伏見のランドマーク 松本酒造の佇まい 今日のスタート

 

 宇治川左岸からみる伏見山 ぽつんとした小さなでっぱりが伏見桃山城(むかしキャッスルランドがありましたね)

 

 2月23日(火祝) 
 【淀川マラソン中止】
 宇治川河川敷を8キロ走った。一昨日鴨川沿いを三条大橋までの往復20キロを走ったあとだったので無理はしないでおこうと思った。
 ほぼ3週間前の1月31日、宇治川大橋からみえる河川敷は一面の葦の群生だった。そこに重機が入り刈り取りの最中。重機が通ったあとはまるでバリカンを入れたようなあとがくっきりと残っていた。この日に橋を渡っていくとほとんど「丸坊主」になっていしまっていた。季節は動いている。

 

丸坊主となった葦の原(宇治川大橋から)

 

 3月21日に予定されていた淀川マラソンがコロナで中止になった。ハーフをエントリーしていた。フルマラソンに出るひとつの通過点にしようと意気込んでいた大会だった。3月の終わりにもうひと大会あるが異動の時期とも重なっていて判断が難しい。
 仕方がない。
 個人の計測で走ったハーフと公式に完走証明がもらえるハーフとではやはり値打ちが違う。ハーフはフルへの通過儀礼だとしても、ちゃんと大会に出場したという記録が欲しかった。残念。
 

【腸脛靭帯炎】
 先週はろくに走れなかった。
 右膝を痛めていた。
 膝は複雑な仕組みでできている。太腿は付け根から外側に沿って伸びる長い筋肉があって膝で接合しており、腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)という筋肉を形成している。膝の外側に小さなでっぱりがある。膝を動かすと腸脛靭帯とこの骨のでっぱりとで摩擦を起こす。
 これがひどくなると神経痛のような痛みを引き起こす。腸脛靭帯炎という。これに罹っていた。
 2月13日に京都御苑を2周(8キロ)したあとピリピリ来て、階段の上り下りすらできなくなってしまった。
 この靭帯炎、水平歩行は大丈夫という一風変わった障害。膝と太腿に力を入れさえしなければ痛みは来ない。来るのは階段の上り下りのときだけだが、日曜日は家から一歩も出られず、翌日から会社に出たが階段は左足一本で上がるという体たらく。
テーピングをして出社し、夜はマッサージと湿布。なんとか水曜日には痛みがとれ、木、金曜日は階段も普通に上り下りできるようになった。
 筋肉が硬い人が罹りやすいそうだ。ストレッチとマッサージなどのケアも怠るべからずとネット検索で出ていた。
 土曜日に3キロほど走ってみた。
 なんともなかった。
 骨と筋肉の摩擦が原因で筋肉に炎症を起こす病気というかケガ。考えてみたら余計なことをしていた。本格的にトレーニングを開始して2か月、膝が痛いわけでもないのに用心してサポーターを両膝につけて走っていた。走っているうちに窮屈を感じていた。しめつけられている感じがあった。

 これが膝に悪さをしていたのでは。
 やめたらいいんじゃないのかな。サポーターなしで走ったらどうなるかな。

 九条大橋(その向こうはJR奈良線の鉄橋)

 

【無事走りきれた】
 で、21日ゆっくりと20キロ走った。
 いつもの羽束師橋から三条大橋までの鴨川沿いの往復。
 おそるおそる。ぴりっと来たらやめようと思った。
 どうもなかった。
 姿勢と腰の位置(腰の位置は高く)、そして足が接地する位置(身体の真下)を意識して。これらは正しいフォーム作りの必須項目。もうひとつはハムストリングと大殿筋(お尻)を使うこと。

 膝が痛むとは膝が身体の前に出すぎているからだと思い、身体の後ろの筋肉を使うことを意識した。つまりふくらはぎからハムストリングとお尻だ。
 やっているうちに少しお尻にハリのようなものが来た。あれこれ試したがどうやらコツは前傾姿勢を保つことのようだ。脚の後ろの筋肉で押しだすようなイメージ。
 ゆるゆると洛中を目指した。橋をひとつずつ数え五条から四条大橋をくぐり、三条大橋の橋脚にタッチ(工事中だった)して折り返した。
 楽に走る方法を考えながら脚を動かした。足首を空中でぶらぶらさせたらどうなるか、走りながら膝の曲げ伸ばしができないか、とか、もともと身体が固いほうなのであれこれと考える。
 17キロを過ぎてバテて来たがありがたいことに痛みは来なかった。
 赤ん坊に哺乳瓶でミルクを上げる若いお父さん、それを心配そうに見守る自分の娘ぐらいな年齢のお母さん。鳥かごを河川敷のベンチに出して日向ぼっこを楽しむカップル。そんな光景に触れられることが嬉しかった。
 走れることに感謝しながらゴール地点に向かった。

 

 2月21日 20.18キロ 2時間23分
 2月23日  8.20キロ     58分