ミー「無事このコンサートも後半に入ってまいりました。それはそうとね、もうミー、胸がドキドキしちゃって」
ケイ「あ、ほんとだ。ケイもすごいの」
ケイちゃん、そんなにすごいのか…ハイティーンの男子が思わず色めき立ちそうなセリフ。子どもたちの絶大な人気を集めたピンク・レディーだが、阿久悠氏によれば、まさにこのコンサートが行われた「カルメン‘77」の頃までは、「高校生とか大学生を相手にした、カラリとしたお色気路線」を考えていたという。そのあたりを意識して書かれたセリフだった…というのは考え過ぎか。
ここでファースト・アルバムに収録された2人のソロ曲をそれぞれ歌うことに。まずはミーちゃんの番だが、イントロの演奏が始まるのとほぼ同じタイミングで、こんなやりとりが。
ミー「ああ、そうだ。ケイね・・・これを持っていって」
ケイ「いいよ」
ミー「おねがいします」
「これ」が何かはわからない。マイクスタンド?小道具?恐らく段取りでは、片付けられているはずのものがステージに残っていることに、ミーちゃんが歌う直前になって気づき、とっさに舞台袖に引っ込むケイちゃんに「持っていって」と頼んだようだ。ちょっとしたハプニングだと思われる(もともとそういう手筈になっていた可能性もあるが)。思いがけず2人の素の会話を聞いたようで、なんだか嬉しい。
そういえば、ケイちゃん、レコード大賞の時も、再結成時のコンサートでも、ステージ上でマイクスタンドを自分で運んでいた。よく気がつく人なのである。(ただし再結成の時は、段取りを間違えていて、ミーちゃんに「なんで持ってきたの」とつっこまれていたが…)
ミーちゃんの「ゆううつ日」は、恋人に会えない寂しい気持ちをしっとりと歌い上げる、ピンク・レディーの楽曲らしからぬ清純派アイドル歌謡。この曲を聴くと、なぜか昭和の昔、日曜日の昼間に放送していた「ロッテ歌のアルバム」を連想してしまう。雨で外出できないで、家でじっとテレビを見ていた記憶と結びつくのだ。
悲しげな曲だが、コンサートでは会場のファンから「ミーちゃん!」の大合唱が4小節ごとに入る。自然発生的なものだが、1つのフレーズがだいたい4小節で構成されているので、妙に収まりが良いのである。ミーちゃん、ほんとうは静かに聴いてほしかったのだろうが、アイドルだから仕方ないね。
a)ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ
b)セクシー・バス・ストップ
c)ベイビー・ラブ
d)ソウルこれっきりですか
e)恋のハッスル・ジェット
f)愛はどこへ行った
「メドレーⅡ」となっているが、「モータウン・ストーリー」もあったので、実質3回目のメドレーとなる。メドレーを構成するのは、モータウンを代表する女性グループ、スプリームス(The Supremes)のヒット曲(a、c、f)と、当時(70年代後半)日本でも流行していたディスコ・ミュージックを取り入れた歌謡曲、いわゆる「ディスコ歌謡」(b、d、e)である。スプリームスとディスコ歌謡、どちらもピンク・レディーにつながるものがあり、彼女たちの魅力を引き出すのに打ってつけと言える。(なお、スプリームスの曲は、英語でカバーしている。)
a)は65年にリリースされたお馴染みのヒット曲で、原題は<Stop! In The Name Of Love>。様々な人たちがカバーしているが、ピンク・レディーのその後のコンサートでも定番のレパートリーとなり、NHK「レッツゴー・ヤング」(彼女たちは78年度に司会を務めていた)で歌っている映像も残っている。動きの大きい振り付けで、<Stop!>の歌詞で一瞬ピタッと静止するのが特徴的である。(「チャレンジ・コンサート」での振り付けは映像がないのでわからない。)
b)今は女優として活躍する浅野ゆう子さんがアイドル歌手だった頃のヒット曲(76年)。テレビで歌っていたのをよく覚えている。もともとは日本人ミュージシャンによる覆面ユニット、Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスによるインスト曲で、ビクターから洋楽盤としてリリースされた。作曲者Jack Diamondとは筒美京平氏のことである。
ちなみに、先日のテレビ番組で共演していたケイちゃん(増田惠子さん)と浅野ゆう子さんだが、ケイちゃんがソロになってから同じ事務所に在籍していたこともあり、浅野さんが作詞した曲をケイちゃんが歌ったこともある。
c)は64年のヒット曲で、歌い出しの<♪Baby Love, my baby love>という覚えやすいフレーズでお馴染み。
d)は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」をはじめ、当時ヒットした13曲をディスコ調にアレンジしてメドレーにしたもので、マイナー・チューニング・バンドというユニットが76年にリリースし、話題になった。
有名な百恵ちゃんの<♪これっきり これっきり もうこれっきりですか>のフレーズを、ピンク・レディーが歌っているのは貴重である。「ソウルこれっきりですか」ではなく、いっそ「横須賀ストーリー」のカバーということでも良かったのでは(笑)
e)は、c)と同様、76年に覆面ユニット、Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスが「ハッスル・ジェット」のタイトルでインストバージョンをリリース。同タイトルで浅野ゆう子さんが歌詞入りバージョンを歌い、さらにシェリーさんが「恋のハッスル・ジェット」のタイトルでリリースしている。
前年75年に、アメリカの音楽プロデューサー、ヴァン・マッコイの「ハッスル」(The Hustle)が世界的にヒットしたが、それを受けて作られたのだろう。これも作曲は、Jack Diamondこと筒美京平氏である。筒美氏といえば、昭和の歌謡曲を代表する作曲家だが、ピンク・レディーに曲を書くことはなかったので、全く縁がなかったように思っていたが、このコンサートでは「にがい涙」も含めて筒美作品を3曲も歌っていたことになる。
f)は原題<Where Did Our Love Go>、64年にリリース、スプリームスが初めてビルボード週間チャート1位を獲得した曲である。
それにしてもスプリームスの曲には、歌詞にbabyという言葉がよく出てくる。中尾ミエさんが62年にヒットさせた「可愛いベイビー」(コニー・フランシスの<Pretty Little Baby >のカバー)という曲があったが、当時日本人の多くは普通に「ベイビー」と発音していたと思う。ところが79年にサザンオールスターズの桑田佳祐さんが「いとしのエリー」で「ベイベー」と歌ってみせた。以来、その方が英語らしい発音なのかと、僕などは思い込んでいた。
ここでミーちゃんケイちゃんは「ベイビー」と歌っている。カタカナ英語かと思いきや、さにあらず。改めて確認すると、スプリームスも「ベイビー」と発音していた。2人はちゃんとオリジナルに忠実に歌っていた訳である。
しかしまあ、英語も含めて、これだけの多彩な楽曲を覚えてステージに立たなければならないというのは、デビュー7か月の新人歌手にとっては大きなプレッシャーだっただろう。以下はケイちゃんの回想である。
睡眠時間を削って覚えた曲の数々だ。その上、振り付けまでちゃんと完全に覚えたのか、心臓が口から飛び出しそうなくらい不安だった。一曲一曲が腕試しのようだ!たくさんのお客さんが私たちのために、高いお金を払ってチケットを買って観に来てくれるのだもの、いい加減なステージは見せたくない。だからこそ自分たちにできる精一杯のことをしてステージに立ったつもりだが・・・・・・。もっともっと時間が欲しかった。時間がなかったから、これだけのものしかできませんでした、とアナウンスで言ってもらえるわけでもないし、そんな言い訳なんかしたくない!
(増田惠子著「あこがれ」より)
「チャレンジ・コンサート」、次回いよいよ完結編…となる予定。(つづく)