2024年1月31日(水)
ジージのお母さんが入院しました。
前の記事ですね。
この日、ジージは神奈川へ出張中。
緊急連絡先が私だったこともあり、お母さんをゴジラ(ジージ息子)と一緒に、病院に連れていきました。
お正月明けから、食が細くなっていたお母さん。
心配していたこともあり、診察料も考えず、あれやこれや検査をしてもらいました。
ジージは出張を切り上げ、大急ぎで移動。
ゴジラは会社から電話がかかっていたため、検査結果は私が聞きました。
MRIの画像を見せられ、先生は言いました。
肝臓に黒い部分があるのがわかりますか?
これは、ここ、すい臓の黒い部分が広がったものです。
肺にも水が貯まっていますね…
すい臓と言われるところは黒い。
さらに、肝臓と言われるところは黒いほうが多いまだら模様。
この黒い部分は、おそらく癌です。
癌であればステージ4、もう手のほどこしようがありません。
これから造影剤を入れて、さらに検査をしようと思います。
よろしいですか?
お願いします…
書類の全てに目を通し、改めて話を聞いたゴジラにサインをさせ、もう一度検査をしてもらいました。
間違いないと思います。
1年はありません。
月単位と言うところです。
そうですか…
頭が真っ白になっているところに、ゴジラが言いました。
オヤジがもうすぐ駅につくよ。
ぴょんちゃん、俺、迎えに行ったら聞かれる。
オヤジになんて言えばいい?
……
お腹の病気みたいって言って。
中途半端な話は聞かせたくない。
最初に聞くのは、先生のちゃんとした話にしたい。
後で、お前ら知ってたのにって怒ったら、私がそうしろって指示を出したことを言うから、とにかく頑張って誤魔化して、ここにつれてきて。
わかった!
ジージが到着した時は、私の目はすでに涙で腫れ上がっていました。
そこから先生の話を聞き、ジージは静かにこれからの話を聞いていました。
どこかが痛いとも言わなかった…
食べないから、何度も聞いたのに…
食事以外の時間は、楽しそうにしてた…
何でこんなことになってしまったんだろう。
2024年2月1日(木)
会社を休んで、入院の手続き等、必要なことをしました。
朝、ジージは家をごそごそしていたら、お母さんが大切に保管していた物を見つけて大泣きしていました。
出てきたものは、ジージが小学生の頃に貰った賞状と、お母さんの遺言書でした。
20年ほど前、お母さんが脳梗塞をしたあとに作ったものでした。
内容は、延命処置は一切受けませんという内容でした。
2024年2月3日(土)
お兄さんが帰ってきました。
お母さんに告知をするかしないか…
私とジージは、認知症もあるのに、これ以上苦しめるのは可哀想だから告知はしないという結論に。
その結論に、お兄さんは怒りました。
騙して最期を迎えるなんて、可哀想すぎるだろ!
ジージは言いました。
おっかぁを見て、それから答えを出せ。
病院に行き、3人でお母さんに会いました。
帰りの車…
お兄さんは泣きながら言いました。
あんなおっかぁに癌って告知するのは可哀想すぎる…
だよね…
お兄さん、ありがとう。
告知をしない。
私は絶対、いつも通り、満面の笑みでお母さんに会う。
心に決めました。
そして、肺にも転位していることを聞かされました。
2024年2月4日(日)
この日も面会に行きました。
帰ると言うと、大きな声で 嫌だ! と言います。
絶対また来るから…何度も言い、お母さんと私は、指切りげんまんを二人で歌いました。
2024年2月5日(月)
病院から電話がありました。
コロナが出たので、病院全体が面会禁止となりました。
その数時間後、お母さんも陽性だったと連絡がありました。
2024年2月7日(水)
お母さんが入院して一週間。
朝は普通に出勤したジージ。
昼前から緊急出張のため、また神奈川に行きました。
私は洗濯物を取りに行くため、ナースステーションに通う日々。
お母さんは、少し咳が出るくらいで変わりがないらしく、少し安心しました。
2024年2月10日(土)
ジージが神奈川から帰ってきました。
2024年2月11日(日)
天気が悪いけど、ゴジラ(ジージ息子)とミニーちゃん(ゴジラ彼女)に誘われ、笠岡ベイファームから近くのラーメン屋さんまでツーリングをしました。
今年の冬ちゃん、初乗りでした。
2024年2月13日(火)
病院からの呼び出し。
お母さんが帰りたいって言ってるみたい…
先生と話をして、今後、点滴の受けられるケアハウスへの移転も検討することになりました。
たまには大好きな家につれて帰ってあげるからね!
2024年2月16日(金)
入院して2週間。
ケアマネージャーさんと、今後の施設の話をしました。
そして、要介護1だったお母さん、私達でレポートを書いたりして区分変更をお願いしていました。
結果、要介護4でした。
病院からは、やっぱり食べないから、胃ろうか首筋にチューブを付ける手術を勧めているけど、お母さんが拒否してるから、説得するなら面会許可を出しますと言われました。
そして、手術をしないなら、月単位から週単位になるとも言われました。
2024年2月17日(土)
お兄さんが帰ってきました。
ジージとお母さんを説得するために…
二人からのお願いで、私も同行することに…
ジージとお兄さんが、お母さんに切願しましたが、お母さんはするとは言いません。
こんな手を使っていいのか…
悩みながらも最後に私が口を開きました。
お母さん、春になったらお弁当作って桜を見に行かない?
お花見、行こうよ!
そのためには、車椅子に乗れないといけないから、手術しないと無理だよ…
…する…
お母さんが言いました。
ジージとお兄さんは、泣きながら喜び、春になったらお花見に行く約束を、四人でしました。
でもこの日、容態が悪化し、手術をするには安定してからでないと無理になりました。
酸素吸入も始まりました。
そして…
会わせたい人がいるなら、面会禁止を解除するから、とにかく会わせるように言われました。
2024年2月18日(日)
面会に行くと、酸素吸入をしていました。
実姉を見ても、ジージを見ても、違う人の名前を呼びました。
2024年2月19日(月)
仕事帰りに病院に行くと、酸素も外して元気でした。
看護婦さんや先生が促しても、やっぱり口には何も入れようとしないようです。
私達が野菜ジュースを勧めると、欲しいと言って3分の1ほど飲みました。
先生から、何を食べさせてもいいと言われ、お母さんにいちご食べる?って聞いたら食べるって!
翌日持ってくることを約束して、指切りげんまんを歌って帰宅しました。
寂しいといけないと思い、私やジージ、お兄さんやゴジラの写真をいっぱい持って行き、見えるところにたくさん貼りました。
2024年2月20日(火)
早起きして、いちごを小さく切り、タッパーに入れてジージに渡しました。
会社についたら、冷蔵庫で保管してよ!
仕事帰り、病院で合流し、お母さんのところへ。
いちごをスプーンで潰してあげると、美味しいと言って2粒も食べました。
お母さん、すごいよ!
その調子!
明日もいちごたべる?
食べる!
わかった!
帰る時は、もちろん指切りげんまん。
この日先生から、痛みが出ているようです。
麻薬のような痛み止めを使うので、意識があるのはあと数日と言われました。
2024年2月21日(水)
入院して3週間。
この日も朝からいちごを切り、大好きなバナナも用意。
昨晩100均で買ったすり鉢、バナナはネバネバだから混ぜるための牛乳、甘みを足すのに練乳も用意して、ジージに渡す。
仕事帰り、バナナ、いちごを食べてくれ、豆乳も2センチほど飲みました。
おいし~!
って
お母さん、明日は何にしようか?
アイス食べる?
うん!
帰りにアイスを買っても溶けるので、仕事帰りのジージが買うことに決定。
出ない声で指切りげんまん。
げんまんだけ聞こえました。
2024年2月22日(木)
仕事帰り、会いに行ってみると寝ているのか意識がないのかわからない状態でした。
おっかぁ、おっかぁ!
お母さん…
私達の呼ぶ声に、目を開けました。
泣き顔を隠すジージの前で、不謹慎かもしれないけど、私は笑顔で言いました。
アイス、食べる?
うなずくお母さん。
さすがに私もびっくりし、看護師さんを呼んで、付き添ってもらいながらほんの少しアイスを食べさせてあげました。
そして、このときだけ、声が出ました。
とっても小さな声だったけど…
おいし~!
そしてまた、お母さんは眠りにつきました。
2024年2月23日(金)
早朝4時。
病院からの電話で飛び起き、顔も洗わず、歯も磨かず、一目散で病院に向かいました。
途中、ゴジラにも電話をしました。
6時10分
静かに、本当に静かに…
お母さんは、旅立ちました。
私はなにかしてあげられたのか…
お母さんは私と出会って幸せだったのか…
人を幸せにすることと、自己満足は何が違うのだろうか…
私がしてきたことは正しかったのか…
… お母さんに、聞きたい …