ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしてから今年で45周年。「スター誕生!」で合格し、プロ歌手を目指して上京したミーちゃんケイちゃんが住んだ街、渋谷区富ヶ谷で、2人にいったい何があったのか?


前回の記事では、下宿生活そのものに関するエピソードを中心に紹介した。


『【デビュー45周年】何があった?ピンク・レディーの富ヶ谷生活(1)』この8月でデビュー45周年を迎えたピンク・レディー。「スター誕生!」でスカウトされたミーちゃんケイちゃんが、プロ歌手を目指して故郷・静岡から上京したのは、デビ…リンクameblo.jp


今回は、デビューに向けて富ヶ谷からレッスンに通っていた頃の有名なエピソードを改めて見ていきたい。


土居甫氏から振付の指導を受ける(「プラチナ・ボックス」フォトブックより)


伝説の振付レッスン


1976年4月12日に上京したミーちゃんケイちゃんは「スター誕生!」で2人をスカウトした相馬一比古氏の富ヶ谷の実家に下宿。そこから新宿の日本テレビ音楽学院などに通って、デビューに向けて、歌やダンスのレッスンに励む。


最初のうちは他の生徒達と一緒に授業を受けていたが、デビュー曲「ペッパー警部」が出来ると、2人のために土居甫氏による振付の特訓が始まった。ミーちゃん(未唯mieさん)の回想によると、恐らく6月の初め頃である。この辺りの経緯は以前の記事にも書いたのでご参照いただきたい。


『【デビュー45周年】ピンク・レディーはほんとうに“白い風船”になりかけたのか?』ピンク・レディーがデビューしたのは、1976年8月25日。まもなくちょうど45年になる。「ペッパー警部」で彗星の如く登場し、たちまちスターダムに駆け上がった2…リンクameblo.jp

振付師(振付家)として60年代からザ・ピーナッツやザ・タイガース、さらに「花の中三トリオ」(森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さん)など「スター誕生!」出身者の振付を担当してきた土居氏は、この時39歳。年齢的にもまさに脂が乗り切っていた頃だろう。2人の振付を引き受けるに当たり、土居氏が心に決めたことがあった。78年の著書にはこう書かれている。


“ピンク・ダンス”をつくるうえで、ぼくがぼく自身にいいきかせたことがひとつある。それは<これまでの常識にはとらわれまい>と、いうことだった。常識からはみ出したもの、つまり、ピンク・レディーだけの踊りをつくることを心がけた。

(土居甫『俺とピンク・レディー』より)


レッスンを通して、ミーちゃんケイちゃんの最大の魅力は野性味を感じさせる腿(あし)にあると考えていた土居氏は「ペッパー警部」の例の両膝を大きく開く振付を思いつく。


ミニスカートの女の子2人組が、臆することなく大胆に膝を開く振付は、当時としては非常に鮮烈で、テレビの前の老若男女を驚かせ、ピンク・レディーの名前を一躍日本中に知らしめた。当時の週刊誌などは昭和らしくセクハラおやじモード満開で「大股開き」と書き立てたが、実はこの振付、単純に脚を開くのではなく、右足は踵を軸に素早く外側に回転させながらステップし、時間差で左足を着地させるといった、技術的に難しいものだった。


自他ともに認めるスパルタ指導で知られていた土居氏だが、まさにこの振付の特訓中、ケイちゃんに大きな雷を落とすことになる。


静岡へ帰れ!


 たしか「ペッパー警部」のレッスンのときだったと記憶する。ケイが、ひいたことがあった。脊髄を痛めていたという古傷の影響もあったのか、ダブルでリズムをとらせた時に、<できない>という素ぶりをみせて、ちょっとひいた。むずかしいので逃げたのである。目線をはずし、ぼくの顔をまともに見ようとしない。さけようとするのである。

 友人から「桃色婦人さん」と、からかわれた言葉も気になっていたらしい。体も大きくつかわずに、中途半端な踊りかたをした。何度注意しても逃げる。さすがに堪忍袋の緒が切れて、「やる気がないなら、荷物をまとめて静岡へ帰れ!」

 こうどなりつけてしまった。ケイは泣きながら教室を出ていきましたよ。

(同上)


脊髄を痛めていた>とあるのは、ケイちゃんが中学生の時、バスケット部の練習で転倒し「脊髄分離すべり症」になったことを指す。ケイちゃんはその後モダンバレエを習うなどしてリハビリに努め、一応は克服したが、疲れが溜まったりすると、背中が張って痛むことがあったという。


また「桃色婦人」については、ケイちゃん(増田惠子さん)の自叙伝『あこがれ』に、芸名がピンク・レディーに決まり、下宿に帰って“おばさん”に報告したところ「あらやだ、桃色婦人ってこと?」と言われた、という記述がある。当時の2人はほんとうに純朴で「ピンク」という言葉に「ピンク産業」や「ピンク映画」のようにエッチなイメージがあることも知らなかったようだ。それだけに「桃色婦人」とからかわれることへの戸惑いも大きかったのかもしれない。


ただケイちゃんは、デビュー1周年に際して雑誌に掲載された手記で、この時のことを次のように書いている。


レッスン中にケイにはどうしても出来ない踊りがあった。その時土居先生に“一人ずつになってケイは静岡に帰れ”と言われ涙をこらえてつづけたこともあった。

(近代映画社『ピンク・レディー メモリアルブック』より/初出「近代映画」77年10月号)


ケイちゃんはすべり症や桃色婦人のことには触れておらず、単に教えられた通りに出来なかったと言っている。また、土居氏が「静岡へ帰れ」と怒鳴りつけたのは間違いないようだが、ケイちゃんが泣きながら教室を出て行ったのか、涙をこらえてレッスンを続けたのか、この点は2人の記憶が食い違う。


ちなみに78年の土居氏との対談でも、ケイちゃんはこう語っている。


わたしなんか『ペッパー警部』のとき、何度やっても同じところで間違えちゃってね。いつも先生に怒られショボン!だった。“もうお前なんか静岡へ帰っちゃえ”なんですもん。ミーちゃんが居なかったらホントに帰ってたんじゃないかな。

(同上/初出「近代映画」78年8月号)



(『ピンク・レディー メモリアルブック』より/初出「近代映画」78年8月号)


街灯の下のペッパー警部


いずれにしても、話はこれで終わらない。負けず嫌いのケイちゃんは、富ヶ谷の下宿に帰ってからある行動に出る。先程引用した土居氏の文章は、こう続いている。


あとで聞いたら、いったん寮へ帰ってからミーを近所の路地まで引っぱり出して、外灯の下で教わったそうです。翌日、キチンと踊りを身につけて教室に出てきました。

(『俺とピンク・レディー』より)


ケイちゃん自身も、デビュー1周年の手記にこう書いている。


その日はくやしくて家の前の電柱の所にある裸電球の下で夜中にミーに教えてもらった、そんな事もあったのだ。

(『ピンク・レディー メモリアルブック』より/初出「近代映画」77年10月号)


下宿人の身でもあり、家の中でドタドタとステップを踏む訳にはいかないので、街灯の明かりの下で、深夜に特訓をしたというのだ。丸い笠がついた裸電球の街灯は、今ではほとんど見ることがないが、当時はまだ東京の至る所にあったのだろう。


泣き虫だが、一度やると決めたことは必ずやり遂げようとするケイちゃんの真剣な姿勢、芯の強さを感じさせるし、また一足先に振付をマスターして特訓に付き合ったミーちゃんも素晴らしい。富ヶ谷の下宿で寝起きを共にしていたからこそ、こうして2人で支え合い、励まし合って前に進むことが出来たに違いない。それがやがてピンク・レディーとしての成功につながっていったのである。


上の反対を押し切って


そんなこんなで振付を習得した2人は、6月25日にビクター本社で行われた編成会議で、会社のお歴々を前に『ペッパー警部』を披露した。レコードデビューのちょうど2か月前のことだ。


だが、上層部の評価は最悪だった。担当ディレクターだった飯田久彦氏は音楽業界総合情報サイト「Musicman」のインタビュー(2000年3月)で<「馬鹿野郎!こんなゲテモノ作りやがって」って怒られた(笑)>と回想している。


中でも問題になったのは、例の膝を開く振付である。この時の会議の様子は、作詞を手がけた阿久悠氏の耳にも入った。


この振り付けには、テレビに出演する前から賛否両論があって、ビクター・レコードの社内でのお披露目で、これをやったところ、思わず顔を伏せる人が多かったとも聞いた。一瞬反応に戸惑って静かになったそうである。

(阿久悠『夢を食った男たち』より)


土居氏のもとには、直接ビクターの重役から、振付を変えてもらえないかと注文がついた。しかし土居氏はこれを突っぱねた。もちろん振付のプロとして「素人にごちゃごちゃ言わせてたまるか」というプライドがそうさせたには違いないが、それだけではないように思う。


土居氏は、深夜の街灯の下で必死になって振付を覚えたミーちゃんケイちゃんの努力、何としてでもプロ歌手になるんだというひたむきな思いを知っていた。だからこそ重役の頼みでも、決して譲る訳には行かなかったのだろう。前掲の著書では次のように書いている。


ぼくが会社の上層部に強く言い張れたのも結局のところは、彼女たちの腿がすばらしかったからである。

(『俺とピンク・レディー』より)


結局ビクターの中でも、飯田氏をはじめとする若手社員は土居氏の振付を面白がって支持。阿久悠氏らも応援し、上層部の反対を押し切って、それまでの常識を打ち破るピンク・レディーの新しい挑戦が幕を開けることになる。


ミーちゃんケイちゃんの富ヶ谷生活。2人のデビュー後もさらなる物語が展開していく。(続く)


ケイちゃんに叱られる!(別館)ピンク・レディーをもっと知る!リンクkayrose65.wp.xdomain.jp