今日はタントラについて書きます(^^)

 

 

 

先日、グリーンターラー女神の瞑想を出した時に、(タントラのこと知って無くて大丈夫かなあ?)と不安がよぎりました。

 

 

  後期大乗仏教は堕落した仏教ではない

 

仏教タントラは念を押すけども「後期大乗仏教」なのね。

 

この意味を判って無くて、あれはヒンドゥー教が混じって来たものだから・・・と言うとんでもない発言をする人がいます。

 

 

大乗仏教もどうかすると理解していなんじゃないかと不安になっています。

 

 

そもそも大乗というのは

  1. 在家で解脱する方法を模索する。というのと(原則、在家は悟り止まりで解脱は無理とされます)
  2. 出家修行した場合、如何に早く釈迦牟尼のステージを得るか?

という課題の元に研究が始まりました。

 

 

それに軽く千年も費やしたの。

 

 

その成果が仏教タントラ。特にアヌッタラ・ヨーガ・タントラです。

 
 
 

特にこの分類はチベット仏教の大学者「プトゥン」によるものだけれど、とても妥当性が有るためアカデミックな場でもこの通りに教えられています。

 

 

 

  空海のタントラ チャリア・タントラ クリヤ・タントラ

 

表を見ると分かりますが空海は「中期タントラ」ね。

  • 所作(チャリア)タントラはマントラと印契が中心。
  • (クリヤ)タントラというのは、護摩法による儀式が中心だとお考え下さい。
  • 瑜伽(ヨーガ)タントラは観想で「入我我入観」などね。

 

一方、空海が持ち帰る事が出来なかったアヌッタラ・ヨーガ・タントラ(無上・最上のヨーガ)は女性原理のクンダリーニを活用するという事に他なりません。

それで左道密教などと呼ばれます。性的刺激が爆発の起因なので。

 

 

 

  映画「空海」 佐藤純彌監督の密教理解

 

昔、北大路欣也さんが空海を演じた作品がありまして・・・

 

 

弘法大師空海入定1150年を記念して全真言宗青年連盟映画(以下、全青連)製作本部が東映と提携して製作[2][3]真言宗は50年ごとに一大布教活動を展開しており、本作品もその一環となった[4]。全青連が映画公開前に前売り券200万枚を完売させ[3][5]、これが総額で20億円とも[3]、24億円ともいわれ[4]、公開前から大きな興行保障を実現させた[3][6]。この影響もあって総製作費には12億円の巨費が投ぜられ[3]、当時のままの遣唐使船を建造した他[3][7]、空海が密教を授けられた地である中国西安に大ロケーションが敢行された

 

凄いスケール。幸福の科学の映画もスケールが凄いけど。

 

北大路欣也は役作りのため高野山真言宗の僧侶として得度出家をし、四度加行を行い、不動護摩法の資格を取得した。

 

やっぱり描ききれなかったものと見え、室戸岬の洞窟で大勢の男女がエッチをします。

それがマンダラに配置されてるの。(道元を描いたZENも大概な作品だったけれども)

 

 

監督さんが理趣経を読んだのかな?

 

最澄が「貸してくれ」と空海に頼んだら、「あなた修行しないで経典を読んで理解するのが仏教だと思ってるじゃ無いか?そんな人には密教は理解出来ないから駄目だ」と断ったのが理趣釈経。

理趣経には男女のセックスも肯定されていて

『見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である』と。

 

 

マンダラに配置された集団セックス

 

ただ呆然とする空海

 

で空海が集団セックスを目の当たりにして、「生命の爆発だ!」みたいな事を呟き、宇宙の生命の誕生という神秘が密教の本質なのだ。みたいな悟りを得たと。

それが即身成仏だと、監督さんはご理解されたようです。違うと思う

 

なんだかなあ^^;

無理やり説得した感じがします。

 

密教を好意的に捉えたらこう表現するのかなあ?

 

 

 

  なぜ秘密仏教か?

 

タントラは日本の概念では「密教」と理解されています。

 

秘密の壁を作って、その内部に解脱のための・・・(ヒーターやクーラーのようなものだと思って頂戴)熱源が必要なのだと。

「ちょっと。入ってきたらドアちゃんと締めてね。冷気が逃げるでしょ」みたいなものだとご理解ください。冷却効率や電気代の節約でやるよね?

 

だからその場合、部屋の広さとエネルギー効率を考えると、より狭い空間の方が必要エネルギーは少なくて済みます。

 

 

 

 

  密儀伝授

 

タントラ修行の本質は帰依潅頂(密儀伝授)なのね。

 

お釈迦様のステージに到達するには、一口に3アサンキャ10万カルパもかかるとされる期間をこれによって一気に短縮します。

 

なんでそれが可能かと云うカラクリは、要するに師の解脱・悟りをそっくりそのまま弟子に移入しちゃえ!という狙いです。

 

 

弟子の前で師とコンソートがセックスをします。

 

原初仏サマンタバドラと明妃

 

弟子はその・・・やっぱ言えないな^^;

興味の有る方はネットで探して。

 

 

  イニシエーション

 

潅頂はイニシエーション(秘儀参入)と英語で言います。

キリスト教ではバプテスマと呼ぶようです。

これには師の解脱を支えるエネルギーみたいなモノを弟子に注入します。

 

仏教タントラでは以下の3要素から成り立ちます。

  1. マントラを含む秘密の修行の伝授
  2. それが達成されるためのエネルギーの移入
  3. 修行の許可

空海はそれを知って、潅頂を授けてくれる師を求めて唐に行ったの。

 

だから、師のキャパシティがどれだけの弟子に密儀伝授を行えるか?という問題があって、それで秘密の壁を作ってその内部の変化を起こそうとしているの。

 

 

最澄は知識を詰め込むだけのブッディストだったため、元々密教なんか解る人物ではありません。

それが法華経という初期大乗をわざわざ密教化しようと試みたのだから、わたしは有り体に言って何も判っていない人物だと見ます。

 

まあ、空海にどやされて当然です。

 

 

  空海の説明

 

空海は「如来の内証は凡夫には理解が遥かに及ばないため、秘密と似たようなもんだ。だから密教ってんだ」みたいな事を言っています。邪魔くさいのでしょうねえ(^^)

 

 

 

でね、今言いたいのは、そこまで来るのに千年以上もの長い時間の研究成果を蓄積してきたの。

 

 

  悟りを求める人にタントラは無意味に映る

 

いい?

それを「悟り」はさ、ほら修行はどうかしたら不要でしょ?

 

 

 

なので、この人たち(悟っただけの人たち)は元々、修行不要論だからさ、馬鹿げたことに八正道さえ不要と言いきるけどね。この人たちは解脱や如来の状態を知らないし、理解が及ばないので

 

 

「タントラはヒンドゥー教の混入」

 

 

の一言で片付けちゃうの。

 

じゃ、ヒンドゥーは何か?と訊ねたら、彼らは「迷信」と言うの。

 

なので、タントラを頑迷で迷信好きなバカの囚われる安っぽい民間の迷信と言い切る僧や学者さんがいます。

 

 

  邪教「立川流」の登場

 

中世登場した「立川流」というのは、金目当ての巫覡が生み出したそんな迷信だけど、タントラ全部をそう捉えている人が現在も大勢います。

 

外見だけ見たらそう考えますわね^^;

 

  密教の再評価

 

ところが、ノーベル物理学賞の湯川秀樹先生や、哲学者で宗教研究家、京都学派(西田幾多郎や鈴木大拙がいる)の梅原猛先生が「空海はグローバルな世界的天才や!」と言ったので、この半世紀「密教」と「空海」の再評価が起こりました。

 

 

 

わたしのタントラに対する評価というのは、「やっとお釈迦様の解脱が復興したんだ」という風に感じます。

 

 

 

 

  インドがタントラに目覚めたきっかけ

 

インドの宗教界は7~8世紀頃、タントラの波が覆い尽くし、ブッディズムやヒンドゥーイズムに関わらず、全てタントラ化してしまいます。

 

タントラतन्त्र Tantra)とは、ヒンドゥー教においては神妃(シヴァ神妃)になぞらえられる女性的力動の概念シャクティ(性力)の教義を説くシャークタ派聖典[1]

 

仏教においては中世インドの主に8世紀以降に成立した後期密教聖典の通称である[2](また、広く密教聖典全般をタントラとみなす場合もある)

 

今日、欧米の研究者らは、タントリズムという用語をヒンドゥー教仏教ジャイナ教の各宗教の一部にみられるある種の汎インド的宗教形態を指す言葉として用いている

 

タントラはタントリズムの文献であると言えるが、仏教のタントリズムである密教の聖典がみなタントラと名づけられているわけではなく、ヒンドゥー教の一派であるシャークタ派の聖典はタントラと通称されるが、ヒンドゥー教タントリズム文献がすべてタントラと呼ばれるわけではない[8]

 

ウィキペディア「タントラ」

 

 

 

 

 

  インドで仏教はヒンドゥーに溶け込んだ

 

インドで仏教が消滅したと言われていますが、前に言いましたように元々、お釈迦様の教えの内容は正当なバラモンの教えの上に立脚します。

 

これは例えば、ヒンドゥーイズムではお釈迦様はビシュヌ神の化身と理解されており、ヒンドゥーと仏教が矛盾しないという理解なのです。

 

 

だからこの両者は馴染む馴染む(^^)

 

 

 

  「悟り悟り」と言う割にゃ理解も狭ければ了見も狭いお坊さんたち

 

なので現在、お釈迦様が成道したブッダガヤはヒンドゥー教の聖地としてヒンドゥーが管理しています。

 

時々見ますが、”ヒンドゥーやバラモン教は劣っていて、仏教が優れている”と言っているのは「悟っただけで解脱を理解出来ない」仏教徒であって、これは完全に誤った認識です。

 

ヒンドゥーには近世、偉大な聖者が沢山いるよ。

 

 

  僧侶の格好してはいても完全に凡夫の人たち

 

 

 

 

これは、例えば瀬戸内寂聴さんみたいな僧侶の様に、一部の劣ったバラモンを「ダメなヤツ」とお釈迦様は言ったのだけど、それを拡大解釈して、まるでお釈迦様がバラモン全体を見下した様に錯覚しています。

 

 

スマナサーラ師はそうやってヒンドゥーイズムを見下します。

 

 

 

  三明経

 

そもそも僧侶が、バラモン教を見下す根拠となった「三明経」というお経があります。

 

ブッダは、「梵行を修していないバラモンは、死後梵天界になど行けない」と言ったのであって、バラモン全てを否定したわけではありません。

 

歴代のバラモン達の中で、存命中に梵天に至ったことがある者がいるのか問う。2人は否定する。釈迦は存命中に梵天に至れない者は、死後に梵天に至ることもないと述べる。

 
この経によると、梵行を修していない者はたとえ僧侶であっても、お釈迦様は弟子とはお認めにはならないと言う事が判ります。
 

 

 

 

そして7世紀から8世紀。インドの宗教が全てタントラ化してしまうと、仏教もそれに飲み込まれて区別が無くなった訳ね。それは元々、お釈迦様の教えがそうだったので。

 

 

 

 

  ブッダの師「アーラーマ・カーラーマ仙」と「ウッダカラーマ・プッタ仙」

 

お釈迦様が当初、二人のヨーガの先生に師事なさって、その後この師を越えたのであって、ヨーガが駄目だと言った訳ではありません。

 

でも、なんだか今の仏教はヒンドゥーの修道論である「ヨーガ」を見下したい下劣な感情から、ここを「釈迦はヨーガは駄目だと思って捨てた」と教えています。

 

 

 

  恐怖のガナ・チャクラ

 

さてさて、タントラの起源は、魔術を行う魔女たちが墓場でガナ・チャクラという・・・平たく言えば西洋魔術のサバトの儀式を行なっていた事に由来いたします。

 

何しろ、死肉を食らって、性行為が入り乱れた乱痴気パーティーですから。

 

 

これは胎蔵界曼荼羅にその様子が描かれています。

 

死肉を喰らい、血をすする様子

 

 

胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せらている

 

 

ガナ・チャクラは見学したら見つかって殺されるので、中々研究が進まないの。

 

お値段が高くて手も出ません^^;

 

 

 

ここでは性エネルギーの活用による意識の拡大が行われていたようです。

 

恐らく、この儀式を体験した誰かが、気のエネルギー・・・つまりクンダリーニですね。

 

 

 

  エンドルフィン、ドーパミン、オキシトシンの分泌

 

現在で言えば、脳に刺激を与えると、活性化作用によりエンドルフィンやドーパミン、オキシトシンが分泌されて恍惚や意識の拡大を経験したと考えられます。

 

その後、このガナ・チャクラを修した人物がヒンドゥーや仏教に帰依して、この性的ヨーガが持ち込まれる事になったのだと推察されます。

早くトランス状態に入るの。つまりサマディね。

 

 

 

クンダリーニを運用する性的ヨーガは日本の言葉で云う「左道密教」のことで、鎌倉時代に酷い左道密教が一時、大流行したことがあります。真言立川流と言います。

 

解脱では無くて、ドクロを本尊とする願望成就の秘法ね。

 

画像を探しましたが怖くてここに載せれませんガクガクブルブル・・・^^;

 

 

 

 

  公家や天皇の頭蓋骨を狙って墓荒らしが横行した

 

中身はデタラメで、その頃の、ごろつきみたいな巫覡(ふげき:昔のスピリチュアリスト)が適当にお次第をでっち上げて、秘法を教えるから金をよこせと。

 

どんなかと言うと・・・

深夜、ドクロにロウソクで整形を施して、お人形を作るの。

白粉や紅を塗ってなるべく、人にそっくりにするそうです。

 

これを本尊として、その前で男女が淫らな行為をし、3×7、21日目にドクロが未来を告げると言う。

 

立川流の第一級資料

 

本書の特徴は立川流の特徴である髑髏本尊の実際に触れていることで、ベールに包まれたままの立川流の修法の一端を垣間見ることができます。その生々しい男女の営みによる髑髏本尊の修法は、ある意味で人々を魅了したことでしょう。

 

(恐らく、リスクヘッジで予防線を張ったと想像します)高貴なドクロほど効験があるとされたので、天皇や公家、高僧の墓が暴かれシャレコウベが頻繁に盗難にあり、時の官憲によって逮捕者が続出。

遂に鎌倉幕府に依る大弾圧へと発展します。

驚くべき事に「当時の僧侶の7割が立川流に関わった」とされています。

その名残が今の立川市。

性的ヨーガはもう全くそんなんとは違います。

 

それはさておき・・・・戻ります。

 

※リスクヘッジ

ドクロが未来を告げなかったら・・・「そりゃ、本尊に使ったドクロが安物だからだよ」と言い逃れするため。

 

 

 

  荼枳尼天

タントラの修行者には必然的にダーキニー女神が守護に付きます

 

この魔女がチベット仏教に取り入れられダーキニー女神が誕生したと思われます。

ダーキニー女神はジャッカルに乗って描かれますが、日本に導入されるとジャッカルが狐に変化します。この総本山は有名な愛知県の豊川稲荷。

 

ダーキニーのモデルは墓場の魔女

右手に持ってるのは、死体の皮を剥ぐカストリ刀、左手はドクロの盃

そして血を啜る

 

 

そして女神信仰が誕生します。

女神というのは、シャクティー(クンダリーニ)女神、ダーキニー、墓場の魔女など。全てが女性原理だからです。

 

そして、更にこれが敷衍して智慧も女性原理とみなされたのが般若波羅蜜多女神です。

智慧が解脱者を生むので、智慧は諸仏の母であると看做されました。

 

般若波羅蜜多女神の詳しい内容はここ

 

 

 

さて、以上を踏まえて頂いて・・・

仏滅後、千年以上に渡り、その後も解脱の研究は続きました。

 

 

 

 

  悟った人が必ずやる誤解  悟りはお釈迦様の到達地点ではない

 

ええと、クドいけれど悟っただけの人はここが理解出来ません。

 

仏教を起こしたお釈迦様が戒定慧と言っているのに、SRKWブッダさんや、ジョーイ・ロットさんのように修行は不要という人もいますし、テーラワーダの僧は、もう既に悟り以上に行かなくなって久しいので、スマナサーラ師の様に

「マントラやるより、PCゲームやれよ」と言ったりします。

 

 

 

 

 

  チベット仏教が研究課題としているのは悟りからもっと先の話

 

仏弟子の告白によく出てくる「わたしは3つの明智を達成し、ブッダの教えを成し遂げた」に関わる内容なので、更にブッダとなると、三身の獲得とブッダの十号をいかに獲得するか?が課題です。

 

 

なのでチベット仏教は「悟り」よりも

 

 

「如何に早く釈尊のステージに到達するか?」

 

 

これがインドからチベットに研究の場を移した僧の研究課題です。

だから気の働きを利用するとか、マントラを利用するとか・・・まあ、あの手この手で活用できるものは何でも試した。

 

悟りは名色を停止させるので、あまり気の働きや、色界における解脱の要素というのは認識しません。

 

 

 

 

文字数をオーバーしていると叱られました^^;

続くかも知れません。