「羹に懲りて膾を吹く」というタイトルの記事は、今からお話する枕みたいな感じで書き始めたのですが、途中からどんどん筆が勝手に進み、なんだか尾崎豊さんの話で終えました^^;

 

 

えと、お話したいのは今から40年ほど昔の社会現象の話題です。

  1. そのリバイバルが起こっているなと言う印象と、
  2. 社会は退屈すると、変な妄想を始めるという心理は変わらないというお話をします。

 

 

 

 

  無癡の煩悩

 

退屈を感じ、興味が何にでも向かう心の働きを「無知」または「無癡(痴)」と呼びます。

娯楽を求めると言うことですね。

 

 

えと、「無明とは無知のこと。道理に暗い事を言う」

と言ってる人が見えますが、無明と無知はもう全く違う心の働きですからね。

耳貸しちゃ駄目よ。

 

「中道は程々のこと」とか、「正見はあるがままに見ること」とかもね。

 

 

 

 

 

  毎日エブリデイ・・・?

 

ルー語を操るルー大柴さん

 

 

えと、余談だけど、大川隆法さんが自分は釈迦やイエスを超えた存在だと言っていると知り興味が湧いて「フランクリー・スピーキング」という大川隆法さんの本を借りています。

 

大きく見せたいのでしょうね「空間論において、今の自分は釈迦を超えている。宇宙の端まで見ることが可能だ」と自画自賛ばかりで、よう仏教のこと知らんのね。

 

 

「釈迦は3世を見る事ができたが、自分はもっと時間の壁を超えて宇宙の創世記まで認識するのだ」

・・・^^;

 

自分は昔、釈迦だったんでしょう?

だったらその認識は間違っていますよ。

 

 

で、イギリスのジャーナリストのインタビューに応えているものかルー大柴さんか長嶋茂雄さんの様な変な英語混じりの喋り方をするんです。

  • 「いや、クワイト・ユニバーサル。というのは・・・」
  • 「わたしは非常にインターナショナル」
  • 「そのウェルスが、実際にはポバティ」
  • 「毎日、エブリデイ」

編集の方でその一つ一つに訳語を付けています^^;

 

本当に前世はお釈迦様ですか?

 

 

 

  現代のアメリカ英語をたどたどしく話すキリスト

 

以前、大川隆法さんがイエス・キリストの霊を降ろした際に、誰かがこれをYoutubeに流したのね。きっと、その人は限りなく大川隆法さんが稀代の偉大な霊能者だと思って、福音のために行ったと思います。

 

したら世界中からあっという間に非難の嵐。

「は、はろー。はうでゅうどぅ アイム、ジーザス・クライスト・・・」って大川隆法さんが喋るの。

わたしでさえ、咄嗟に(あ、こりゃインチキだ)と思ったんだけど、世界中から一斉に同様の書き込みが。(イタコが日本語で喋ると言うなら、まだしも。日本人の大川さんが、わざわざイエスが知らない英語を使うのは全く無意味なので、明らかに嘘と知れる)

 

 

バカヤロー、キリストは古代のヘブライ人だ。英語なんか知るか!

顔洗って出直してこい!

 

 

 

大川さんはそんな常識もない。

動画はその直後削除されました^^;

上げた人、ずいぶん叱られたろうなあ。

 

 

ま、尤も幸福の科学では大川隆法さんの言語中枢を操って、降りた霊が例え孔子のような古代中華の人でもその場で脳内変換して、わたしたちの言葉で語る事が可能とされています。

ですからキリストが現代の英会話したとしても、なんら不思議ではありません。

 

さすがです!

 

 

水木しげる先生はかの太平洋戦争で、左腕を失われています。

霊界で失われた腕が戻って良かったですね、水木せんせ(^^)

 

 

 

 

 

  宇宙即我?

 

「釈迦やイエスの悟りを超えた」と言うのは何を根拠に語るのかと思ったんだけど、大川隆法さんは

「悟り」というのを「宇宙即我」だと思ってんのね。

 

 

しかし、これを言ったのはGLAの高橋信次さんです。

釈迦の苦悩と出家、悟りへの心の遍歴、そして悟り(宇宙即我)。著者は、何の資料、参考書もなく、筆のすすむままに釈迦を書いたが、人間・釈迦を語ってこれ以上の本は未だかつてない。読者は、人間としての釈迦の心にふれるとともに、法(神理)の世界へと導かれてゆく。

 

高橋信次さんの仏教の結論が「宇宙即我」で、家族でGLAに入信してた大川隆法さんが、それを剽窃しているのなら、大川隆法さんご自身は宇宙即我を体験していないんですよ。

 

高橋信次さんを信仰していたから、正しいと信じて「宇宙即我」と言っています。高橋信次さんを超えたなら、別の事を言いますよ。わたしの言ってる理屈が判るかなあ?

 

 

 

  空無辺処(空間無辺境)

 

幸福の科学の信徒様は、信仰の最終を「宇宙即我」の体験だとご理解なさっているのでしょう?

んー、なんだかな。

 

空無辺処(空間のスケールは定義出来ない。認知が及ばないので意味がないと言う瞑想上の体験。アストラル体が際限もなく宇宙いっぱいに広がったり、縮小したりする)と言うのが有るけど、あれを悟りと言っているのかな?

 

 

んで、大川隆法氏は釈迦の悟りは「宇宙即我」なんだけど、今の自分は「神即我」という、その数段上の段階にいるのだと語っています。

 

 

一般的な日本人が、何気に(偶にゃ仏教書でも読んで見ようか?)

という程度の知識しか無いんだけどな。

 

 

 

 

  十界互具

 

そのう。このSNSなどでも時々見かけるのでこの際言っておきたいのですが。

大川隆法さんは天台の「十界互具」という言葉がお気に入りらしく、よく登場するんだけど「十界」と言うのは法華経に出てきた観念論で、実際には、そんなものはありません。

 

せいぜい六道までです。

 

日蓮も「十界互具」好きなようです。

 

六道の上に声聞、縁覚、菩薩、仏界という4つを足した概念が十界

で、その世界がそれぞれに他の界を相互に内蔵しているとする説が十界互具ね。

誰でも慈愛を発する瞬間があったり、怒りを発したりと十界を経巡るのだと。

日本人が好きそうな観念論なの。

 

声聞や縁覚と言うのは批判の中から飛び出した非難語で、精神性を表すものでは無いし(成就の仕方ね。お釈迦様だって初めは独覚です)、般若心経の観自在菩薩なんかは霊的にも悟りでも内容は既にブッダです。

 

どこに実在しますか?

解脱した人、いないじゃありませんか?

居もしないのに序列を作って重要な概念だと言っています。

 

 

時代の変化で生まれた概念に、後の人が勝手に序列を付けて言ってます。

ちょうど、子どもたちがウルトラ兄弟では誰が一番強いとか、歴代仮面ライダーは誰が強いとか言うのと同じ。

  • 声聞・・・経典を頼りに単独で解脱に至った人。またはブッダの直弟子。
  • 縁覚、独覚・・・独力や師無しで解脱に至った人。十二縁起を観じて解脱した人。
  • 菩薩・・・最終の阿耨多羅三藐三菩提に到達するまで、解脱しても無常世界に戻る修行者。

内容がかぶるので、声聞や縁覚と分ける意味がありません。

(例えばだけど仮にSRKWブッダさんが、本当に解脱したのなら彼はSRKW独覚と言うべきなの。三転十二行相が生じたらブッダと言っていいの)

 

そりゃそうよ、声聞・縁覚・独覚は大乗が説一切有部に対し言い出した悪口が元なんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

  識無辺処(識別無辺境)

 

わたしたちは興味の対象物に限りはありません。

 

これを識別無辺と表現します。

何にでも(これは何だ?)と疑問を起こすと言うことね。知りたい欲求と。


 

それこそ「鼻くそ」から、涙、排泄物や未開の地の住人の「痴態」、地球への興味から地学や気象、病気、経済、アニメや無数のカテゴリーに多くの学問対象を見つけては分類し、定義したい欲求を生じさせます。

 

 

悟りと言うのは、それに対し「・・・・」何も欲求が生じないと言うことね。

これが「心の自由」を意味します。

 

 

  識別における渇愛

 

(これは何だろう?関連を見つけたい!)と。そして関連や因果関係を知った時点で

(わたしはこのカテゴリーについて理解した)と満足を生じさせます。識別とか観念における「渇愛」ですね。

 

別の話だけれど、ここに「慢」が絡むと、自分より得意分野で、より知っている人物に嫉妬が生じるとかね。そしてこれが嫌悪に変化し、無常世界に取り込まれ離れなくなります。

こうやって苦悩が生じ、輪廻しててしまうと。

 

貪瞋癡の展開によりストーリーが生じるという事です。気をつけましょう(^^)

その煩悩のベースを形成するのがTVやネットから入る歌謡曲とかCMとか、娯楽番組などの情報なの。

 

 

興味(識別・認知)の対象に際限が無いことからこれを識別無辺と言います。

そして瞑想でこれに気づくのが「識別無辺境」とか「識無辺処定」と言います。

 

そこで無辺なのできりが無い。

つまり無意味であるとして、識別という心の働きを放棄するということが起きるのが識別無辺境というステージね。

 

 

そこで生を終えたら識別無辺の天界に転生するのだとされています。

 

 

自分で書いてて言うのもなんだけどさ。

こんなの無料で読めるなんて、皆さんが羨ましいですよ、ほんと・・・^^;

 

 

 

 

 

 

 

お釈迦様が言う「三大煩悩」は

  • 貪・・・限りなく欲する心情
  • 瞋・・・思い通りにならない事に生じる「嫌だ、ムカつく」「消えてしまえ」という心情
  • 癡・・・退屈を嫌い、限りなく楽しみを求める心情

全ての欲望がここから展開されますが、わたしは(無知が一番根本じゃないかしら?)と考えています(^^)

 

 

以上を踏まえて頂いて・・・・本題です(^^)

 

 

 

  自尊感情の充足は放棄すべし

 

前に「自尊感情の充足を求めると人生を誤る」というお話をしたのですが、憶えています?

 

で、プロ意識をもつ方はどの分野でも非常にレベルの高い活動をなさいます。

こちらの方は知性と教養と社会に対する優しさ(誰かの役に立ちたい気持ち)をお持ちです。

 

 

ところが、そうでない方のほうが圧倒的多数で、こんな人達は「情報の確実さ」はどうでも良くて「話題性」や「意外性」「センセーショナル性」を求めます。

 

彼らを突き動かす衝動はただ注目を浴びたい顕示欲や承認欲求で、

精神的に未熟さが見て取れます。

 

 

新聞に喩えると五大紙とガセネタのタブロイドの違いみたいなもの?

 

 

ええ加減なタブロイド紙^^;

 

儲かれば(目立てば)、それが何より優先事項

 

 

 

  昭和のオカルトブーム

 

それでね。

40年前にそんな社会現象が日本を覆ったそうです。

 

時代はノストラダムスの大予言で、もうすぐアンゴルモアの大王と恐怖の大王が蘇り、世界は終末に向かうというのが信じられていた頃なのです^^;

 

 

 

自分はこの世紀末に世界を滅ぼそうとする悪と対決するために、

仲間と共に、この時代の日本に転生した戦士なのだ!

(救世主願望です^^;

 

 

 

て、思い出したという人があちこちに現れた時代だったの^^;

 

 

 

その人達が語るキーワードが

アトランティスムーレムリアなどの架空の超古代文明。

アンドロメダなどのよその銀河。

「戦士」「覚醒」「救世主」「前世」「チャクラやクンダリニー」「第三の目」「波動やオーラ」「アセンション」

 

中二病の語源になった方々ですから、当時は14歳前後の頃です。

今や50代中頃ですわね(^^)

 

 

影響を及ぼした、覚醒した戦士たちの壮絶な戦いを描く一連作品・・・の一部

 

 

アニメは大友克洋さんの「アキラ」や

 

 

平井和正さんの「幻魔大戦」

 

コミックは光瀬龍原作・萩尾望都絵の

百億の昼と千億の夜

 

退屈な毎日が続く中で、多感な子供がこれらにカブれた時代。

 

 

 

 

桐山靖雄さんも一役買った。

 

 

 

 

 

続きます・・・

 

 

 

あ、えーとね。

大川隆法さんの主要な教義は霊言(降霊・口寄せ)ですが、お釈迦様が降霊を行ったという記録はありません。

幸福の科学ではサンユッタ・ニカーヤの悪魔相応やブラフマン相応などが「それだ」と言いますが、仏教では降霊(オラクルと言うよ)と言うのは精神が乗っ取られたと解釈します。

 

 

これを降霊だと言うの

 

 

精神が乗っ取られるのは修行者の精神性やステージがとても低いと言われています。