以前のブログで、ボブ・ラザーという物理研究者がエリア51で働いていたことがあり、エイリアンの反重力装置の逆行分析(リバース・エンジニアリング)を行っていたと証言していることを書いた。そのブログがこれ↓
http://ameblo.jp/kaz0624/entry-11055181490.html 
その証言を報じたガーディアン誌の記事がこれ↓(前のブログから再掲)
http://conspiracy.exblog.jp/1939069/ 
というわけで、今回は、実際に反重力装置を分析した(”見た”と主張する)ボブ・ラザーの証言を掘ってみよう。

ボブ・ラザー(ロバート・スコット・ラザー)はマサチューセッツ工科大学(MIT)で物理学博士号を取得し、少なくとも1982年には、ニューメシキコ州のロスアラモス国立原子力研究所で物理学者として働いていた。そのときに、ジェットカーに関する論文を書き、ハンガリー出身でアメリカの「水爆の父」といわれるエドワード・テラーと面識を持つことになったそうだ。テラー博士は、UFO情報の隠蔽・分析に深く関係するとされる最上部秘密組織PI-40のメンバーとされている(PI-40についてはこのブログのその②で触れる。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%BC 
ボブ・ラザー↓

そして、1988年にロスアラモス研究所を去ることになったラザーは、テラー博士の紹介により米軍の特別研究プロジェクトを委託されていたEG&G社(エジャートン・ガーメスハウゼン・アンド・グライアー)に仕事を求める。米海軍情報部(ONI)の職員の面接を受け、数ヶ月にわたり電話を盗聴されたり、自宅を捜索されたりする厳しいセキュリティチェックを受けた後、採用された。余談になるが、このような厳しいセキュリティチェックは、大手企業・政府機関でも重要なポストに就く人物にはよく行われる。特に大手金融機関の場合が厳しい。まれに、こうしたことについて何も知らず、敏感な人の場合ノイローゼになって自殺する人もあると聞いたことがある。(実は本当に正直に言うと自分もこうしたセキュリティチェックを受けたことがある。)
ラザーは、ラスベガスに程近く、ネバダ砂漠にあるグレーム・レイク空軍基地で働くことになった。米国の軍事基地には区分けがあり、エリア1~50までは公式に存在する。グレーム・レイク空軍基地は、一般には公式名称ではないエリア51の名前が有名だ。エリア51は、3度に渡り拡張され、膨大な敷地面積を持つ。それは、研究開発中の新型航空機の飛行実験を近くの山へ登ったとしても見難くするために拡張されたそうだ。また、警備は、黒塗りの米軍軍事車両・ヘリコプターが使用されているが、車体・機体に部隊名などの標識は書かれていない。民間の警備会社(ワッケンハット社;国防情報局(DIA)やCIA、FBIなどのOBが要職を占め、武装警備員3万人を有する)が警備を担当していると言われている。
ラザーが向かったのは、エリア51中心施設から更におよそ25Km南へ行った、砂漠のど真ん中のS-4という研究施設だった。S-4は別名”ランチ(牧場;この意味は後で分かる)”または”スカンク・ワークス(先端研究開発部門を意味する)”とも呼ばれ、最高機密に属する研究開発を担当している部門だそうだ。スカンクワークスというのは、このような先端研究開発部門を指し、特定の研究施設を指すものではない。ちなみに、ロッキードのスカンク・ワークスの一つは、移転していなければカリフォルニア州ヘレンデールにある。
以下に参照する矢追純一氏の”宇宙人は本当に実在する”というドキュメンタリー番組の動画(1~14に分割されている。矢追さんは、同名の本も書いている)の一部に、このロッキードのスカンクワークの外観が映っている(動画③)。また、動画②には、矢追さんのインタビューを受けるラザー博士が映っている。動画①には、ラザー博士がエリア51にあったS-4の存在を暴露した後、移転したとされるユタ州モアブにある秘密研究施設R-6413の入口の外観の映像がある。
① http://www.youtube.com/watch?v=HdW5Q7ZzeYI&feature=related 
② http://www.youtube.com/watch?v=BvyxdPQqjOo&feature=relmfu 
③ http://www.youtube.com/watch?v=_JaqrGNXKws&feature=relmfu 
動画②と③には、以前紹介したロズウェル情報の暴露本を出した翌年(1998年)に心臓麻痺で急死したフィリップ・J・コーソ(一部の研究者には彼もPI-40のメンバーではなかったかという人もいる)の貴重なインタビュー映像もある。このインタビュー後の翌年すぐにコーソは急死した。

S-4で簡単なブリーフィングを受けた後、ラザーはUFOの反重力装置の逆行分析の仕事を担当することになったそうだ。そこで、ラザーは格納庫に収容されている様々なタイプの9機のUFOを目撃したという。そのうちの1機は、大口径の砲弾が貫通したような穴が底部と頂部に開いていて、穴の周りの金属がめくれ上がっているのを目撃している。しかし、全体として格納されていたUFOは非常に綺麗で、墜落したり盗んだりしたものではなく、もっと友好的な手続きを経て手に入れたものだろうと述べている。また、様々なタイプというのは、時代的な変化を示すものではなく、様々なタイプの文明から、手に入れたことを示すものと考えられる。しかし、ラザーの発言によれば、UFOの基本的な飛行原理(反重力装置)は、ほとんど同一の原理により作動していたと考えている。ラザーは、別の1機のUFOが非常に短い時間の間テスト飛行している様子も目撃しているそうだ。
ラザーが逆行分析したのは、レチクル座ゼータ恒星系(連星系)の惑星セルポから来た小さいETの一団(”リトルグレイ”ではなく「イーブ人(EBEN)」もしくは「コルタ(KOLTA)」と呼ばれていたようだ。)の使用していたUFOらしい(このタイプのUFOを複数機保有していたためであろう。空軍では、グレイのことをその名前では呼ばないと言っていた、ディスクロージャープロジェクトでの証言を思い出す)。 ラザーの発言によれば、ラザーがS-4に来る前の1987年4月に、反重力装置の動力部分に当たる物質・反物質反応装置を開けようとして爆発し、3名(ラザーの証言では3名だが、動画②では4名となっている。)の地球人研究者が亡くなった為に、その科学者の後任の一人になったと後になって知ったそうだ。 
ラザーによれば、UFOの推進装置は、サッカーボールほどの大きさしかなく、非常に重い物質を利用して、振動により重力を消す「波動」を生み出していることが分かったと言う。ラザーはこの物質を特定し、それが原子番号115番(もしくは114番)の「エレメント115」であると述べている。矢追氏のドキュメンタリー番組の動画②において、ラザーはUFOの下についている(通常3つあるようだ)この反重力波動の増幅装置の方向をコントロールすることにより、UFO飛行方向や速度がコントロールされると述べている。S-4に従事する研究員のレベルは、機密性のためかそれほど高くはなく、非常に幼稚なものであったらしい。このエレメント115(元素115;ウンウンペンチウム)は地球上にはまだ存在しないため、現状地球上で利用可能な最も重い元素である原子番号94のプルトニウムを代わりに用いる実験も行われていたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A6%E3%83%A0 
実際に、テキサス州ヒューストン近郊で1980年12月29日の夜、約20機の大小のヘリコプターに護衛されたダイヤモンド型で明るく輝くUFOが目撃されているが、そのUFOは非常な低空を火花を散らしながら低速で飛行していったそうだ。このUFOの低空飛行を間近で目撃した3名の民間人全員が、この後、頭痛や吐き気・脱毛などの明らかな放射線障害の症状を示した。この珍しい事件は、補償を求めて裁判で争われたが、空軍はその事件が発生した日に一切の新型機の飛行実験を行っていないと全面否定したという。この結果、この裁判は1986年4月に棄却された。
ちょっと古いが、1991年10月に放送された「矢追純一 UFOスペシャル第4弾」というドキュメンタリー番組に、この事件の被害者が証言している動画がある(4:30過ぎから)。↓
http://www.youtube.com/watch?v=sRALlqSOE98&feature=related 
ダイヤモンド型UFOではないが、下の写真のUFOに分類されているのは空軍開発機TR-3B「トライアングル」(ブラックトライアングル)と言われている。(この部分一部訂正しました)↓


また、動画②には、UFOが超電導材料で覆われていたと述べられているが、ユミットの手紙によればユミットタイプのUFOの解説図では、乗員の船室キャビン全体がやはり超電導材料で覆われていることが示されている。これは、UFOが超高速飛行するときに回りに発生させる強力な電磁場が人体に有害であるためだと説明されている(超電導材料は大きさによるが電磁場を遮断する)。また、UFO周囲の強力な電磁場により維持されるプラズマにより、衝撃波や摩擦熱から機体が保護されることを、ジャン・ピエール・プチ氏はMHD工学の研究論文で公表している。(昔は、UFOの飛行中に衝撃波の発生が見られないために超高速飛行は観測の誤りではないかとされていた。)

興味深いのは、ラザーがS-4に勤め始めた1988年にアメリカでTVドキュメンタリー番組『UFO Coverup?Live!(”UFO隠蔽工作?実況中継!”)』が放送された。この番組には匿名の”ファルコン”と”コンドル”という2名の政府職員?(おそらく1名は矢追氏のドキュメンタリー番組に登場するマイケル・ウルフ博士か?)が出演し、エリア51にエイリアンが生活していたという話を証言している。これが、S-4が”ランチ(牧場)”と呼ばれていた理由で、エイリアンを放牧していた”牧場”というわけだ。
ラザーがS-4に勤務していたのは、1988年12月から1989年4月までと非常に短い。これは、上記のドキュメンタリー番組が影響して、口の軽そうなラザーはお役御免になったのだろう。この短い期間ではあるが、ラザーが受け取った200ページもある「ブリーフィング」用の文書には、1979年に保安要員とエイリアンとの間で、エイリアン地区へ警備員が(エイリアンが基地を去ろうとしたために?)武器を持ち込もうとしたことから、エイリアンと警備員との間で戦闘が起こり、66名の警備員(一説によれば、人質にとられた警備員を救出するために突入した海兵隊も含まれるという話もある)が死亡し、44名が退職した事件についても触れられていたそうだ。UFO研究家ポール・ベネヴィッツ氏よれば、この後エイリアンはこの秘密基地に装置を残したまま去り、その残された装置の分析をラザーのような地球人科学者がやることになったという。この時期(1979年)は、ユミットが手紙で指摘していた、エイリアンが宇宙空間のひずみを利用して母星へ帰るためのタイムリミットにおおよそ一致している。このブリーフィング用の資料にはエイリアンと地球人類との相互関係の歴史についても書かれていたそうだが、その話は別のテーマで取り上げたい。
ラザーによるとS-4での情報管理は大変厳しく、トイレも含めてどこへ行くのもM-16ライフルで武装した警備員がついてまわり、S-4の中で働いている他の研究者との会話は一切禁止されていたそうだ。このため、他の研究者が何を研究していたのか?について詳しい情報は一切分からないと言っている。バディ方式(相棒方式)がとられていて、2人一組で仕事を行い、会話が出来るのはその相棒だけだったという。

ラザーはすぐにS-4を退職することになったわけではない。彼は、非常に短い期間しかS-4で働かなかったが、その短い間に(テラー博士の紹介と言うこともあり?)S-4の最高機密の4分の3程度を知ることになったという。このため、秘密組織側もすぐにラザーを手放すということをせず(そのまま退職させると機密情報の保護の面でトラブルになると考えたのだろう)、89年4月に最初は最高度の「Q」区分の上の第38区分の秘密取扱資格を取り消したのだった。アメリカ政府関係者は、「Q」区分以上の機密情報区分を公式には否定している。しかし、ウィリアム・E・バローズによれば、1986年までこのような情報区分が実際に存在したそうだ。
第38秘密情報区分は、米大統領やCIA長官も、FTD(海外情報技術部;民間企業に委託して海外の軍事技術を研究していた部署で、闇の組織とのつながりが強い。)の許可がないとアクセスできないらしい。

以上が、ラザーがS-4を去ることになった後、89年の春と10月に2度にわたりTVのドキュメンタリー番組に出演して証言した内容のおおよその概要だが、その信憑性を巡って、例によって議論が持ち上がった。 そのこととPI-40のこと、ラザーの証言では反重力装置関連のテクニカルな情報が少なかったので、テクニカルな情報について、できる限り「その②」で触れてみたい。

ラザーは、89年10月にCBS系列のKLAS-TVの『UFO;動かぬ証拠』というドキュメンタリー番組に(ラザー自身としては2度目になるが)実名・顔出しで出演して、次のように証言している。
「僕は真実を話している。それを証明しようとも思っている。エリア51で進められていることは、史上最大級の重要なことかもしれないんだ。つまり、別のシステムである他の惑星や人間以外の知的生命体と物理的な接触があって、その証拠もあるということだ。‥‥これは事実だし、(ラザーが居たときのS-4がある)エリア51で起きていることなんだ。」
また、別のインタビューでは、次のように述べている。
見たっていったら見たんだよ。あんたが見ていないだけだ。誰が信じようと信じまいと俺には関係ねぇーんだよ。このやろう。」