(鴨川左岸 四条三条間の佇まい)
〜感謝の気持ちで走る〜
2月7日(日)晴れ曇り
今日はチャレンジデー。3時間を走る日。
【不安】
職場のIくんも「20キロ走れたらフルも完走できます」と当たり前のことのように言うが何となく不安。20キロ走れたぐらいで本当にフルが走れるのだろうか。やる前は何事も不安で不安でしかたがない貧乏性。2月21日に京都御所の周回コースをフルで走る記録会があって出ようかどうか迷っている。
不安と迷い。そんなことで頭を悩ますなら走っておこう、ということでチャレンジ。前に走った羽束師橋〜三条大橋の20キロの距離をもう少し伸ばして賀茂大橋までの往復とすれば3時間ぐらいだ。
「心配なら距離とは関係なく3時間ずっと走り続けてみたらいい」と説くノウハウ本(『マラソン100回の知恵』原章二、平凡社新書)がある。3時間走ってみて疲労を感じたら、フルだとそれプラス1時間から1時間半かかるんだということがわかる。そうすれば練習を自重し身体にダメージを与えない方法を考えるはずだと、練習のしすぎを戒めている。
マラソンは(市民マラソンは)時間さえあれば一人で思うようにできるという他のスポーツにない手軽さが特徴だ。ジャージを着てシューズを履く、好きなコースを走る。身体にあったスピードで。息の上がる上がらないも自分の思いのままに。練習したくなかったらしない。
ほとんど自己管理の世界である。頑張るのも自由、怠けるのも自由。頑張り過ぎたらケガをするし、怠けたらそもそも距離を走れない。地の身体が強かったり、最初からそこそこのスピードが出たりする人は練習しすぎでケガをし、回復に時間がかかる。やりすぎは結局遠回りになることを分かって取り組むべきだということだ。
私も中山道歩きなど気ままな旅を続けてきてウォーキング歴はそこそこある。長く身体を動かし続けることになれており、マラソンの方も始めてみたら少しずつ馴染んできた。経験を積んだラン友やコーチがいない人は特に練習のしすぎには要注意と自分のこととして受け止めている。
その通りだと思う。だから30キロ走る距離走ではなくとりあえずゆっくりと3時間走ってみようと。
自分が一番走りやすいコースはやはりなんといっても京都のど真ん中を走る「洛中雅コース」だ。勝手にネーミングしているが、伏見の端っこの方から鴨川を北上し、七条、五条、四条、三条と鴨川の左右の景観を眺めながら走るのは身体のきつさを忘れさせてくれる眼に贅沢なコース。
【スタート】
ということで9時45分頃いつもの鴨川・桂川合流地点からスタート。1月30日に走っているから両岸に架かる橋をみれば今何キロまできたかおおよそ判るというのは気持ちを落ち着かせる。
スタートから快調。シューズもだいぶ足に馴染んできた。紐の締めつけ具合も良好、足の甲もいたくない、踵もしっかり締まっている。第一の目標は伏見区と南区の境に架かる勧進橋、6キロ。むかし橋を渡るのに料金を徴収した勧進元がいたということから名がついた。ここで右岸から左岸に渡り北上する。
鴨川整備事業が進行中で重機が投入され資材が運び込まれている。荒れ地が目立つ九条通り以南の鴨川。三条以北の鴨川のようにレジャーが楽しめるように美観を整える計画のようだ。
前の方から右手を上げつつ走ってくる中年男性。口を大きく開けしんどそうな様子。だが目が笑っている。私に笑いかけている。
上げた手はハイタッチなのだ。がんばろう、という励ましの合図だ。コロナ禍で手と手は触れない。エアー。
嬉しい。
励ます。励まされる。
走るとは一人のスポーツ。周囲から励まされると力が出る。
疲れもなく四条大橋をくぐり10キロを過ぎた。1時間5分。いいペースだ。三条大橋を越えるとなんだか空気が冷たく感じられた。丸太町橋まで来ると寒い。伏見あたりでは陽射しが暖かく春のような陽気だったのと比べると気候の違いが眼に、肌に感じられた。空はどんよりと重く空気は刺すように冷たい。
(賀茂川と高野川の合流点 三角デルタ)
【感謝の気持ちを持って走る】
いよいよ折り返し点の賀茂大橋まで来た。1時間19分。寒いのに出町柳の三角デルタの飛び石で子どもたちが飛び歩いている。
快調だ。急に嬉しくなってきた。まだ半分あるのかというマイナス感情はまったく湧いてこず、伏見の端っこから今出川通りまで、京都御所を越えたあたりまで、走って来られたことが嬉しくなってきた。何かに感謝したい思いだった。
そこからは目に映るものが懐かしく人生の一コマ一コマを見るような想いがした。やっとよちよち歩きを始めた赤ん坊がお母さんにみまもられて地面の砂をいじっている。つまみ上げたものをお母さんに指し示して単語にならない言葉を発している。その傍らをゆっくりとゆっくりと杖をつきながら歩く高齢の夫婦、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて行き交う夫婦。若いカップルが手をつなぎ幸せそうに歩いている。私のように走っている中年の男女。はしゃぎながら走り回る子供の家族。高校のクラブらしいグループで走ってくる生徒ら。なんだか自分がたどってきた半生をみているような気がした。これほど幸せな気分になって走っている事自体が嬉しかった。
【禍福は糾える縄の如し】
いくらでも走れる、そう思って鴨川を南下していった。
が、いくらなんでもいいことづくめではなかった。。
一寸先は闇、禍福は糾える縄の如し、である。
その前に、今回気づいたことがひとつある。
前にこのコースを走ったとき、ゆっくり走るコツとして前に出した脚を下に落とすようなつもりで走るといい、力が抜けるから。という走法を実践してうまくいった。
今回気をつけたのは姿勢だ。骨盤を前に出す、胸を軽く張って腰の位置を高く。そのやり方として、骨盤と背骨の繋ぎ目に力を入れるのだ。そうすると骨盤も胸も前に出る、すると脚も前に出やすくなる。
それを意識して走って来た。だいたいうまくいった。
「闇」しかしは20キロを過ぎたあたりから始まった。
急に脚が動かなくなってきた。重い、むちゃくちゃ重い。残り4キロぐらいだ、4キロは普段走っている距離だ、楽勝じゃないか、と鼓舞しても動かない、脚が。痛くないのだが、いうことをきかない。
骨盤と背骨に力を入れてエンジンをかけてもすぐにガス欠だ。維持できない。腰の位置がすぐ下る。背中もバキバキに凝っている。腰との付け根も固い。パンパンだ。残り三キロのタイムは8分台に落ちている。あともうちょっとなのに。
それでも止まらずに、歩かずにと叱咤する。今日は3時間走るという日だ。3時間走ったらいいんだ。あとはおまけ。折り返し点では羽束師橋まで帰ってきるのに2時間45分かと思えたタイムは残り2キロを残してと遠くすぎている。止まらなかったらいい。脚を動かし続けたらいい。ゴールの橋が近づいてきた。
ゆっくりとゆっくりと。
25.65キロ 3時間3秒