自己にとって他人に秘密にしたい心の働きがあると解脱修行の際。
この心の働きによって真理が覆い隠されてしまいます。ヨーガではこれをタマス(暗性の心の働き)と呼びます。仏教では「痴」と呼びます。貪瞋痴の「痴」ね。
従って、真理を求めるならば、どうしても自己の恥部を覆い隠したい。という心の働きをぶち壊さなければなりません。
「苦行」とはこれを言います。
ここに真理の探究者においては懺悔の必要性が求められます。
懺悔はすなわち心の浄化です。
卑屈、虚栄心、自尊心、他を見下す心。
こういうのを全部、破壊するんです。
持戒と懺悔
出家の人は、持戒と懺悔を行うと・・・かなり辛いよ^^;
在家はまだ、友人や家族がいますが、
ご出家(真理の修行者)と言うのは、その上財産から家族まで放棄していますし、寝床は路上か墓場。持ち物は糞掃衣と托鉢のお椀だけ。食事は午前中に托鉢で得た食が一度だけ、それも僅か。
そして・・・・懺悔はねえ、本当に苦しいよ。
友人や家族を妬んだとか、万引きをしてしまったとか、自慰をしてしまったとか。
見た目のみすぼらしい人を心の中で差別してしまったとか、学生時代にイジメをしてしまったとか・・・
人は、自分は清らかで居たいし、人にもそう見られたい訳だから、まだ誰にも言えない心の最深部にしまってある秘密をね。
それを打ち明けて、自分の全てをさらけ出す。
人前で丸裸になるよりも辛い。
懺悔したら後からなんぼでも思い出しますが
(もう、わたしには何も残っていない。・・・死にたい。この世から消えたい)
と心底おもいます。
本当にわたしはただ見栄を張りたいだけのつまらない価値など無い人間だと直視することになるからね。
それをお化粧やお洋服や肩書で誤魔化して来たと自分で認めることになります。
何ていうか
- つまらないちっぽけなプライド(自分は優れた人間だ。とか)
- 執着心
- 妬み嫉み
- 人を見下す汚れたわたしの核心部
懺悔で全部告白しちまうとドサッというかゴソっと落ちます。
そう汚れていないつもりの洗い物、洗濯途中で蓋を開けると
(こんなに汚れていたの?)とびっくりするようなもの。
これじゃお釈迦様にも嫌われる。
わたしなど神にも見放されるでしょうと。
誰にも言えないわたしの秘密
やはりどうしてもこれだけは絶対知られたくない聖域を持ってますよね、みんなね。
忘れたいし、辛いし一度に全部は言えません。
自分の偽りの仮面を剥いで行きます。
するともう心はボロボロ、顔で笑って心で泣いて・・・という心情です。
独り自殺しなければならない絶望と孤独
あの、(もう自分は駄目だ)と思って自殺を試みた方います?
リストカットじゃないよ、あれは構って欲しい心情で実は死にたくない人だから。
そうじゃなくて、投身自殺とか練炭自殺とか、縊死とかね。人知れず自分の痕跡をこの世から消し去りたい。
あの心情に追い込まれます。
小池龍之介さんは、頭陀行(乞食行)に失敗してそれを感じたようだけども。
浄化の瞬間
しかし、この時まさに修行者は「無常・苦・非我」を身に沁みて感じています。
タイムラグが有るので、彼(または彼女)はまだ実感がないはずだけど、この時に五蘊構成が徐々に、神への変容が始まっている筈です。
ね、この時にこそ、四念処の実践が最大の効果を発揮します!
これがお釈迦様が発見した解脱の方法だったの。
わたしが戒定慧は大事だ、瞑想だけでは駄目なんだというのはこれなのね。
無恥(無知)の煩悩の形成
「わたしの教える瞑想で悟ります。解脱します」
「ライオンズゲートが開きます。アセンションが期待できます」
するかそんなもん!
悟った気になってる人、次元が上昇したと思い込んでる人、スピリチュアル系に大勢いるようだけど。
「悟ったら引き寄せ効果で、何でも向こうからやって来ます(^^)
名誉でも、金銭でも、恋愛でも何でもござれ」
これが輪廻に巻き込まれる心の形成です。
無常世界における欲望の発生ですね。
彼(または彼女)はまた、これから永遠に輪廻なさいます。
しかも、転生したら記憶はリセットされますからそこで再び貪瞋痴が発生しますわね。
前世で悟ったかも知れないけれど、次の生から渇愛、苦悩の始まりです。
これを無知の煩悩とお釈迦様は指摘するわけね。
布をキレイに染めたければ、先に布を清らかにしろ 布喩経
マツジマニカーヤ 布喩経
「心の汚れを放置したまま四念処するな、サマディに入るな」という戒め
もし、汚れたまま正念や正定を修すると、悪趣へと落ちる可能性に言及しています。
ガンジス川で沐浴するとカルマが洗濯できる?
インドでは、ガンジスで沐浴するとカルマの浄化が出来ると信じられていて、今もそうですが、お釈迦様の頃から広くインドでは常識でした。
するとお釈迦様が「河で沐浴してカルマの浄化なんか出来るか!」とたしなめています。
ライオンズゲートが開くと次元上昇するとか云うのもこの類いですな。
布喩経
ブッダや如来しか弟子の懺悔を受けることは出来ない
現在ね、世にブッダや如来がいません。
したがって懺悔の瞑想というのがあるのだけれど、それを行うしか手立てはありません。
懺悔を受けるというのは、弟子の業を引き受けること
端的に言えばこのようなことです
なぜ成就した師でないと駄目かと云うと、弟子のカルマをモロに受けちゃうの。
空性を成就していると、弟子の悲痛な心のエネルギーを受けても、空性に還元できるの。
処理が追いつかないと成就した師といえども落ちます。
時々お釈迦様が食事係だけを許可して、誰も近づけない瞑想期間を作ってたと言うのが有るのね。
多分、受けた弟子のカルマを処理なさっていたと思います。
聖者の真似をして、その直後死んだ人
かれこれ20年ほど以前のこと、わたしの近くに天白区という街があります。
ここに住んでた方が多分、クリスチャンだと思うんだけど何を考えたか突如ネットを通じて
「皆さんの懺悔を受けます」と公言しました。
で、実際懺悔する人が出たの、これにはびっくりしましたが。
よせばいいのにこの人は赦しを与えました。
「はい、あなたの懺悔をわたしが受けました。あなたの罪は赦されました」
(んなもん、ゆるされるかい!あぶないことしてるなー)と思ってしばらくしたら、ブログにご家族のお母様だったかな?「息子は他界しました」と、告知があり、ちょっと有名人だったので、一部でざわつきました。
この人は裏のブログと表のブログがあり、煩悩の塊なのに聖者のフリをしたんです。
お布施は業が形を現したもの
えとね、聖者が信者からお布施を受けるのも、全く同じことが起きます。
通貨ってね、よーく考えてみてね。
これで願望を叶えようと、たまに嫌なことも我慢してコツコツ働いて稼いだ金銭でしょ?
それを楽しみ(自分の欲望)を我慢して師にお布施として受けていただくんでしょ?
だからお布施は言わばカルマそのものだと言えます。
師は悪業を背負う代わり、信徒に福を授けます。
なので、懺悔を受けたりお布施を受けたりするのは、わたしはとんでもなく恐ろしいことだと思うよ。
四預流支の第一になんてありましたか覚えていますか?
では4つの法則とは何であろうか?
修行者たちよ、ここに聖なる多学実践の弟子は覚者に対し、絶対の浄心を具足する。
すなわち
『実に、疑いなく、かの世尊は、供養に値し、最上正等覚者であり、知徳成就者、最上善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、覚者、世尊にまします』と。
- 十号の成就がない師では懺悔を受け空性に還元することが出来ない。
- 自分が受けた懺悔した弟子のカルマをモロにかぶってしまう。
ブッダを騙るのは本人も信者も危険
ところがここにね。
信徒が欲しい物我慢して浄心のお財施をする。「浄財」といいますねこれを。
それを自分の生活を豊かにするために湯水のように散財する。
そのために「わたしは釈迦の生まれ変わりである」と騙る。
しかも気に食わない信徒の陰口は云う人物であった。
どうですか?
長生きすると思いますか、この教祖。
如来が不在の世なので、瞑想で浄化を行う手段
さて、懺悔の瞑想です。
探せばネットのことだから見つかると思いますが、念のため。
好きなホトケのタンカや図像をネットで入手。直視出来る高さに貼り付けます。
自分の頭頂か眼前になるべく臨場感を持ってイメージいたします。
坐法は気にしません。
そして膻中(中央のアナハタ)のところで外縛印を組んで、十戒に沿って懺悔します。
これは念仏を唱えるように、何度も何度も行いますよ。
呟きでもいいから、声に出すとなおヨロシイです。
その際、
(どうかブッダよ、わたし〇〇は無始の過去から無知によって多くの悪業を犯して来ました。今、わたしはここにわたしの悪業を懺悔いたします、どうかわたしの数々の悪業を浄化したまえ)
みたいな気持ちを込めますよ。
この通りでも、御自分のオリジナルでも構いません。
十力者であるブッダのご助力にすがるしか無い。と言う気持ちが大切です。
付録
金剛薩埵の百音節マントラ 悪業を空性に還元する強力な秘儀
タントラの修行者の場合は金剛薩埵の百音節マントラってのを唱えます。
原則、マントラは翻訳しては力が無くなりますが、これは意味が大切なので、日本語の意味を載せておきます。
また、普通タントラの秘儀は、秘密裏に師からイニシエート(密儀伝授)されないと、効果がありません。ところがこれに関してはおおやけに公開されているという不思議なマントラです。般若心経のマントラもそれに属します。
歌う必要はありません。メロディを付けて唱えていますが(^^)
ついでに・・・
これなど、また違ったメロディを唱えています。
メロディは意味はありませんが、多分唱えやすいのでしょう。
詳しい解説はここにあります。
「百音節マントラ」は多くの密教行者によって千年以上も唱えられて来ました。
ヴァジラサットヴァ(金剛薩埵)
金剛薩埵は功徳の化身
原初の密教行者で、マハー・ヴァイローチャナ(大日如来)の変化身です
ヴァジラサットヴァよ、常にわたしにやどり給え。
わたしを守護したまえ。
ヴァジラサットヴァよ、常にわたしと共にあり、それによって
わたしを堅固なる存在になしたまえ。
わたしを比類なき至福の存在になしたまえ。
わたしを比類なき栄光の存在になしたまえ。
わたしを慈悲に満ちた存在になしたまえ。
すべての成就をわたしにもたらしたまえ。
誤謬による全ての誤った要素の蓄積を正しく飲み干したまえ。
優れた完成された心になしたまえ。
フーム・ハハハハホー。
一切の如来よ、あなた方はヴァガバン(世尊)でありヴァジラサットヴァ(金剛薩埵)です。
どうかわたしをお見捨てなきよう願います。
ヴァジラ(ダイアモンドとか雷電。この世で考えうる最勝のパワーと堅固なる存在という意味)
なる存在でお有り下さい。
偉大なるわたしと共にある御方よ。アー・フーム
チベット仏教ニンマ派のお次第「金剛薩埵の瞑想」
「金剛薩埵の瞑想」のプロセスの一部が「百音節マントラ」です。