平成から令和へと時代が変わり、日本は次の章に歴史を読み進めているところである。

以下、文科省より資料が示されてあるので、各自査読してみるといいだろう。いくつか私の意見を合わせて掲載しておく。

 

新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会(第1回) 配付資料

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/083/siryo/1418542.htm

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【中央教育審議会総会(平成31年4月17日)及び 中央教育審議会初等中等教育分科会(令和元年5月8日)における 主な意見(資料4.4)】

 

<<新しい時代が指すキーワードは、多様性。学校の多様性、教育課程の多 様性、教員の多様性をどのように作っていくのかということが、今回の 議論において、一つの共通の方向性であると感じる。>>

「多様性」(しばしばダイバシティという言葉も散見される)というのは、個人内あるいは組織体の中に存するということではなく、いろいろな属性なり特性なりがそれぞれに存立しながら、社会が形成されている状況を指す。一個人は多様性の中の一つであるわけだが、独自性やオリジナリティをアイデンティティとしてもっていることが必要とされるのである。

従って、「様々な物事がありますが、私はこのような考えと立場を取り、以下のように実践提示しております。」という確固とした主張を持たざる者は、多様性という言葉を使って相手方の理解不足に責任転嫁をしがちである。

いろいろな人との違いを際立たせながら、総体を支える一人として調和する能力というものが、より必要とされる時代であると言える。

 

<<先端技術を活用した個別最適化された学びの実現が大事。AIドリルを 活用するなど、教育の在り方を転換する覚悟で行ってほしい。>>

今年3月23日(土)に開催してもらった私の「耳順セミナー」やさらに掘り下げた勉強会での3回に渡るミニ講演で指摘があった通り、学習を支える存在が教師である必要はない。むしろ、指導力不足や能力不足や資質に問題がある者が授業するよりも優秀な学習コンテンツを子どもに与えている方がよっぽどよいことがある。そのことをスバリと指摘しているものであろう。

 

 

<<Society 5.0 時代には読解力が大切であることが書かれているが、新学習指導要領の総則には入っていない。読解力が課題であるという認識を 持っている現場の校長が多いので、読解力を、教育課程編成の際に校長 としてどうさばいていけばいいのかをしっかり現場に伝えていかなけ ればならない。>>

教育課程編成権は学校にある。学校の最終責任者は校長である。故に教職員・保護者・地域や関係機関、そして何よりも児童生徒が共有できるビジョンとして捉えられるように、校長は経営方針を教育課程を編成できなければならない。多様性をキーワードとされているわけだから、横並びの金太郎飴のような学校経営は求められていないということだろう。

校長にとっても際立つ個性と指導力が求められる時代になってきたというわけだ。

以下は、かなり前に勤務していた職場の「学校だより」に投稿したものです。割り当てがあって、間に合わせに打ったものですが、当時の教頭先生には「これ、どこか別の学校に行った時に使わせてもらうかな。(笑)」と、割と評判のよかったものです。

研究部長で算数TTをしていた時のものかと思います。

本来ならココログ・ブログで掲載するところですが、こちらでアップロードしてみました。

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できなくたっていい?!
                              大谷 和明

 学習発表会(昔風にいえば「学芸会」)が目前となりました。子供たちは生き生きと役作りやせりふまわしや演奏にと、がんばっている姿を目にして頼もしく感じています。
 ところで、私自身の学芸会の思い出は、あまりいいことはないのです。
 小学校1年生の学芸会は、器楽演奏でした。
 楽器はハーモニカ。当時は、鍵盤ハーモニカなる優れものの楽器がまだなかった時代です。私と同じ年齢層の保護者の皆さんならわかると思いますが、ハーモニカは場所によって吹くところと吸い込むところが決まっています。それと確か、吹く~吸う~吹く~吸うという決まった順番ではなくて、どこかの音が連続して「吸う~吸う」という変則型となっていて、かなり困ったものです。
 結局、本番に間に合わなかった私は、ニコニコしながら嬉々として演奏する友達を尻目に、演奏している振りをすることにしました。とはいえ、ハーモニカが平行移動しつつ、ほっぺたがぷっくらふくらんだり、えくぼのようにかわいらしくへこんだりしていないのがいかにも不自然です。(鏡を見ればわかりますし、先生にはちゃ~んとわかるものです。)
 試行錯誤の末、演奏曲目にあわせて「ソ」「ミ」あたりの無難な音を出す作戦に出ました。
 1年生の演奏曲なのでおおかたは「ハ長調」なわけですから、基本のハーモニーが「ドミソ」でほとんどのコードがカバーできるのです。
 まともに旋律を吹けない私は、努力の末に「ドミソの法則」を発見したのです。
 本番当日、私は自信たっぷり(多少の後ろめたさを感じつつも)「E~G~C」のコンビネーションを展開しつつ、妙に調和した音の渦に隠れて、その場をやり過ごしたものです。(担任の先生からは、何のご沙汰もありませんでした。心の中では、「器用な奴だな。」くらいのお気持ちでいらっしゃったかもしれません。)
 今回の私の教訓は、「そんな小学校くらいのときにできないことがあったって、人生に大きな影響なんてない」ということです。
 みんながちゃんと演奏しているのに、ごまかしている子を咎(とが)めて、みんなと同じにしよう!と熱心な指導をされていたら、今の私はなかったかもしれません。
 とんでもないでたらめ演奏で全体に迷惑をかけるような状態だったら、別途解決方法を考えて指導されていたかもしれませんが、「ま、みんなに迷惑をかけずにやっているからいいかあ。」くらいに鷹揚にみていただいていたという、ゆとりのあるよき時代の思い出話でした。

学校教育をアップデートせよ~その3

【20190615菊池道場北海道札幌支部勉強会報告】

今回は7月20日(土)に予定している拡大勉強会(菊池道場の情宣の一つでもあり、現職研修としての学びの場を提供する趣旨もある)の内容検討をメインとして開催した。その中でシリーズ3回目で最終回となる。元は、3月23日(土)に開催された私の退職セミナー<蝦夷の教育文化フェスティバル~大谷和明「耳順」セミナー>での私の講座がベースとなっているもので、さらに肉付けをして札幌支部メンバーに向けてレクチャーしたものである。

4月5月6月と月例の勉強会のお楽しみにしてもらえたかな・・と思う。

月例会ではコアメンバーとメンバーが引き連れて来てくれた職場の若手同僚もおり、これからの学校教育をアップデートするための観点やポイントを示すものとなっている。

 

今回の提言3も3つの観点とファーストアクションをそれぞれに付帯させてある。

 

(1)個別指導の最適化をせよ

1クラスにおける児童・生徒の数は20人程度であることが望ましいと感じているが、現状の日本での制度では40人学級である。1年生は小1プロブレム対応で35人とあり、市区町村の自治体レベルでは2年生以上でも適用しているところがある。札幌では小学校2年生に適用となっているため、小学校3年生からは40人学級である。

私の職場は小学校1年が28人なので、はじめから1学級であり、学年担任一人で切り盛りすることになるので大変である。そのため、外部人材リソースとして学びのサポーターをできるだけ配置するようにしているところである。

 

それはともかく、一斉指導の体制の中で個別指導の時間を生み出し、かつ個別対応をとっていくことは、相応の力量や経験を持たないと厳しいものがある。向山洋一氏が提唱している「授業の腕を上げる法則」に10の原則が挙げられており、私は中でも空白禁止の原則を特に重要と考えている。

 

要は、一斉に学習作業をさせている間に、内容把握が不足している児童生徒のもとへ個別指導しに行くのであるが、簡単な問題・課題には速やかに終了する子どもが教師のもとへ回答に向かうため、ある程度のハードルを上げるなり、回答評価にかける時間を短くするなりの工夫が必要となる。

例えば、1時間授業でのドリル問題が10問あるとしたら5問できたら持って来させることで、回答スピードを上げることができる。

その際、回答1つ1つを親切に丸付けする教師がいるのだが(ほとんどがそうだろう)、私の場合はそうしない。5問全問正解で大きな○を一つつけて、次の回答に向かわせる。一つでも間違いがあれば、そのままノートなりプリントを突き返すのである。もちろん、どこが間違いなのかは指摘してあげない。あくまでも自分で考えるのである。3~5問くらい(数と計算領域ならなおさら)なら一見して即座に評価できるわけだ。回答評価の隙間時間を寄せ集めるだけでも結構な時間を生み出すことができ、かつ個別指導の時間を確保もできるというわけだ。

 

そこにもってきて、昨今の時代背景としてデジタルデバイスを取り入れたドリルで個別対応を促進させれば、更に時間の捻出を促すことが可能であり、クラウドでのデータ保管もできるので、個別にテーラーメイドの設問提示もできるというのが、これからの教室現場である。

授業がへったくそな教師が対応するよりも、よっぽど気の利いた対応を機械がしてくれるのが、これからの教室だということだ。

積極的にデジタルデバイスを活用していこうじゃないかという提案である。

 

(2)コミュニケーション力を高める手立てを考えよ

「授業は討論に憧れる」とは、先の向山氏の言葉であるが、子どもたち同志の討論とは、学習の質を高めることにも繋がる。アクティブ・ラーニングの言葉は聞かれなくなってしまったが、これの本質は「子どもの脳みそをどれだけ働かせることができるか」という命題に直結することなのだ。

その点では、過去の名だたる実践家はすべからくAL実践者であると言える。何も、ここ数年の流行り半纏ということではないのである。このことを教師は自覚しておく必要がある。

そうはいえ、一斉指導一斉授業から抜けられない教師の授業は、教師が話す時間が圧倒的!に多い。45分の半分以上は教師が喋っていることすらある。子どもは聞かさせるだけである。

聴く値のある価値ある内容であるならまだしも、言葉を選んで短く話す意識・自覚のない教師の話を聞かされて、どこがアクティブ・ラーニングになるのか?!といいたい。

試みとして、ボイスレコーダーを使って自分の授業録音を再生してみればよい。以下にダラダラと無内容(ちょっと言いすぎか)で思いつき発言が多いかということに気づくはずである。

教材研究を経ていない「とりあえず発問」で授業するくらいなら、自由読書に当てる方がよほどましである。

 

学習指導要領が能力・資質開発重視に舵を切っているわけだから、コンピテンシーと呼ばれる能力開発をどのような教材や課題で授業デザインするかを本気に追究していかないとならないのである。

 

(3)コミュニティ「学校」を発動せよ

もうだいぶ以前から「開かれた学校」が言われ、とりわけ総合的な学習の時間が創設されて以来、外部人材を学校に取り入れるようになってきたが、ホンモノから学ぶことの効果というものを共通認識する必要があるだろう。

日本でもコミュニティスクールが出てきてはいるが、諸外国でみられるものとは別物で、ホンモノであれば人事権にまで及び自治運営することをもってコミュニティスクールと言えるわけだ。

大学卒業のままの人材教師だけでなく、学び直しで現場復帰してきた教師もゴロゴロといるような学校が今後増えてくることだろう。

官制研修だけでなく、リカレント教育を受けた厚みのある教師とともに充実した校内研修を進めていくことで、子どもの学力形成という教育の本来目的を果たすのが、今後の公教育の使命となっていくものと思う。

以下は、私が配信していただいている教材・授業開発MLに寄稿した文章です。

9月〜10月にかけて発行を予定しているもので、事前に発信紹介するものです。

ご興味ご関心のある方は、私宛にメールを下されば、参加の招待メールを送ります。

 

第348号 大谷和明(札幌市立ひばりが丘小学校、教材・授業開発研究所空知支部)

 ~楽しきかな 我が教師修業 その3「教材開発セミナーハウスに思う」~

 

 教育出版小学社会採択の北海道にとっては、社会科といえば「有田和正」というくらいの認知度ながら、社会科連盟を除いては、あまり研修会の講師としていらしたことはないのかと思う。先に紹介した通り、向山氏のピンチヒッターとして函館に来ていただいたご縁から、私の盟友・松本明さんが定期的に研修会講師としてご来道されるのが定着した感じがする。

 とはいえ、私はその後、道南を離れて札幌勤務となることから、函館研修会に参加する機会があまりなかったのである。札幌に来てからは、酒井臣吾先生や野口芳宏先生をメイン講師として「酒井塾」「野口塾(後の「国語修業講」)」を主催することとなり、有田先生との交流が減っていた状況だった。当時、野口・酒井の両先生とも北海道教育大学函館校の教授就任されていたので、札幌へ異動してしまったのが悔やまれたものだった。そのまま道南に残っていれば、月例会どころの回数ではすまかったことだろう。(^o^)

 そんなこんなで、有田先生との交流研修会を主催したいという気持ちがあったので、「教材開発セミナーハウス」というイベントを立ち上げることにしたのである。開催コンセプトは、”教科書教材をつくる力量を形成しよう”という壮大なものだった。残念ながら教科書執筆者を送り出すことはできなかったが、有田エキスを余すことなく吸収することができたイベントではなかったかと思う。

 そんなお付き合いの再開から編著執筆の機会や教材開発に関わるお電話を頂戴するようになり、サークル活動の一部門を形作るまでになっていった。このイベントを通して、全道の有田ファンとも交流する機会が増え、今でもお付き合いいただいている方々が何人かいらっしゃる。ありがたいことである。

 人は死してなお残す~とは、昔から言われていることなのだが、有田先生が残して下さった偉大な財産は、何よりも後を追い続けようとする熱意ある教師たちではなかったかと思う。お亡くなりになった後で、残されていた出版プロットを元に弟子たちで『今こそ社会科の学力をつける授業を』を作り上げたのは、私にとっても実に感慨深いものがある。

 さて、セミナーハウスも研修会であるから模擬授業提案や開発教材の提案をすることで、参加者の力量向上を図っていった。とりわけ、主催している自分のサークル員が一番得するようでなければ、自主研修会の意味がないので、毎回サークル員には発表者や授業者を募りながら、企画内容の具体化を図っていったものである。

 ユーモアをとりわけ重視される有田先生なので、合宿の折には準備体操がてら「おかしいから笑うのではないのです。笑うからおかしいのです。さぁ、いっしょに笑いましょう!!ワ~~~~ハハハハ!」と講座が始まるのも思い出に残す一シーンである。これまでにも授業記録ビデオも数知れずある中で、どの授業でも子どもたちとの交流の中から笑いが生まれるところを拝見してきたものだが、こういう余裕というものは、かなり懐が深くないと創り出すことは難しいものである。教師の腕前を図るものさしとして、笑い(それも知的なもの)を生み出す授業を展開することができる~という一項目を置いてもいいくらいかと思う。

 昔のお写真を拝見してみても、福岡時代の頃から、すでにあの心からの笑顔を持っておられたのが分かるのだが、「3Kの大谷」にとっては生涯憧れの姿でもあった。(ちなみに3Kとは、TOSS時代につけていただいた「堅い」「暗い」「恐い」という授業態度からきたものである。(-_-) )

 菊池道場北海道札幌支部の顧問をさせてもらったいるところだが、日本の教育界の宝としての有田実践・有田理論や教材開発技能といったことも、元気なうちに伝えて行きたいものだと切に思っている。

 

 

 

社会科の著名実践家であった故・有田和正先生の実践や教材開発についての情報交換となっている「教材・授業開発研究所メーリングリスト」に参加希望される方は、大谷@FreeTalk までメールを下されば、ご招待いたします。

以下は、私が配信していただいている教材・授業開発MLに寄稿した文章です。

9月〜10月にかけて発行を予定しているもので、事前に発信紹介するものです。

ご興味ご関心のある方は、私宛にメールを下されば、参加の招待メールを送ります。

 

 

第347号 大谷和明(札幌市立ひばりが丘小学校、教材・授業開発研究所空知支部)

 ~楽しきかな 我が教師修業 その2「有田実践普及の使命を担う」~

 

 現在、私は教育実践・研究の活動拠点として菊池省三さんが主宰する「菊池道場」に参加させてもらっているところである。菊池道場の良いところは、「ほめ言葉のシャワー」「白い黒板」「価値語」といったオリジナル実践を教室現場に普及させることの他にも、これまでの価値ある教育実践も広く紹介しながら、教育の充実を図ろうとしている点にある。ディベートによるコミュニケーション能力の育成は、その最たるものだろう。

 

 現職を定年退職したので、菊池道場の北海道・札幌支部の顧問として後輩教員育成に微力を尽くしているところだが、月例の他に拡大例会としてミニセミナーを開催することがある。菊池道場の特長の一つとして、参加してくる教師の年齢層が若いというものがある。新しく動き始めた教育運動であるから当然なのだが、若いからこそ過去の研究や実践家には疎いという弱点もある。そこを埋めるべく、いろいろと知見を披露しながら、研鑽のタネを撒くのが、私の仕事の一つであると考えている。

 ある時の懇親会で、有田先生を知っている人?と聞いたことがあるのだが、なんと一人もいなかったことがあり、いささかショックを受けたものである。数々の著作物があり、著作集もあり、教科書執筆者としても一流、社会科実践家としても歴史に名を留めるひとりだという私の認識を改めなければならないと感じた一瞬でもあった。勉強会に進んで参加し、なおかつ懇親会までにも参加してくる熱心な教師ですら、有田先生が亡くなってからわずか数年しか経たないという現状を鑑みても、一時代を一緒に現場に身をおいてきた者としては、有田実践をしっかり紹介していく必要があると感じている。「継承セミナー」がもつ意義を改めて感じているところである。

 

 インターネットが普及し、ネット検索が手軽にできる時代となったために、授業のネタや指導案の収集に至るまで、自分の頭と足で汗して集める作業機会もまた減少してきているような気がする。かつて、本MLでも発信し、さくら社HPでも紹介されたことがある私の昆布修業記は、徹底した現場主義者であった有田先生にも喜んでいただくことができたかと思う。教材開発や教材研究というものは、自ら動いて頭脳を働かせてこそ血肉化するものであり、それだからこそ授業でしっかり使えるものになりえるのだと考える。

 何よりも教材開発にとって欠かせない最重要の資質は?と問われれば、私なら「飽くなき探究心」と答える。何事にも興味関心の塊として対象物や事象に取り組んで来られた有田先生の「追究の鬼」を育てる実践は、ご自身そのものの研究姿勢を反映されているものであろう。

 何よりも追究の鬼となれば、遊びと勉強の境目がなくなるものである。下関の福山憲市さんが担任時代に子どもたちから寄せられた「自学ノート」を積み重ねたら教室の天井までにも達する程のものになったと紹介されていたことがある。福山さんは最近では、ご自身を「授業屋」と称されているが、師匠である有田先生を追いかける姿を、そう表現されているのだろう。いつまでも実践の情熱を失わなかった有田先生へのオマージュを感じる好事例かと思う。

 とかく子どもたちに人気の教科をアンケートすれば、体育を筆頭に国語や算数などの教科が下位にランキングされがちなものだが、国語の分析批評を取り入れた討論の授業を構築された向山氏の教室では国語科がトップになったことがある。

 子どもにとって、知的好奇心を満足させられるものであるなら、教科内容に差はないのである。

 要は、子どもの知的好奇心に長く灯をともしていくだけの働きかけを教師自身がどれだけできるか?という研究的実践をモチベーションとして持ち続けられるかにかかっていることなのだと思う。

 

社会科の著名実践家であった故・有田和正先生の実践や教材開発についての情報交換となっている「教材・授業開発研究所メーリングリスト」に参加希望される方は、大谷@FreeTalk までメールを下されば、ご招待いたします。