どうでもいいことなんだけどね。

老婆心から言うことなので、(また、アホが何か言っとるわ)と、読み捨てても、無視して頂いても構わないと思っています(^^)

 

 

 

  では唐突に

 

ところで、世間を観察すると誰でも気づきますが。

わたしたちは相互依存の関係で成立する(大乗仏教の縁起説)から、お洋服を着て出かけるにも、誰かがそのお洋服を作っています。そこで・・・単独では何物も成立しないと鑑み

 

水や太陽のお陰で生きていられるからと。

「水よありがとう」

「太陽よありがとう」

「空気よありがとう」

「お米よありがとう」

「お米を作るお百姓さんありがとう」

「わたしに気づきを与え、試練を与えてくれた敵さんよ、ありがとう」

と、全てに感謝する。

 

または

全てをあるがままに受容する。

 

「それがブッダの悟りである」

 

 

と仰る方がいるんだけど、まあそんな事云うのはおそらく武田邦彦教授や小林正観さんだと思います。

 

 

小林正観さんのイデオロギーをブッダの発言だと誰かが告げて、これ間違いなのに

 

(うん、なるほど。いい言葉だ。わかり易く納得出来る)

と受容する

 

 

と、好印象を持った人がまたどこかで

 

「全てに感謝することが釈迦の悟りである」

と信じて疑わず吹聴する。

 

それでどんどん広まると、とんでもないカルマを形成し、流転の因となります。

 

 

ブッダは解脱へ至る道を説いたのに(悟りなんぞ説いていません、それは莊子や中国禅)、誤ったイデオロギーをブッダの悟りだと定義し、更にそれを他人に吹聴しちゃえば、次の生から、そこの教祖があなたの金銭を巻き上げたり、または反社会的カルト宗教に入る人生になってしまうよ。

 

 

 

 

  日めくりカレンダーのよな教訓を理解させるためになんで出家がいるのか?

 

いいでしょうか?

そんな安直なイデオロギーは言えばただ、それで済むことであり、そんな低次なイデオロギーを分からせる為に何もわざわざ出家し、辛い頭陀(清貧の生活)をし、托鉢乞食をし、懺悔し、八正道を修める必然性はどこにもありません。

 

 

 

 

  ブッダの十二縁起

 

ブッダの縁起説は、誰でも「解脱」すると体験が起きるんだけども以下の通りです

まず、涅槃で無明が発生します・・・・

  1. 無明により、衝動がたち起こる。
  2. 衝動により、識別が生起する。
  3. 識別の生起により、名色(様々な心の働きの要素)が集合される。
  4. 名色の集合により、六処が現れる。
  5. 六処の発生は、接触を起こす。
  6. 接触を機縁として、感受作用がもたらされ。
  7. 感受作用により、愛着が湧く。

以下略・・・

 

これは瞑想修行をしないと起きません。

だから、出家させて瞑想させます。

 

 

 

  安直な思想

 

ところが何かの「好ましいイデオロギーに発想が至る」こと。

  • 全ては自己投影だとかね。
  • 全てに感謝だとかね。

 

それと「悟り」には何の関係もありません。

 

 

「悟り」という単語が、何かの正解に気づくような表現なので、そう誤解する人が古来から跡を絶ちません。

 

例として

「お前、そろそろ悟れよ。彼氏が好きなオンナはお前じゃないんだよ」

 

 

 

  Self-realization

 

「悟り」とイデオロギーの発想は全く無関係です。

 

英語で表現したら「悟り」はSelf-realizationセルフリアライゼーション)と言うんだね。

これは「真の自己実現」と言っています。

ちなみに解脱はエンライトといいます。「啓明に照らされる」という意味ね。

 

 

 

 

  父母未生以前の本来の真面目

 

禅の方では「父母未生以前の本来の真面目を出せ!」(生まれて来る以前のあんたに気づけよ)

 

それを、わかり易い言葉で言ったのが「真我の達成」です。

真我に至ると・・・

  • 自己顕示欲やプライドも必要無い。
  • 他人を見下すこともない。
  • 他人と自分を比較することもない。
  • 卑屈もない。
  • 執着もない。
  • 後悔も無い。
  • 無知もない。
  • 嫌悪もない。
  • 苦悩もない。

真の安らぎを得た状態ね、この状態にとどまることを「解脱」や「悟り」と言います。

これは、全てに感謝すると言うようなこととはまるで違う状態です。

 

 

また、生まれてから今までの自己が消滅するので、これを「無我」と表現します。

 

 

 

  正しい「悟り」の理解

 

道元の言葉

「自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり」

 

ネドじゅん先生

 

 

 

 

クドいようですが、人生上の良き言葉は悟りとは何の関係もありません。

それ、言わば「上手く生きるためのライフハック」という考えの方が近いと思う。

 

そして「俺は悟ったぜ」という人の発言を見ると、ほぼ9割以上はこちらの誤解されている方です。

 

 

 

「それって、あなたの考えですよね?わたしは小林正観さんの意見が正しいと思います」

どうぞ、どうぞ。それで良いと思いますはい^^;

押し付けるつもりは全く無いです。

ただ、言えば気づく方もいらっしゃるかなと。

老婆心ですね。

 

 

 

 

 

  仏教で「空」というのはそれほど高いステージではない

 

あ、それと仏教は「空」を説く教えだと思っている方、大勢いらっしゃると思いますが、それもかなり誤解が有るように思います。

 

チャクラのステージを書きますよ。

  1. 第一チャクラ・・・・地
  2. 第二・・・・・・・・水
  3. 第三・・・・・・・・火
  4. 第四・・・・・・・・風
  5. 第五・・・・・・・・空
  6. 第六・・・・・・・・識
  7. サハスラーラ

ね?ビシュッダ・チャクラのステージが「空」です。

 

 

原始仏典を読んでいますが、「一切は空だ」などと言うお釈迦様の発言は全然出てきません。

日本の仏教が勝手に「ブッダは空を説いた」などと、そう言っているだけですね。

 

 

また、空海はこの6大というような事を言っています。

 

 

瞑想ステージで言うと「空無辺処」あたりが、空の体験なのね。

 

 

 

こちらから拝借させていただきました。

いつもありがとうございます(^^)

 

 

 

これは初期大乗が

「あなたの執着しているももの本当の姿は実態を持たない、言わば空疎なものですよ。

だから執着しても無意味ですよ。判りましたね?判ったら、煩悩が消えましたね(^^)」と、強調したら、修行しなくても煩悩が消えると考え、般若経典群で、空をガンガンキャンペーンしたものだとわたしは見ています。

 

 

  心経

 

空は物質に異ならず、物質は空に異ならない。

色不異空、空不異色。

 

物質は空であり、空すなわち物質である。

色即是空、空即是色。

 

受想行識もまたかくの如し。

受想行識亦復如是

 

サーリプッタよ、この様に諸法の空性は不生にして不滅 。不垢にして不浄 不増にして不減・・・

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不

 

 

 

このような事はお釈迦様の教えには出てきません。

哲学好きの方に人気がある論なだけです。