えーと、前の記事で、おそらく気になった方が大勢お見えになると思いまして、その部分に関し、ちょっと追記しておきます。

 

 

全体の俯瞰

ややこしいので、この文章の大まかなアウトラインを箇条書きで表すと以下の様です。

  1. 仏教で使う「ヨーガ」という言葉の変遷に3つ
  2. 後の弟子が修行僧と学僧の2つのタイプに分かれたこと
  3. 唯識仏教はヨーガの実習を抜くと、ただの観念に過ぎないこと
  4. 唯識派が後のタントラに発展した可能性
  5. 仏教タントラは、修行の成果をホトケの名で表現したこと

 

ついでにお断りです^^;

なお、わたしのブログに書いて有ることは体験に基づいて書いたことなので、アカデミックな学説とは矛盾があるかも知れません。そこんとこヨロシク(クレームは無視します^^;)
文句を言ってきた真言宗の僧侶の方がいたの。
わたを「生意気だ、むかつく。俺は、ちゃんと大学で仏教史をやったんだぞ」と、言ってました。
 

 

五仏

金剛五仏について ( )内は唯識説

  1. 地・・・ラトナサンバヴァ(宝生如来)   平等性智   (末那識)
  2. 水・・・アクショブヤ  (阿閦如来)   大円鏡智   (阿頼耶識)
  3. 火・・・アミターバ   (阿弥陀如来)  妙観察智   (意識)
  4. 風・・・アモーガシッディ(不空成就如来) 成所作智   (前五識)
  5. 空・・・バイローチャナ (大日如来)   法界体性智   上の総合
 
 
これは皆様が六波羅蜜や八正道、タントラの修行などによって獲得した智慧を表しています。
 
 

 

  マイトレーヤの唯識学派

 

唯識学説は兜率天にいる「マイトレーヤが人間界に降ろした教え」

という事になっています

世界のアチラコチラに「わたしこそ伝説の救世主、マイトレーヤだ!」と宣言なさる

方がいますが、クロード・ボリロンさんとかね。

ここのアベマブログにも数名いらっしゃるようですね^^;

じゃ、唯識言ってよ!と言いたいです。

テキトーな聞こえの良いことしか言えないじゃない。

 

ブッダとは何か?

まず始めに
法界体性智を除く「四智(成所作智、妙観察智、平等性智、大円鏡智)」がホトケの具体的なあり方として定義を行ったのは、瑜伽行唯識学派です。
 
 

瑜伽行唯識学派の名称の由来は

「有るように見える存在は全て、意識による認知から生じた幻影である。実際には唯、その人物の認知しか存在していない」これが唯識の意味です。
 
そして、その幻影を突き破り、真の認知に至ろうとする実践を「瞑想による認知の停止」であると。
これをヨーガ(瑜伽行)と呼んでいます。
 
 
解脱を一言で言うと、サンスカーラ(行)と認知(識別)の停止とも言えます。何のために瞑想するかと言うと、つまりこの行と識を止めるため。これはカルマを捨てるとも言えます。また今度詳しく書きます(^^)
 

 

  三期に亘る仏教ヨーガの拡張 

 

仏教では時代と共にヨーガの意味合いが拡張されて行きまして、
お釈迦様のご在世当時、お釈迦様ご自身は瞑想を「ヨーガ」と呼んでいます。
これはおそらく、出家当時のゴータマ・シッダールタが二人のヨーガ行者に師事して、「空無辺処」と「非想非非想処」の瞑想を習得したことに由来するのでしょう。
 

ブッダは瞑想をヨーガと言った

なお、八正道の「正念」は定義の繰り返しの意味です。
その他「サマタ(集中)」や「ヴィパッサナー(観照)」は瞑想の同義として扱われていたようで、アバウトに全て引っくるてヨーガと言っていたようです。
 
ウダーナヴァルガ
 
 
 

 

  二種類の僧の出現

 

時代が下り、僧は2つのタイプに分かれます。
 
当初、これらの両者は共に仲間割れもせず両立していたようです。
しかし、更に時代が下ると意見対立が見られます。
  1. 修行者タイプ・・・彼らは自ら「ヨーギー」と自称。体験しか無意味と考える人
  2. 学僧タイプ・・・・偽経を生産しだした。理論構築が大好きな人。アビダンマ論者はこちら
 
例えば唯識派の重要な論書に「瑜伽師地論(十七地論)という論書がありますが、この原題は
 「Yogācārabhūmi-śāstra, ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ」となります。
つまりここでは瞑想を越えて、修行=ヨーガと拡張されています。
 
余談だけど、後にこの説は十地論として華厳経に接収されたようです。
面白いのは華厳経の教主はバイローチャナで、密教の教主もバイローチャナなんです。
関連が大いにありそうだなと。
 

 

  タントラでは何でもかでも修行に関わるとヨーガという

 

タントラの時代に入ると更に拡張され、成就法=ヨーガと使用されています。
 
  • 夢見のヨーガ
  • ナーローの六ヨーガ
  • チャリヤ・ヨーガ
  • クリヤ・ヨーガ
  • アヌッタラ・ヨーガ
 
わたしの見解
  1. 小乗仏教・・・阿羅漢のヨーガ
  2. 大乗仏教・・・ボーディ・サットヴァのヨーガ
  3. タントラ・・・タターガタのヨーガ
という風に思っています(^^)
 
 
 

 

  唯識学説の転識得智

 

戻ります^^;
唯識学派ではヨーガの実践によって、
  1. 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識ここまでを前五識とよび、これが成所作智に変化し。
  2. 意識が妙観察智に変化し、
  3. 末那識(夢の意識、潜在意識のこと)平等性智に変化し、
  4. 阿頼耶識がヨーガによって大円鏡智に変化し、
唯識派では、これが解脱だと言ったの。
そう言えなくも無いのかなと?
 
これ真実なのか、単に学説なのかわたしはよく判りません^^;
 

 

  中観の次に人気な唯識思想

 

日本ではナーガールジュナの中観についで人気がある唯識なんです。
 
だから、実地に「唯識学説をわたしは自分の身を持って実体験したぞ!」と言う人がいてもおかしくない筈なんですが、・・・いません^^;
 
理論書ばかり出版されています。
ものすごい種類の出版物が出ていますよ、もうびっくりしますよ。
観念的と言うか、日本人には実践者が少なくて、理論好きが多いんですねー^^;
 

唯識を観念で捉えていた法眼の逸話

法眼宗の祖。法眼文益(ほうげん・もんえき八八五~九五八)

浙江省余杭の生まれ、七歳にして新定智通院の全偉禅師によって落髪。

 

浙江省の開元寺で具足戒を学び、育王寺で律を学んだ。

しかし、それでは満足せず悟りを求めて求道の旅に出る。

 

或る時、洪水のために河を渡ることが出来ず、ちかくの地蔵院に泊めてもらった。

そこで地蔵桂琛(けいちん)和尚が法眼に尋ねた。

「上座、いずくへか行く?(どこへ向かう旅かね?)」

 

法眼いわく

「あてどもなく行脚し去る(あてなどありません)」

 

「何のための行脚か(目的は?)」

 

「知らず(これと言ってありません)」と答えた。

 

 

そこで地蔵和尚は

「知らず。もっとも親切(知らずと答える事が最も道に叶っている)」

と言われた。

 

法眼はここで「はっ」とした。

 

天候も回復し、地蔵院を去り再び、行脚を続ける事になった。

 

地蔵和尚は門のところまで、法眼を見送ることにした。

「上座(きみ)は先日から、しきり三界は唯心、万法は唯識と言っておったが、この石ころは心内かそれとも心外かね?」と問うた。

 

法眼は答えて

「心外に法なしです。この石もわたしのただ心の現れに過ぎません」

 

地蔵和尚が言った。

「やれやれ、君は一人前の修行者だろう?なんで石ころなど、懐に抱えて旅をしなけりゃならんのだね?」

 

 

やにわに法眼は、地蔵が得難い師であると気づいた。

和尚が只者でないと知り法眼は出立を取りやめて、地蔵和尚を礼拝した。

 

法眼は地蔵和尚に参じたが、得意の華厳や唯識は音を立てて崩れた。知識に過ぎなかったのである。

 

 

遂に行き詰まった時、地蔵和尚は言った。

「君がもし、真の仏法を論じるなら、一切はすでに現成しているのだ」

法眼はこの時、真に仏法を理解し、大悟した。

 

 

ありのままの姿がすでに真理を解き明かしていた。

よそを見ていて気づかなかったのであった。

 

 

  浄土真宗のお気に入り唯識学説

 

どういう経緯なのか、日本の浄土真宗では唯識が特に重視されていて、自称「仏教講師(浄土真宗講師とか、親鸞講師とか名乗るべきなんじゃないかなあ。常に親鸞や浄土真宗こそが正しい仏教だと言う話が結論だもの)」を名乗る方々は頻繁に唯識を力説しています。
 
「他力本願」で、修行しちゃイケナイ宗派なのに、ハードな瞑想を看板に掲げる唯識の理論を、浄土真宗の教学の中心に据えているんです。わたしはこの現実にものすごい違和感を感じています。
 
 
で、時代が下り、この唯識学説を実践に持ってきたのが金剛頂経で、空海の真言宗です。
 

 

  五仏になるための瞑想修行

 

 
で、お釈迦様のやり方では八正道やってれば、自然に起こりますし。
タントラではチャンダリーや大周天やってればクンダリーニの上昇と共に、五大の崩壊が起きて金剛五仏の体験が起きるという風になっています。
 
 
ついでに申し添えて起きますと、金剛界の最終ステージはビシュッダ・チャクラなのね。
まだ、アージュニャーとサハスラーラのステージが残っていて、空海の中期タントラではそこが限界だったのかも知れません。ただ、空海は「六大」という言い方をするので、空海はアジナ・チャクラのステージには至っていた気配があります。
 

 

  ホトケを成就する事が金剛五仏の意味

 

そしてホトケ様の名の意味は一体何なのか?
  1. (ムーラダーラ)・・・ ラトナサンバヴァ(宝生如来)     平等性智   
  2. (スワディスターナ)・  アクショブヤ (阿閦如来)    大円鏡智   
  3. (マニプラ)・・・・   アミターバ   (阿弥陀如来)    妙観察智   
  4. (アナハタ)・・・・   アモーガシッディ(不空成就如来) 成所作智   
  5. (ビシュッダ)・・・   バイローチャナ (大日如来)    法界体性智   
 
それは皆様が、地元素が崩壊し、平等性智がたち起こったなら
 
「はい、あなたは宝生如来を成就しましたよ」
 
ということなの。
 
 
たとえばアモーガシッディ(不空成就如来)とは、成就を空しくしないぞ!という意味です。
それはどう言う意味かと言うと、思念したことは必ず実現するという意味なのね。
 
風元素がエメラルドグリーンの帯になって体の周囲数メートルをゆらゆらたゆたうのね。
これはルンと言ったり、気のエネルギーと呼んだりするあれです(^^)
瞑想中に体が「フッ」と浮くこともあります。これは物理の法則の外に出たことを表します。
 
ここに来たら何でも奇跡的な願望成就が起こるの。
 
 
 
本山博先生の本にも有るけど、数億円もする造成工事を向うの都合で無料でやってもらって、本山先生は、ただ道場の駐車場スペースを広げたいなと考えただけなのね。
 
これは、どこかの土地開発事業者が「ここの谷にうちの建設現場で掘り出した大量の土砂を捨てさせて欲しい。うちで平らにするから」
すぐさまそれが起きたと書いてあります。
「これ、もしうちで発注したらどれくらいの額になりますか?」
「まあ、億単位です」と。
 
 
これを「成所作智」と呼んでいるの。
どんな過程で現実化するか?の智慧と。
この時「不空成就如来が完成した」と考える訳ね。
諸仏が一切衆生を聖道にはいらせるために、種々の神通を現ずる作業を成就完成していること
行いを成就する智慧(成所作智)をそなえた仏様で、釈迦如来が菩提樹の下で成道したように、 悟りを得て安らかな境地にありながら、なお、衆生を教化するために、正しい智慧を持って真実の行いをなし、煩悩を滅ぼし、 救いがたいものをも導く力を秘めた仏様
 
 
まっすーさんや、ネドじゅん先生もなんか有るよきっと。
訊ねてごらん。
 
 

 

  著しい知性の発達「妙観察智」

 

妙観察智と言うのは、「人知を越えた分析力、理解力、表現力を備えた」と言うような意味合いです。この時、火の元素が崩壊し、真紅の色に包まれ智慧の発達に皆さんは歓喜すると。
それを阿弥陀如来を成就したと表現します。
 
浄土系の人が聞いたら怒るかも知れませんが^^;
 
こうやって色(肉体)を構成する五元素を崩壊させ、五仏を実現していくのが金剛界のヨーガね。
 
 

 

  タントラは仏教の進化系

 

「密教ってオカルトっぽい」と思っている人が結構沢山います。
護摩を焚いて願望成就祈ったり、宿曜占術で占ったり、呪文を唱えたりと言ってね。
それは要するに「集客方法」なのね。
 
「顕教の方で漏れた悪業の多いような見捨てられた奴でも、密教は救済するぞ!」
という意味で、占術や願望成就で集客します。
 
ただ、現在この先祖供養とか、水子供養とか「龍神の神通力」で願望成就して終わり。という密教寺院は多い様に思えます。
 
 
凡夫に難しいこと言ったってどうせわかんないんだから、敷居を低くした部分を見ているだけなの。
ちゃんと解脱の理論と実践が有るのは初期仏教と密教です。
 
と言っても全ての密教僧が解脱を理解しているか?というとそうも言いきれません。