1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。


当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気になるポイントなどを整理してみる。


今回はピンク・レディーが「ペッパー警部」で衝撃的なデビューを果たした頃の初々しい映像を取り上げる。



「Singles Premium」(2011年)DVDより引用(以下の画像も同じ)


2011年にリリースされたピンク・レディーのCD&DVDボックス「Singles Premium」のDVDには、日本テレビの番組に出演した時の映像が多数収録されている。


今回注目するのは、ピンク・レディーのレコードデビューの4日後、1976(昭和51)年8月29日に放送された「スター誕生!」のデビューコーナーで「ペッパー警部」を歌った時の映像である。


ご存知の通り「スター誕生!」(71年〜83年放送、以下「スタ誕」)は、当時数多くの人気歌手を発掘したオーディション番組である。高校3年生だったミーちゃん(根本美鶴代さん)ケイちゃん(増田啓子さん)もデュオで出場。この年の2月(放送は3月)の決戦大会で合格し、晴れてデビューが決まった。「スタ誕」のデビューコーナーは、文字通り番組から生まれた新人歌手がデビュー曲をお披露目するコーナーだった。詳細はよくわからないが、ピンク・レディーの場合はデビュー日(8月25日)の前から何週か続けて出演したらしい。


「スタ誕」の収録は、通常、東京・後楽園ホールで行われていた。この時は、客席の中に小さな仮設ステージを作って2人はその上で歌っている。もともとミーちゃんの方が背が高いのだが、正面からの映像を見ると、やけにケイちゃんとの身長差が目立つ。実は客席の中に仮設したステージが狭いことと、カメラアングルの都合で、ケイちゃんの立ち位置はミーちゃんの真横ではなく、斜め後ろになっているのだ。遠近法によってカメラに近いミーちゃんはより大きく、ケイちゃんはより小さく見えるという訳である。


この時の衣装はテニスウェアのような雰囲気で、ミニではあるが、当時のアイドルの衣装としてはよくある感じだった。この年10月の新宿音楽祭で銀賞を受賞した頃からデザイナーの野口庸子(よう子)さんが衣装を手がけるようになり、スパンコールなどを駆使して斬新で洗練されたものになっていく。


客席の背景には、大きなパネルを何枚も並べて、空色の地に「ペッパー警部」や筆記体の「Pink Lady」のロゴが描かれている。レコードジャケットと同じものだ。ピンク・レディーは、デビューの時点ではビクターの上層部などにはあまり期待されていなかったというが、それでもそれなりに番組サイドがおカネをかけているように見えるのは、テレビが元気だった時代だからだろうか?




そして僕らのようなテレビの前の子どもにも強烈なインパクトを与えたのは、土居甫氏が振付を施した、例の2人が膝を開くステップである。ケイちゃん(増田惠子)さんは、デビューコーナーで歌った時のことを次のように振り返っている。


初めてのデビュー・コーナーの時は、客席の階段あたりで歌った。私たちの思惑通りのミニの衣装を着て、この不安定な足場で歌うのは少々怖かったが、予想を超えた下から仰ぐカメラアングルには、正直言ってとまどった。衣装の下には衣装用のショーツを着けているとはいえ、十八歳の女の子だ。やはりいい感じはしない。案の定、審査員の松田トシ先生から「下品だわ。あんな若い女の子を」とクレームがついた。勿論、賛否両論ある。あの膝を開く振り付けの部分だけなんとかならないか? とスタ誕のプロデューサーからも打診があった。しかし、土居先生は、あの部分こそが売りだ! と言って一歩も引き下がらなかった。プロデューサーは「君たちはいいのか?」と心配して下さった。確かに、下から仰がれるカメラアングルに抵抗はあったが、プロ意識に徹しようと腹をくくった

増田惠子『あこがれ』(2004年)より引用


今であれば、よもやあれくらいの振付で物議を醸すことはないと思うが、当時としては非常に衝撃的だった。制作サイドにも迷いはあったようだが、ここでもし土居センセイが折れていたら、またプロとして求められたことにはしっかり応え、何としてもこのチャンスに食らいついて行こうというミーちゃんケイちゃんの強い意志がなかったら、ピンク・レディーのその後の成功はなかったかもしれない。以前の記事にも書いたように、そもそもこのステップ自体が技術的に簡単ではなく、彼女たちが何日も特訓を重ねてマスターしたもので、それなりの思い入れもあったのだろう。



今のテレビはとかく「炎上」を恐れて、自粛や自主規制など、ともすれば事勿れ主義が広がっているようにも見える。70年代のテレビが元気だったのは、時代が寛容だったこともあるが、スタッフも演者もそれぞれがプロとしての矜持を持ち、時にはぶつかり合ったとしても、最終的にはお互いを認め、信頼し、一緒に面白いものを作るために何でも挑戦できる空気があったからではないだろうか。


さて、このデビューコーナーの「ペッパー警部」は、ピンク・レディーのテレビ出演の中でもごく初期の、非常に貴重な映像なのだが、それだけにこなれていないところもある。まだ踊りながら歌うことに慣れていないため、声がよく出ていない箇所もある。マニアックなファンには有名だが、最後のセリフもお馴染みの「ペッパー警部よ!」ではなく、「ペッパー警部だよ!」である。そしてその決めポーズの部分で、この時思いがけないハプニングが発生している。下の画像を見ていただきたい。



ケイちゃんのマイクのコードが、なんとミーちゃんの首に引っかかってしまった。この時代、歌番組ではほとんど有線のマイクを使っていたため、振付が多いピンク・レディーの場合は、コードが引っかからないように捌きながら歌わなければならなかった。


この時は仮設ステージが狭かったため、こうなってしまったのだろう。失敗が教訓になったのか、その後の歌番組の映像を見ると、特にケイちゃんはコード捌きに非常に気をつけて歌っているのがわかる。またマイクスタンドを使う時も、ケイちゃんは高さを気にして、イントロなどの間に自らスタンドの上げ下げをしていたりする。当時テレビを見ていた時は気にも留めなかったが、実はこうした細かいところにも、ピンク・レディーのプロ意識が現れていたのである。