二代目「助三郎」
後に出世
因みに初代はこの方 伍代夏子さんのご亭主だそうな
大阪お構い
「いや、あれはわたしの親父でございます^^;
親父はホンマに偉い人間でございまして、卑しい身分から大きな身上をこしらえましたが、わたしは二代目、倅でございます。
ちょっと奢りに耽りまして、僭上の沙汰(分をわきまえず、武士に出しゃばった)があると言われて先年、お上からお取り潰しになりましたんでおます、へえ。
土地も家も屋敷もみな取り上げられて
大阪お構い、今は大阪にも住めませんので、在所(田舎)の方におります。
まあ、うちを主家(しゅか)と頼ってくれた奉公人や出入りの人間が仰山おります。それが百人余りも居りましたが、急に潰されてしまいましたんでな、身寄り頼りが無くなって困っとります。
お大名にちょいちょいお金を融通しておりました。中々返していただけませんが、それを例え半分でも三分の一でも返済して頂いたら、この者共が露頭に迷わずに済むと思いまして、あっちこっちにご返済のお願いに上がって降りますところで、へえ」
平気で借金を頼む武家
(なんと気の毒な・・・)と光圀が同情するのも無理はありません。
この当時、大名は経済観念というものが殆無いと言っていいほど借金をしまくって贅沢をしました。金持ちの町人から借金をし、催促されたら
「名字、帯刀を許す」といえば、喜んで町人は帰って行きました。
何度も誤魔化しが通用しませんので、それでも催促に来ると
「おのれ町人風情が武士に奢った態度、無礼千万、家は取り潰し、一族所払いを命ず」とか何とか難癖をつけて潰してしまいます。
この当時の利息は1割以上のサラ金なみ。
町人は利息さえ払ってもらえば、初めは文句を言わなかったそうですが、それでも借金が増え続けると、そうも行きません。
光圀はその事情をよく知っていたのです。
水戸藩も町人から借りていたので。
蘊蓄
水戸黄門漫遊記
ところで、実際の水戸黄門は鎌倉遊山を一度行なったのみで、殆ど藩を出たことがありません。
水戸藩は「水戸学」を創始します。
水戸学とは、儒教の一派、「陽明学」と神道を合体させた思想で、明治の「尊王攘夷論」の基礎になっています。
これは光圀が書いた日本通史「大日本史」を下地に形成されました。
この日本史執筆の資料収集のために、部下の儒学者を日本全国に派遣したの。
するとこれが拡大解釈され「水戸光圀本人が日本全国を遊行した」という江戸時代当時の都市伝説を生むキッカケとなり「水戸黄門漫遊記」が講談で語られます。
元々、名君として評判が高かった事も手伝って、水戸黄門のドラマは幕末の講談で好評を呼び、盛んに語られたそうです。
「黄門」は古代中国の役職名
また、古代中国の律令官僚に「黄門侍郎」があり、これが日本の江戸時代の閣僚「中納言」に当たります。
そして諱(死後に贈られる名)を嫌うことから、中納言で隠居したら、誰に関わらず「黄門」と言ったそうです。水戸藩の黄門だから「水戸黄門」です。
この官僚は目印に門を黄色く塗って合ったそうです。
閑話休題
光圀は何とかこの謙虚な町人と使用人の力になってやりたいと考えました。
「大名連中、返してくれますかな?」
「いやいや、中々。中にはもうお咎めを受けた淀屋が何を申す!と、顔を見るなり頭から叱られます。借りる時は平身低頭されておられましたが、もう取り付く島もないような塩梅で。
そんな事情でございますので、何とか十両でも二十両でも、とにかく少しでも返していただき、使用人の身が立つようにしてやりたいと思うんでおますのやが・・・・」
「水戸家もありますかな?」
「はあ、水戸様も少々ございます」
「(うちもあるげな、助さん)、一番大口はどこじゃな?」
「柳沢様に三千両ご融資いたしました。これが二割でもええさかい、お返し願えたら浮かび上がるんでございますが・・・」
「ああ、なるほど。そうじゃな、ちょっと儂がマジナイをして進ぜようかな?」
「マジナイと仰いますと?」
光圀公、助さんに目配せしますと・・・
「淀屋さん、ちょっと。ちょっと」助三郎が淀屋に近づく。
助さん、淀屋に耳打ちする仕草
「ええっ!水戸のご老・・・」
御老公に出世した助さん そう云うものなの?
「静かに、静かに。忍びじゃて、大きな声を出してはいかん。ああ、そのまま。そのままでお願いいたしますぞ」
「こら先程から尊いお方に生意気な口を利きまして・・・」
「いやいや、構わん構わん、そうでないから心配は無用じゃ。ま、柳沢美濃守の知らぬこととは思うが、重役どもの怠りじゃ。うん、わしが一筆書いてやれば半分は必ず返ります。さあ、助さん用意を頼みます」
という訳で助さん口述筆記。
最後に光圀がサラサラと花押を書きます。
あれ?1712は五岳真形図の北岳だ
だよね?ど言う事?
これはタオイズムで使う呪符です
「これを持って柳沢の屋敷へお行きなされ。半分は還るはずじゃ。もしも、柳沢が取り上げてくれぬ場合は水戸藩の屋敷に行くが良い。必ず、それだけのことはわたしが約束いたします」
「あっ、あっ、ありがとうございます。往復の道中の費用も出るかと案じておりましたところへ、こんなお墨付きをいただけるやなんて・・・ああ、有り難いこってございます」
「お前さん方は江戸へ向かう。わし達は上方へ向かう。ここでお別れいたします。道中堅固で」
「どうぞ殿様もご無事で願うとります」
「旦さん、ホンマに良かった。助かりましたなあ。ほぼ、諦めておりましたが、こうしてお金が戻る訳でんなあ」
「あっ!・・・そりゃそやわ」
「へ、何でおます?」
「かりがね(借金)の講釈したさかいや」