四念処の瞑想から「五蘊非我」に関する部分を抜粋して載せます。
参考にしてくださると嬉しいです。
解説
簡単な様でいて、ここは無茶苦茶難しいです^^;
マインドフルネスに習熟なさっている方は恐らく慣れていらっしゃるでしょう。
何の事言ってるか感覚で理解出来ると思います。(ああ、あれね・・・)と。
物質(色)
超新星爆発って知ってる?
わたしたちの太陽系も、いつか寿命が来て消滅します。
その時、太陽の体積が膨張して太陽系の惑星も全て飲み込まれるの。
そして何千倍もの膨らんだ太陽は爆発するのね。
あと50億年後らしい
まあ、その前に全ての地球の生物は異常な高温で消毒されて絶滅していることでしょう。
この様に太陽系の物質が全て崩壊を起こします。
物質の消滅は局所(日常)においては色々有るだろうけれど、太陽は超新星爆発する時には、何が何であろうと
物質の消滅とはこの様なものである。
という事です。
あなたの大嫌いなものも、あなたの大好きなあの人も・・・等しく無に帰すことは免れません。
局所における物質の生起と消滅
うちの家族がハッセルバックポテトってのを1時間位掛けて作ったね。(生起)
そしてトースターで焼いて、さあ出来上がったと思った瞬間、ミトン手袋が滑って苦心して作ったポテト料理が皿ごと落下して台無しに。
その瞬間、わたしが「それが諸行無常、諸法無我」と言ったら
「これが諸行無常の意味かっ!」と。どうやら分かったらしい。
感受作用はまあ、
- 触覚(痒み、痛み、心地よさ〘優しく撫でられるなど〙肌触り、暑さ、寒さ、冷たさなど)でしょ?
- 視覚(ああ、男前がいるなあとか色形ね)
- 聴覚(音の種類や音声、音楽)
- 味覚(これは簡単)
- 臭覚(これも比較的カンタン)
- 観念の感受(仏教書を読むのが好きとか、哲学者が好きとかね。イデオロギーとかね)
普通はみんな、その感受を味わっているので要所で観察すべき瞬間を逸しています。
今で言えば、「受とはこのようなものである」というのはメタ認知しているということかな?
表象(想)ね。
過去の自分の経験を思い出してる時ね。イメージや印象のことを言います。
たとえば、わたしは赤は暗い色という印象なんだけど、普通は赤は明るい印象でしょ?
「象!」
「豆腐!」
「魚!」
というキッカケで、脳内に生まれた印象が「想」です。
行(衝動)
行は一般的に日本の仏教では「意志」と説明します。
わたしはこれは正しく理解させないと感じています。
わたしが底本にしている、このテキストには実は「行」を潜在的形成力と表記して有るの。
潜在的形成力ってなんのことか分かります?^^;
行(サンスカーラ)はとても難しい概念
「行」の理解がとても難しいのは、例えば佐保田鶴治先生の「解説ヨーガ・スートラ」にはこの様に説明されていますよ。
緑の太字は「ヨーガ・スートラ」の本文
黒の太字は佐保田鶴治先生の解説文です。
「行と云うのは、サンスカーラという原語に対する仏教の訳語である。或ることが経験された時に潜在意識内に存在した印象のことである。この潜在印象たる「行」は後に再び、何らかの形で現われて来るまでは、チッタ(心)の中に潜在する。行の中には、記憶表象となって再現するものや、人間の境遇、寿命などの形で再生する業などがある(1・18)」
「行とはすでに述べたように、(1.18)いろいろな心理現象が生じた時、その現象の印象が潜在意識の領域のうちに何らかの形で残存していく事を言うのである。ヨーガ心理学では、この行、すなわち潜在印象は大切な概念である・・・・(1・50)」
3・18
綜制の適用によって、行を直視するならば、前生のことがわかる。
「行はこれまでの経験によって、潜在意識内へ投入された、残存印象である。この行は、人の潜在意識に蓄積されていて、記憶想起や業果となって顕現しない限り永久に残存するものであるから、この行に対して綜制を施してそれを直感するならば、自分の前生だけでなく、他人の前生を何生にもわたって知ることが出来る。この智を仏教は六神通の1つに数え宿命智と呼んでいる。ブッダも覚りを開かれる直前にこの宿命智を得て、自分の前生を何大刧という非常に遠い昔にまで遡って詳しく観察し・・・」
4・9
これらの残存印象は、その成立した時とその発現した時との間に多くの生涯、場所、時によって隔てられているにも関わらず、その間に断絶のない連続性があるとされるのは、再現した記憶とその行との間には同一性がるからである。
あのね、こんな難しい事を一々、お釈迦様は説明したとはちょっと考えられないのね。
記憶力が悪いと言われたチューラパンカ(レレレのおじさんのモデルと噂される方)尊者ですら、ここちゃんとクリアなさっています。
自分の名前も覚えられないというのは、明らかな「行き過ぎた誇張」です。
カルマとイコール
そして行(サンスカーラ)はカルマと同義語とされています。
当時、瞑想課題としては臨場感を持った何かが有ったハズで、よってわたしは「衝動」と言うの。
ちなみにオウムの麻原氏はこの行を「経験の構成」と更に訳のわからん訳語を付していらっしゃいます。熟考するに恐らく「諸々の経験の残存印象によって構成されている」のが「行」だと言ってんのかも知れない。
識別・観念
これも活字の意味は容易に説明は可能でしょ?
しかし今自分自身が
「識別を働かせているのである」
「これはわたしの持つ観念である」
と判って動かしている自覚ある?
ね、例えばキャプテン・マーベルを見て主演のブリー・ラーソンさんって美しなあと。
もうこれが識別。又は観念ですよ。
注) わたしではありません!
だって別にキャプテン・マーベルを観て「つまんない」と印象を持つ人もいるだろうし、よってブリー・ラーソンさんをことさら魅力的だと思わない人だっています。
注)わたしではありません!
でもその時(キャプテン・マーベル、ワクワクして楽しかったなあ)(ブリー・ラーソンさんって魅力的だなあ)って。
これが
- 識別(きれいな女の人。という記憶の箱に分類、識別したから)
- 観念(ただの女性をキレイと認識すること)
観念について、もうちょっと言うよ。
暗闇の森で蛇を踏んづけて死ぬほどドキッとして恐怖を覚えたと。
しかし、よく見たらただのロープに過ぎなかった・・・あなたの恐怖は瞬間に消滅した。
(暗闇の森で長い太いものがあればそれは蛇である)
(あいつの言うことは嘘に決まっている)とかね。
これが観念・思い込み
でもって(考えるな、ただ視覚に映っているだけだ)というのは非常に実際的で有益です。
(ええと行ってなんだっけか?)思考を動かしたくないからね。
なので五蘊非我というのは、先に自覚を促しているのです。
色:物質的存在とは、この様なものである。
受:感受作用とはこの様なものである。
想:イメージとはこの様なものである。
行:衝動とはこの様なものである。
識:識別・観念とはこの様なものである。
ね?