えーと、初めてここにおいでになる方は目眩がするかと思いますが・・・

「悟り」はお釈迦様の教えではありません。

 

 

 

  バカ扱いされたわたし^^;

 

もう何年か前にわたしは初めてミクシィで「禅は仏教ではない」と云う主張をしたら、無茶苦茶叩かれました^^;

 

へっへっへ

 

 

まあ、それも当然です。世間の常識を真っ向から間違いと言っているんだからね。

 

 

しかも日本には禅の愛好家が何万人といて、彼らはみな悟ろうと修禅に励んだり、道元や禅の研究に勤しんでいる訳です。わたしは一度に、この人たちをみんな敵に回したの。

 

事情は今もそうだけどね^^;

 

今や、そのうえ更にテーラワーダや他の仏教信仰の人までわたしは敵を作ったので

みんなから憎まれている現状です。

 

 

 

  78910さん

 

そんなだから、当時は誰もまともに向き合ってくれる人は皆無でした。

(どうせどこかのバカが自分は「悟った」と妄想して、注目を浴びようと奇をてらって発言してのだろう)と100%の人がそう思ったに違いありません。

 

 

ただ、良心的な78910さんと云う方がいて、優しくわたしに

と、諭してくださいました(^^)

 

 

その節はどうもありがとうございました、78910さん。

 

 

 

  論拠が無いわたし

 

当時、何もわたしの主張を支える論拠を持たなかったのね、わたし自身。

わたしは自分の瞑想や修行経験を元に主張しているだけで、客観的な論拠が無かったの。

 

それは直裁に云うと、また敵を大勢生むかも知れませんが、わたしはお釈迦様の成道の追体験を経験していて、それを初期仏教で「阿耨多羅三藐三菩提」と呼ぶと知ったのはつい最近です。

 

 

わたしは、大乗の阿耨多羅三藐三菩提しか阿耨多羅三藐三菩提だとは知りませんでした。

初期仏教の阿耨多羅三藐三菩提と、大乗のそれは異なるのね。

拡張しているのが大乗の阿耨多羅三藐三菩提です。

 

お釈迦様は完成者なので、全てを内在させているのだろうけど、大乗では

報身と法身の経験が加わります。

 

 

その後、パーリ仏典を見ていたら自分の前世のことが書かれているのを発見し、わたしの体験が妄想や夢じゃ無かったのだなと知りました。

 

わたしは上司に命令されて、渋々帝釈天を暗殺しに行くのですが、とうにそれを見破られていて、逆に帝釈天の罠にまんまとかかり、わたしと仲間は須弥山から叩き落されました。

 

これを夢だとずっと思ってたんだけど、その記述を仏典に見つけてしまったのね。

この時の出で立ちは皆さんが一度は見たであろう、ある国宝の仏像になっています。

 

なにぶん奈良時代の年代ものの仏像なので、当時の色は当然褪せていますが、これをレントゲン解析し、当時の着彩を再現したのを見たわたしは絶句しました。

(じゃ、仏典には正確な特徴が記載されているんだ・・・)

 

これに関して質問されても答えません、あしからず^^;

 

 

 

  中国禅

 

しかし中国禅の云うのは

「無分別」とか「莫妄想」とか、日本で言うと白隠とか仙厓和尚とか道元とか、良寛だとか、「赤子の心」とか、それらは何を語っているか判りますが、阿耨多羅三藐三菩提の経験とは全く次元が異なると言うしかありません。

 

 

 

  「悟れば解脱であり、それはまた涅槃である」という過ち

 

しかし、世間にいる多くの仏教や禅に関心を持っている人々は、ブッダが語った四聖諦や縁起の言葉の意味は知っていても、それと悟りを得た人が語る、経験から出た言葉の差異に全く気がついていません。

 

 

悟りも解脱も同じだと思っているし、道元や最澄や日蓮などの日本仏教の祖師方もみな釈迦に近い聖者だと当然のように受け取っています。(日本史でそう思わせているだけなんだけど・・・)

日蓮や道元などは一切大蔵経を何度も読んだ、ど偉い博学者であり、仏教の偉大な修行者だと思っているでしょう。もうぜ~んぜん^^;

 

 

 

 

  情報が溢れ出した!

 

しかし、インターネットが発達し多くの情報がネットに上がり、PCの処理速度が向上するにつれ、自分の懸念を検索に掛けてみたら、なんと!

 その後どんどん「禅がお釈迦様の教えとは関係ない」と云う論拠が芋づる式にわたしの前に姿を顕したではありませんか!

 

 

 

始めにわたしの目に入りこんだのは「サムエ論争」です。

 

 

今日はこの「サムエ論争」にお話を絞ります。

 

 

 

  サムエ論争 悟りvs解脱の戦い

 

サムエ論争とは8世紀、ソンツェン・ガンポ王の治世。

 

チベット王国はそれまでの在来の宗教「ボン教(日本の神道に相当するとお考えください)」を信仰していましたが、仏教国のインドと中国に東西を挟まれ、国際化の波に押され仏教の輸入に関して国内で論議がありました。

 

 

前提として、インド仏教の僧侶や、唐でたち起こった新興の中国禅の僧侶がチベットに入っており、仏教はすでにチベット王国では馴染みです。

 

日本での仏教導入は「日本書紀」の記録では欽明天皇のころ522年に百済から輸入され、チベット同様に、崇仏論争(仏教を信仰するか否か)が起きています。

 

チベットでは仏教が優れた教えであるという認識を持っていたものの、「唐で最近流行の禅(悟り)」を導入すべきか。それとも「インド仏教(解脱)」を国教として導入すべきか?これが中々決着が付かない状態でした。

 

そこで中国禅とインド仏教の双方から論者を呼んで、両者の意見を戦わし優秀だと認められた教えをチベットに導入しようと云うことになります。

 

 

これがサムエ寺という場所で論争したので、このイベントを「サムエ論争」とか「サムエの宗論」と言います。

 

 

 

  チベット密教

 

この論争の結論は言うまでもなく、今現在「チベット密教(解脱)」という言葉で語られるように、中国禅(悟り)は3度の論争が行われましたが敗北しています。

 

 

ところが中国側の資料「頓悟大乗正理決」では、中国が勝った事になっています。昔から中国は今と同じですねえ^^;

 

 

これは中国禅vsインド密教という風に見られがちですが、わたしが見るところ全く違う構図です。

つまり「悟り」vs「解脱」なのですね。

 

 

 

 

  困難を極めた論争

 

で、この論争は通訳の都合上、互いに意を尽くす事が非常に難しい論争であったそうです。

 

中国語→チベット語→インド語

 

それは、チベット語を間に挟み、通訳が仏教の詳しい理解を欠いたため、「相手は何を言っとるんや?」という論争であったそうです。

 

 

 

  カマラシーラ(インド)と摩訶衍和尚(中国)

 

論争に勝った論者「カマラシーラ」は禅宗側の恨みを買い、その後、暗殺されたと記録されています。

なお、カマラシーラは優れたヨーガのテキスト「カマラシーラの修習次第」を著しています。

https://www.tibethouse.jp/wp-content/uploads/2021/09/gomrim_barpa_201612-2.pdf

 

カマラシーラはヨーギー(瞑想の実習者)なのね。

 

 

 

  論争に対する誤った評価

 

日本人も唐の人もこの論争の本質を理解していなくて、当事者である中国側の論者摩訶衍和尚悟りの方法論における中国vsインド仏教の決着の白黒だと信じています。

 

 

つまり唐ではもう既に仏教理解における誤解が発生しており、「仏教とは悟りを論じる教え」だと疑う事無く思い込んでいたのね。

 

 

で、誤った仏教理解である「悟りに早く到達する教えは優れた仏教であり、遅いのは劣っているのだ」と主張していた訳です。

 

 

 

  優れた頓悟とトロイ漸悟・・・という誤った認識

 

これを「頓悟(間をおかず悟りに到達する)」「漸悟(段階的に悟りに至る)」と区別し、時間のかかるインド仏教は劣った教え、すなわち「漸悟」である。と評価し。

「頓悟の自分たちが絶対的に優位である」と思いこんでいたの。

 

今で云う「マウント」の姿勢で、インド仏教に対して態度を取っていたと。

 

実際問題として、インド仏教が解脱に時間が掛かるというのは、阿羅漢なら時間はかかりませんが、如来を目指した場合は気の遠くなる時間が必要です。

 

この辺でも、中国禅は仏教に対する理解を欠いているようです。

 

 

 

  SRKWブッダさんの教え

 

もう、悟ればそれがお釈迦様と同じになったと思い込んでいたの。

SRKWブッダさんも「自分はブッダ」だし、お弟子様には片っ端に「如来」の称号を与えていらっしゃいます。

 

 

だから摩訶衍和尚は自分たち優れた「頓悟」のどこがインド仏教に劣るのか?全く理解していません。

 

これは現在、SRKWブッダさんも全く中国禅の誤った理解の中にいます。

 

SRKWブッダさんは「瞑想をやめる事が悟りに至る道である」とか「従来の修行は一切不要である」と自著で主張しています。

 

それよりも「公案」や「善知識に遭遇する」方が重要であると言っています。

片や三明六通が解脱の要諦なのに、「神通の先に悟りはない」と言い切っていらっしゃいます。

これは頓悟に他なりません。

 

※尤も、三明については独自の解釈を施しておられ、ブッダの定義とは完全に異なる三明を持っておられるそうです。

 

 

  呉智英さんの「つぎはぎ仏教入門」

 

あの・・・呉智英さんは儒家であり、仏教家ではありません。

儒教の歴史的背景を詳しくご存知なのね。なので日本の仏教家よりも、ある点、中国禅に関しご存知なのです。

だから、この書籍も一部は正しいけれど、仏教に関して誤謬もすごく目立ちます。

言うまでもありませんが、実際に修行や瞑想、悟りや解脱の経験が無ければ、文字を観念的に判断しがちです。例えば「密教は仏教の後退だ」などと、とんでもない記述があります。

 

わたしは儒家の呉智英さんがネットのどこかに書いた「6世紀、禅は莊子の教えを仏教語で再構築したものだ」という文を見かけたのですが、今、それをローカルに保存し忘れたため逸してしまいました。

 

それに変わる論として、呉智英氏の「つぎはぎ仏教入門」から次の文を載せます。

 

わたしも、その直前、頓悟禅は莊子だと気づいていましたので、呉智英さんの文章を見かけた時は欣喜雀躍の思いでした(^^)

 

 

わーい、儒教の専門家がわたしの論を正しいと言っていた  ~♪

 

 

 

 

 

 

 

莊子が悟った人だったの。

 

 

しかし、莊子は弟子を持たなかっため、どの様に「悟り」を得るか?はその後、中国では分かりづらくなったのね。

 

莊子は自分が悟った方法論を「坐忘」と言っただけなんです。

そして何を悟ったのか?と云うと、それは「万物斉同」であると言いました。

 

万物斉同とは全ては同じ一つなのだ。と言っています。

斉天大聖孫悟空とは、天と同じという意味ね)

ねえ、つまりノンデュアリティのことですよ。

 

 

そしてシルクロードを通って仏教が中国に伝わった。

中国の思想家は思った筈です。

「莊子にそっくりじゃないか?莊子のヒントが有るんじゃないか」

 

ディアーナ(禅)による(坐忘)だから、坐禅と言ったのね。

 

 

 

  悟りは在家のもの

 

莊子は在家で奥さんがいました。

わたしがずっと言ってきたように莊子もSRKWブッダさんもネドじゅん先生もみな、在家です。

 

 

悟りは在家で獲得出来るものなのね。

 

 

じゃ、どうして禅の僧侶が何年も苦労して坐禅しているのに中々悟らないんだ!

まあ、そういう疑問も出て来ますわね。

見ていて思うのは観念を動かしている。というのが一番の問題でしょう。

 

800年も昔の「正法眼蔵」や「普勧坐禅儀」を読み解けば悟りに近づける筈だ。と考え、左脳を一生懸命に動かすでしょう?それが先ず問題。

ノストラダムスの「諸世紀」と呼ばれている書物が450年ほど前なのね。

それは「諸世紀」でもよう判らんのに、800年も昔に当時一級の知識人が書いた難しい文章を現代語で理解する時に、受想行識を最大に動かすだろう?という事なの。

 

それが悟る努力とベクトルが逆だから。という他ありません。

 

 

まっすーさんやネドじゅん先生の本を読んだほうがドンピシャ現代人向け。

 

 

次に気の利いたユーモアは知性の証し、とばかりにジョークを発し過ぎの人が見受けられます。

公案や禅語でシャレを言う人がいます。

昔の禅者にユーモアたっぷりな人が沢山いたので、伝統というか常識なのですね。

それもまた五蘊が動いているでしょ?

 

 

 

今日はここまで。

これ、どこかで書きかけたので続きを書いています。