歌謡曲の黄金時代と言われる1970年代。デジタル配信はおろか、まだCDさえなく、流行歌の新曲は直径7インチ(約17センチ)、1分間に45回転するシングルレコード(EPレコード)で発売された。それはドーナツ盤とも呼ばれるポリ塩化ビニール製の円盤で、通常は表と裏の両面に1曲ずつ収録する。メインとなる楽曲(レコードのタイトル曲)を収めた方をA面、もう一方をB面と呼ぶ。


ある歌い手が新曲をリリースしたと言えば、それはA面曲のことであり、人々はA面曲を目当てにレコードを買う。テレビ番組で歌手自身が歌ったり、ラジオや有線放送で流されたりして広く知られ、うまくいけばヒット曲として歴史に名を刻むことになるのもA面曲である。


一方、B面曲はカップリング曲とも呼ばれるように普通は「おまけ扱い」で、熱心なファン同士の会話には上るかもしれないが、広く世間一般の話題になることはほとんどない。B面曲が評判を呼んでヒットする例もない訳ではないが、極めて稀なケースである。


さて、ピンク・レディーは名だたるスター歌手が群雄割拠していたあの時代に彗星の如く現れ、ミリオンセラーを連発し、オリコン週間チャートで2年間で実に63週も首位を獲得するなど、驚異的なセールスを記録したことはよく知られている。


「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」「UFO」等々、今も世代を超えて親しまれている数々の大ヒット曲にも、当然同じドーナツ盤の裏側に収録されたB面曲が存在する。当時世の中に出たレコードの枚数を考えれば、それらの曲も「隠れた大ヒット曲」であると言えなくもないが、あまり語られることはない。


今回から、そうしたB面曲にスポットを当て、よく知られたA面のヒット曲とはまた一味違った知られざるピンク・レディーの魅力を改めて探ってみたい。


とはいえ、最初から言い訳めいて恐縮だが、当時の雑誌やスポーツ紙の記事などで、B面曲に触れているものはほとんどない。かろうじて後年リリースされた「プラチナ・ボックス」(2006年)や「Singles Premium」(2011年)のライナーノートに、ミーちゃん(未唯mieさん)ケイちゃん(増田惠子さん)がインタビューに応えてB面曲に言及している部分が少しあるので、それらの発言を引用しつつ、ゆるゆると書いてみる。


1回目はデビューシングル「ペッパー警部」のB面「乾杯お嬢さん」を取り上げる。




<基本情報>

タイトル:乾杯お嬢さん

作詞:阿久悠 

作曲・編曲:都倉俊一

発売日:1976(昭和51)年8月25日

A面曲:ペッパー警部


先程、B面曲について語られることはあまりないと書いたばかりだが、実はこの「乾杯お嬢さん」は例外で、ピンク・レディーの数あるB面曲の中でも特別な1曲だと言ってよい。


この曲に関する最も有名なエピソードは、このブログでも以前書いたが、ピンク・レディーのデビュー曲はひょっとすると「ペッパー警部」ではなく、この「乾杯お嬢さん」になっていたかもしれなかった、というものである。


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デビュー時からピンク・レディーの一連のヒット曲の作詞を手がけた阿久悠氏は、デビュー前にはあまり期待されていなかったミーちゃんケイちゃんの2人組を売り出すには、「ペッパー警部」のような奇抜で大胆、インパクトのある楽曲しかないと考えていた。だが、いざ曲が仕上がると、予想外の反応が待っていた。阿久氏は後年の著書で、当時のことを詳しく書いている。(引用文中、阿久氏は「乾杯!お嬢さん」と表記しているが、実際にはタイトルに「!」は入っていない)


 ピンク・レディーの場合、デビューから一貫して、強力な企画のA面を作り、B面はいささか気楽に、あるいは、ちょっとした冒険という意味合いで作ってきたが、肝心のデビューの時、それが思いがけなく揺らいだのである。

 B面の「乾杯!お嬢さん」が、いい曲に仕上がりすぎた。まさに、キャンディーズが歌ってもピッタリという曲で、七掛けを期待させるに充分であった。

 しかし、いくら何でも、「ペッパー警部」をB面にしてしまおうという話が出て来るなどとは、思ってもいなかった。

 ディレクターの飯田久彦から、今のままの成行きで進むと、ビクター・レコード内部の評判は「乾杯!お嬢さん」に分があって、ピンク・レディーのデビュー曲はこれになりそうだと聞かされ、ぼくは仰天し、そして、激怒した。

(阿久悠『夢を食った男たち』より、1993年発行)


文中の「七掛け」というのは「キャンディーズの7割くらい売れる」という意味で、ピンク・レディーのデビューの準備を進めていた阿久氏ら関係者の間で使われていたらしい。最終的には、阿久氏や飯田氏が必死になってビクターの社内を説得し、デビュー曲(即ちA面)は当初の計画通り「ペッパー警部」に収まったのだが、このような展開を辿った背景には2つの要因が考えられる。


1つは、上層部をはじめとするビクターの社内では「ペッパー警部」への拒絶反応が強かったことである。後に子どもたちがこぞって真似した土居甫氏のユニークな振付も含め、若い女性歌手が歌うには過激すぎるというのが、当時の常識的なオトナたちの感覚だったと言えよう。デビュー2か月前のビクターの編成会議で、2人が振り付きで「ペッパー警部」を披露したところ、<思わず顔を伏せる人が多かったとも聞いた。一瞬反応に戸惑って、静かになったそうである>と阿久氏は上の著書で書いている。


そしてもう1つは、阿久氏も書いている通り、実際に「乾杯お嬢さん」の完成度が非常に高かったことである。都倉俊一氏によるサウンドもそうだが、何よりもミーちゃんケイちゃんのデュオとしての魅力が、この曲では存分に発揮されているのだ。特に後半のハーモニーや輪唱のように高低2つのパートに分かれて歌う部分などは出色である。デビュー当初から、ピンク・レディーは一般に誤解されているような見た目先行のアイドルでは決してなく、実力派の聴かせるグループだったことがよくわかる。


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「乾杯お嬢さん」は2人にとっても「ペッパー警部」と同様、自分たちに初めて与えられたオリジナルの楽曲であり、思い入れはあったようだ。ケイちゃんは「プラチナ・ボックス」のインタビューで次のように語っている。


最初に「ペッパー警部」と「乾杯お嬢さん」のカラオケを聞いて、どちらの曲もイントロを聞いただけで、本当に鳥肌が立ちました。レコーディングをする時に、ひとしきり泣いた憶えがあります。(中略)「乾杯お嬢さん」もイントロからゾクゾクしますよね?「ビートの効いた曲を歌いたい」って言っていた私の言葉以上にすごいビートで、もうこれは自分達の力に懸かっていると思いました。絶対に売れる!と思ったのですが、最初は「乾杯お嬢さん」の方がA面になるという気配があって、自分達としてもすごく迷いました。どちらの曲も素晴らしかったですから。


結果として、デビューシングルのA面になった「ペッパー警部」が大ヒットしたことで、ピンク・レディーは一躍スターダムを駆け上がる。テレビの歌番組に引っ張りだことなり、翌年の春からは全国各地を回る本格的なコンサートツアーも始まる。所属事務所T&Cの制作部長、相馬一比古氏の意向で、コンサートではお馴染みのヒット曲とともに洋楽のカバーに力を入れ、B面曲が歌われることはそう多くはなかった。


しかしそんな中でも「乾杯お嬢さん」はライブの定番曲としてよく歌われ、時にはテレビ番組で披露されることもあった。「プラチナ・ボックス」のDVDには、NHKの「レッツゴーヤング」で歌った時の映像が収録されている。


78年9月17日放送「レッツゴーヤング」で「乾杯お嬢さん」を歌う(「プラチナ・ボックス」DVDより引用)


ミーちゃんが「プラチナ・ボックス」のインタビューで語っているところによると、「乾杯お嬢さん」などB面曲を歌う時は、いつもの土居甫氏ではなく、自分たちで振付を行っていたという。


彼女たちと同様、売れっ子振付師だった土居氏も多忙を極めていたので、B面にまでは手が回らなかったのだろう。何しろあの「UFO」の振付でさえ、テレビで初披露する直前にテレビ局(当時の東京12チャンネル)のリハーサル室で1時間ほどで行ったという逸話もあるほどだ。それでも成立させていたのだから、やはり当時の芸能界は歌手も裏方も、ほんとうのプロの集まりだったと言えよう。


最後に「乾杯お嬢さん」というタイトルがどこから来たのか、B面なので阿久氏に倣って「いささか気楽に」仮説を述べると、これも以前他の記事で少し書いたが、木下惠介監督の映画「お嬢さん乾杯!」(49年)から阿久氏が拝借した可能性が高いように思う。ヒロインを演じたのは、あの原節子さん。脚本は新藤兼人氏が担当した。


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37年生まれの阿久氏は高校生の時、3年間で映画を1000本見たという大の映画少年だった。「お嬢さん乾杯!」が公開された時は12歳なので、実際にこの映画を観たかどうかはわからないが、少なくともタイトルは知っていただろうし、ハワイ出身の人気歌手、灰田勝彦氏が歌った同名の主題歌もあった。


恋人たちと警官が登場する「ペッパー警部」は、曽根史朗氏の往年のヒット曲「若いお巡りさん」(56年)が材料の一つになったと、阿久氏は前掲書で書いている。作詞家として70年代の歌謡界をリードした阿久氏の発想の引き出しには、日本が戦後の歩みを始めて間もない時代、阿久氏自身が10代だった頃の映画や流行歌の記憶が詰まっていた。


その意味で、ピンク・レディーのデビューシングル「ペッパー警部」と「乾杯お嬢さん」は、まさに作詞家・阿久悠の創作の原点を示しているのである。


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