどうしたかと?
- お腹が空く・・・無常世界で肉体をもって経験する初めての苦
- 授乳で満腹・・・味覚と満腹で安らぎ・幸福を感じる。
このプロセスが繰り返し続きます。
次にもう少し長じると、離乳食の摂取が始まり、そのうちに自分の手と口を使って食事をするようになりますよ。
ほら、するとね、わたしたちは。
- お腹が空く・・・・欲求が立ち上がる
- 食べる・・・・・・満足する
欲求が生じ、これに対し摂取することが
- 意志(煩悩の欲求)
- 煩悩の欲求に対し、それを満たす行為
がセットで生存の目的。という価値観が無意識に刻まれるの。
次の段階で、それを自分の手や体を上手く目的に適うよう、使いこなしますね?
つまり、欲求が生じたら、体を使って意志の達成を行うように、
お腹が減ったら、体を使って食べる。
これが回数など、もはや憶えていない程、何度も繰り返し再現されて、今に至っていますよね?
ここまでOK?
これによって3つの誤謬が生じて、ちょうど悟りとは逆の囚われの認知が起きます。
- 味覚(感覚)はわたしのものである。
- 味覚を満たすことは楽(楽しみ)を生じさせる。
- 体を利用して、意思を達成することが出来る。わたしは身体を有する。わたしの手足である。
四念処はどんなでした?
- 身体はわたしではない。不浄で忌むべきである。
- 感覚は苦である
- 心は無常である
- どのような存在も不変性がない
これはつまりほら、
- 五感を満たす生き方は実は苦なんだ。
- 体は真の意味でわたしのものでは無いんだ。
- 「好き嫌い」「機嫌」などの気分は絶えず、変化するんだ。
- 無常世界のどんな常識も無意味だ
生きてきて培った常識に、正しい相対の情報をぶつけて相殺し「0」にしようと狙って行われています。
真我は元々、意思や感覚や身体など持っていないのね。
真の意味でそれに気がつけば生死を超越し、輪廻を破る事が可能になります。
でも、それまでの、人として生まれ、その生活の中で繰り返し行われた人生の様々なシーン。
そのシーン(ノンデュアリティの方はこれをドラマと表現します)を経験することによって、仮の自己を本当の自分と錯覚するようになってしまったと。
つづきます~(^^)